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教皇がキリスト教徒を破門しなくなったのはいつからですか?
ガリレオは異端説を唱えて教皇から何度も呼び出しをくらいましたね。ガリレオが死んだ年にニュートンが生まれていますが、彼は教会からケチをつけられなかったそうです。その間の教皇の権力は雲泥の差のように見えます。 ゲーテはファウストの冒頭で「あらずもがなの神学も...徹底的に勉強した」と書いています。これを読んで教皇は怒って破門しなかったのは不思議です。 いつから教皇による破門がなくなってしまったのでしょうか?
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教皇の破門は、ウエストファリア条約(1648年)以降意味をなさなくなったと思われます。 実質的には、1555年のアウグスブルクの宗教和議以降、ルター派の地区では、効果が無くなっています。 ガリレオの場合、イタリアでしたから、破門の効果が、多少あったのでしょう。 ニュートンの場合は、ウエストファリア条約後ですし、カトリックの勢力圏では有りませんから、教皇の破門は、全く影響無かったでしょう。 多分ニュートン自身カトリックであったとは思えません。 ゲーテの場合は、さらにその後ですし、活躍したのもルター派の地区ですから、破門は、全く意味の無いものです。 ゲーテが、カトリックで有ったのならば、破門も心理的抵抗があったかもしれませんが、プロテスタントであれば、そもそも破門される事自体がありえない事になります。
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- Big-Baby
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>教皇がキリスト教徒を破門しなくなったのはいつからですか? カトリック教徒に対してのものなら今でも破門はありますよ。20世紀、21世紀の破門の例については下のURLを参照ください。 ただ#1の方も言われているように、16世紀初めにルターが宗教改革を引き起こして以来、非カトリック教徒に対して教皇は何の権威も持たなくなり、したがって、破門もまったく無意味となりました。 ニュートンのことを言われてますが、イギリスはヘンリー8世以後(1534年以後)プロテスタントの国ですよ。