• ベストアンサー

飛鳥寺ができた年号は?

NHKの「そのとき歴史が動いた」で、飛鳥寺は609年にできた。606年と言う説もある。と言っていましたが、 ネット検索すると596年と言うのを多く見かけます。 正しいのはどちらですか? 609年説以外だと法隆寺よりも早い気がするんですが...

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Pesuko
  • ベストアンサー率30% (2017/6702)
回答No.1

奈良文化財研究所 の見解です http://www.asukanet.gr.jp/ASUKA4/soga/soga08_4.html

その他の回答 (2)

  • BWV1012
  • ベストアンサー率38% (133/347)
回答No.3

「法隆寺より早い」という点が気になっているようですね。 法隆寺は「現存する世界最古の木造建築物」であって、古いお寺であることは事実ですが、寺としては、法隆寺より古いものがいくつかあります。ただ、当時の建物が残っていないだけです。 飛鳥寺の他にも、四天王寺は法隆寺より古い寺として知られています。

参考URL:
http://www.shitennoji.or.jp/rekishi/souken2.htm
回答No.2

飛鳥の代表的なお寺の一つが飛鳥寺ですが、下記にあるように【日本最古のお寺】とありますので、法隆寺よりも古いという事になります。 この寺は596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺で、寺名を法興寺、元興寺、飛鳥寺で現在は安居院と呼ばれています。 東大寺の大仏よりも、さらに150年も古いと推定されている。現存するのは、小さな堂宇とその中に残る日本最古の仏像のみです。 奈良市にある元興寺は平城遷都と共にこのお寺が移されたものです。このお寺はひっそりと建っていますが、近年の発掘調査では、東西200m、南北300m、金堂と回廊がめぐらされた大寺院であったようです。現在の建物は江戸時代に再建した講堂(元金堂)のみを残します寺の庭は、大化改新を巻き起こした、中大兄皇子と中臣鎌足との歴史的な出会いの場として伝えられている。 旧伽藍は887年(仁和3年)と1196年(建久7年)に焼失し、室町以降は荒廃したが、1632年(寛永9年)と1826年(文政9年)に再建され今日に至っている。  (境内解説板より) 飛鳥寺の塔は1196年(建久7)に二度目の火災で焼失し、舎利は翌年いったん掘り出され、新しく作った舎利容器を木箱にいれて、心礎の上方2mのところに埋めたのです。木箱の側面には、建久7年に塔が焼けたことが記してあるとのことです。 なお、文中には「本元興寺(もとがんごうじ」とあり、飛鳥寺が平城京内に移されて元興寺となり、飛鳥に残った寺の方は本元興寺とよばれるようになったと記されています。

関連するQ&A