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シルクロード
こんにちは。 シルクロードについて教えて下さい。 1.シルクロードは、中国と欧州を中央アジア経由で結ぶ「東西貿易路」として有名ですが、中央アジアとインドを結ぶ「南北路」としては活発ではなかったのでしょうか。インドは現代のみならず古代も重要な巨大市場だったと思われるので、貿易が活発になりそうなものですが、それにもかかわらず中央アジア・インド路が発達しなかったのは、中央アジアとインドを結ぶ道(アフガニスタン)が険しいため、中央アジアを経由しない海上交易が主流となったからでしょうか。 2.もしそうだったとすると(海上交易が主流であったとすると)、古代インドの人々が中国の絹を手に入れるのも、主に中国・インド間の海上交易によったのでしょうか。ローマ・インド間の海上交易については歴史の教科書にありますが、中国・インド間の海上交易については聞いたことがありませんので、どなたか教えて下さい。
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陸上路が険しいことも事実ですが、当時イスラム諸国ではインド中東間の海上交通が極めて盛んだったのです。当然こちらが主要交通路になります。 中国産の物資となると、インドでとれないものは絹はそうですがそのくらいでかなり限定的です。そして市場としてもインド国内での中国市場となるとヨーロッパにおけるものよりかなり小さいです。 そうなると経済の必然で、中国物資はイスタンブールやロンドンに流れ、そちらから海路インドに行くのが主要な流れとなります。 それに昔の貿易(交易)ですから、ヨーロッパ行きにインドの物資を載せて、帰りは空荷で行くわけはありません。インド行きのヨーロッパ物資と一緒に扱われるのが一般的だと思われます。
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- henmiguei
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シルクロードとは文字通り 中国の絹を中東やヨーロッパに 運ぶために古くから地元の人たちが 使っていた其の地方の切れ切れの交易路を つないで出来た物です また、出発点は中国であって 中東やヨーロッパではなかったのです 貴方の誤解はシルクロードが ヨーロッパ基点だと思われていることです 中国基点(出発地)なのです 中国からインドへは パミール高原やヒマラヤ越えという 難所中の難所があり そのために対インド交易が発達してこなかったのです しかし海上交通によって交易はあったようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 中国・インド間にも海上交易があったということですね。勉強になりました。 ちなみに、私もシルクロードの基点がヨーロッパであると考えている訳ではありません。古代最大の交易品である「絹」に注目すると、明らかに中国基点であると言えますし、交易路として「相互」の物品往来があった点を重視すると、基点はどこにもないと言えますが(私の考えはどちらかというと後者に近いのですが)、いずれにせよ、少なくとも基点がヨーロッパということはあり得ませんね。 ありがとうございました。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。 中国産品がインドに行くのに、中国・インドの直接交易ではなく、「中国→イスタンブール・ロンドン→インド」という迂回路を辿っていたのは、大変興味深い事実です。世界地図を見ると、インドと中国は地理的に近そうに見えるのに、実際には直接交易はあまりなかったのですね。 大変勉強になりました。