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このような思想はありますでしょうか?
「人間の幸せ度は誰もが一定であり、尊厳死または安楽死(意識無くして死ぬ)が最良の死に方である」 または、 「人間の幸せ度は誰もが一定であり、死に方によって幸せは左右する」 と言う思想はありますでしょうか? 例えば、 裕福な家庭で産まれたAさんと、借金取りに追われ夜逃げの毎日のBさんが、道端で1000円を拾う場合を考えると、 Aさんが感じるプラスの感情(幸せ度要因)よりBさんが感じるそれの方が大きいです。 それは各々が感じてきた価値観の違いにより生まれました。 また、高校時代にモテモテだったCさんと、おとなしく人付き合いがうまくないDさんが、女性に告白される事を考えると、 Cさんが感じる幸せ度よりDさんが感じるそれの方が大きいです。 人は何かの出来事がある際に感じる幸せ度要因は違う。 それは理想値の違いであり、幸せ度要因と理想値は反比例のようになる。 理想値が高ければ(双方の事例の前者)幸せ度要因は低く、理想値が低ければ高い。 幸せ度は一定を保つ。 ここで、人生と言う長い尺度で考えると、 今日は昨日より幸せ(幸せ度ではないです)になりたい。明日は今日より幸せになりたい。 と思うのが人間です。 と言う事は人生の終わりである死の瞬間は理想値が高い状態で死ぬのがベストとなる。 しかし死には、今まで築いてきたものを失う苦痛が生じます。 それは理想値が高いほど大きく、理想値が低いほど小さく、死すら幸せ度が伴ってきます。 しかし意識無くし死ねば苦痛は生じません。 一見ネガティブに見え、実は、する事が全て納得できるポジティブな思想のような気がします。 このような思想はありますでしょうか?
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- jayoosan
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「誰もが一定であり」のあたりはあると思いますが、後半部分はどうでしょう。 例えばとあるので、たぶん例題なのでしょうが、そのA~Dさんの例では私はAとCさんのほうが感じる度合いと持続性は大きいと考えます。 しかしこれと一定であるかどうかを考えるのは、別の問題であったり次元だったりもします。 死に方の部分を追求すると、思想というより宗教の教えとしてはありえると思いますが、○○思想、○○主義のようなものとしては、目にしたことがありません。 >一見ネガティブに見え、実は、する事が全て納得できるポジティブな思想のような気がします 「全て~できる」がついている時点で、わたしには宗教で言われそうな、あるいは(布教のために)使われたような考え方だなと感じました。
- maddog
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厳密ではありませんが、似たような思想が確かあったと思います。 いわいる質的功利主義の発展系ですね? ただ、私の読んだ本では、「幸福的に感じる者と、不幸的に感じる者の受ける苦痛は、数値的に同じである」、という旨が書かれていたような…。 ようするに「死ぬ時は誰でも怖いんだよ」という意味だったと思います(結構古い本だったので、そんなに新しい論理ではないかと;)。 >「人間の幸せ度は誰もが一定であり、尊厳死または安楽死(意識無くして死ぬ)が最良の死に方である」 これはどれがどれだか分からないぐらい、沢山出ていると思います。^^; ただ、個人的には質問者様が提示した思想の例は、斬新で面白いと思いますよ。^^ ただ、人間は複雑な生き物なので、それが「理論」とまでは確立されないかと思います。
お礼
質的功利主義見ました。 確かに似てる気がします。 「幸福的に感じる者と、不幸的に感じる者の受ける苦痛は、数値的に同じである」 と言う部分は少し不思議に思いました。 金持ちと庶民が無一文になると言う苦痛を受けたら金持ちの方がより格差が生まれる気がします。 「死ぬ時は誰でも怖いんだよ」は確かにそうですよね。 確かに人間って複雑です。 一つの考えではもう支配できない領域にありますよねえ(^_^;)
- com_sens
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まったく間違っています (1)死は終わりではありません。世界中の宗教が死後の世界を説き、神の国はこの世の国より素晴らしいと説きます (2)この世の地位や財産は死後の地位と関係ありません。死んだらこの世の栄華が失われることで苦しむなら、それは執着です。執着をたくさん積み重ねて生きてきたならそれを不幸といいます。本人の心に安らぎがないことが何よりの証拠でしょう (3)理想値が高いと幸福度が低いならば衆生済度を願った釈迦やキリストはもっとも幸福度の低い人になってしまいます。質問にある「理想値」は理想ではなく単なる欲であり、渇愛であり、足ることを知らない心です (4)死に方と幸せは必ずしも相関はありません。あるならばキリストはどうなるのでしょうか?金持ちは天国にいくのでしょうか?またはアフリカで飢え死にする人のほうが天国に行くのでしょうか? (5)幸せは度は誰もが一定ではありません。一定であるなら天国地獄があるはずがありません。幸せかどうかは客観条件では決まりません (6)天寿を全うしてこそ人生成功だといえます。天寿が10歳の人もいれば100歳の人もいます、それぞれ苦しくても最後まで走りきって初めて栄光のゴールが切れるというものです 質問の思想は理想や目標、人生のやる気を失わさせる唯物的で皮相で浅はかで下手な理屈をこねた考えです
お礼
ご回答ありがとうございます。 (1)なんと!!死ぬと脳が停止するのに、死後の世界は素晴らしいと感じると説いているのですか。。 宗教に関しては無知でした。 (2)確かにNo.2さんにも指摘された点です。執着と言う分かりやすい言葉で参考になりました。人間は質問の中の幸せ度要因が増えれば執着も増えると思っていました。・・が、それは唯物的なのですね。 (3)理想値は単なる欲と言う部分に非常に参考になりました。釈迦やキリストは死に際に相当に名残惜しいと思いました。 (4)天国と地獄は実際に考えた事がありませんでした。(今頑張れば報われる、悪い事をすれば自分に返ってくる、と言う考えは日頃しますが、それは天国と地獄と言った死後世界観ではなく、これも質問した思想の中での事です) それは、脳は死ねば考える事も存在する実感も感じられないと思ったからです。 (5)確かにないです。客観条件は何でしょうか? (6)天寿は自然の寿命と辞書でありました。 つまり天寿を全うする事は不可能で実感できないのではないかと思いました。主観的に見ますと。 確かに天寿で死にいかれた方を見たら人生成功って思います。 確かに下手な理屈をこねた考えだと思いました。 しかし人生を全うできない方(自分は幸せではないと感じる方)には、良いアドバイスができる思想かなとは思っています。 確かに幸せと感じ、自分の考え方をしっかり持っている方にとっては失礼極まりない考えと思いました。
- adaypajimy
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あると言えばたとえ話であるというほどあるでしょう。 誰が言い出したのかはわかりませんが、「今幸せすぎると、後で運が尽きる」とか。 >それは理想値の違いであり、幸せ度要因と理想値は反比例のようになる。 方程式で求めようとした人はいたかわかりませんが、多くの人が押し広めて、人生の哲学本を書いていますよ。方程式化すると、どっかの西洋思想家に行き着く可能性がありますが、面白い試みだと思いました。こういう考え方は仏教的な本にもあるようなないような…と悩むということは、似たような考えは既にあるという事だと思います。 「鬱な人ほど成功する」という言葉は誰が言い出したのかわかりませんが、苦痛を人一番感じている人は、逆境を越える力を発揮したり、それだけ感動を味わえる可能性も高くなる。似たような事ですね。 死についての認識は…わかりませんね。私もNo1の人のように変だなぁと思います。幸福の方程式が臨終時の幸福度に結びつく証明がされていません。無為な人生でも多くの方が死は怖いモノと認識すると思うので…そういう思想で名を馳せた人がいないから…あなたが考え出した思想と思っていても誰も反論しないかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 似たような考えありましたか。 「幸福の方程式が臨終時の幸福度に結び付く証明」 は、確かに一概には言えなかったです。 拷問を受けて死んでいかれた方は苦痛の中で、 老衰で死を悟って死んでいかれた方は周りに囲まれ暖かい中で、 もしかして痴呆症の人は意識は無い(痴呆は死の恐怖からの逃避と聞いた事があります)中で、 迎えた人はおり、3者が必ずしも理想値が一定の度合いでないかも知れない・・いやないです。 確かに・・確かにその通りです。 しかしだからこそ、死に方が大事なのではないか、と思ったりもします。 死の瞬間は特別?? ・・しかしそう言ってしまうと、全て特別になってしまいますね(^_^;) 参考になりました。 ありがとうございます。
- ipa222
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相当無理がありますね。 お金持ちでも、それにとらわれず生きている人もいますし、貧乏でも精神的に貧しくない人もいます。 死ぬときに金持ちが苦しみ、貧乏人が幸せというのも極論でしょう。 ステレオタイプによる偏見を前提にしていると思います。
お礼
ご回答ありがとうございました。
補足
すいません・・投稿する時に議論はしてはいけないと書いてありました。 ので、あるかないか教えて下さい(^_^;) 無いという事ですか?
お礼
なるほど。。別の次元ですか・・ 確かに改めて読んでみると詭弁(無理矢理一定と考えている)のように感じました。 考え方が一方的なのですかね・・ 確かに宗教で使われそうです・・ 人間って複雑ですよねえ(^_^;)