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キリスト教に対する疑問と信仰の葛藤とは?
- キリスト教を信じたいけど、教会への不信感や教会史の血なまぐささ、聖書の硬直的な解釈に悩んでいます。
- また、聖書の歴史的信ぴょう性にも疑問を抱いており、素直に受け入れることができません。
- この葛藤を乗り越えるには、個人の信仰の道を見つけることや、異なる宗派や信仰の視点を学ぶことが役立つかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
キリスト教を含め宗教というのはいいとこ取りするもの、つまり自分が信じたいことが書かれている部分を信じていればいい、そして信じたくない部分は、きっと何か理由があったのだろうと判断を先延ばしにすればいいものです。 けっこういいことだけでなく、人生の指針になるぐらいのことも書かれています。共感したら、その書物の通りやってみようと思いますよね。そうして信じる気持ちが強くなる。その強くなった気持ちをまとめて力にするのが教会の仕事です。 そんな力を使って社会的に役立つこともできるし私利私欲に使うこともできる、つまり集団を統括する者たちの胸先三寸でどうにでもなる諸刃の剣であるのが宗教と言えるでしょう。 人間のできることはたかがしれています。自分がやりたいかやりたくないか、自分の利益になることかそうでないかと判断するのですから。善も悪も当人に都合のいい社会的に通りのいい言い訳に過ぎないのです。 宗教をキリスト教だけに絞ることはありません、他にも神に名を与え存在を具現化したり様々な解釈をした書物もありますので探してみましょう。一周回ってキリスト教徒のいいところも問題も見えてきて質問者さん自身の気持ちがより明確になるのではないかと思います。
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- heyboy
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おはようございます。 ある城の隣の教会に 毎週通っている クリスチャンです。 その教会で習ったのは 「聖書は聖霊(様の導き)に よって書かれた書物」 と表現してました。 ここからは自分の考えも 混ざりますが、 恐らく「聖書」が 論理的でない書物なのは 「狭き門」だからです http://minami-kashiwa.sakura.ne.jp/2014/09/21/429 (↑この教会はうちの教会とは 関わりはありませんが 言っている事は変わりません?) それと昔は印刷技術が 無かったから「写本」で 聖書を書き写したハズですが、 恐らくは解釈はしてないから 現代においてはとんでもない 表現に見えると思われます。 講師の方の言われるような 聖書の改変をされた事は ありましたが、それは ものみの塔やエホバの証人 などの別の宗教になり 自分たちクリスチャンは 異端としてあつかいません。 それと最後に 「キリスト教を信じる」 ではなく 「イエス・キリストを 心に迎える」事の方が重要で 自ら教会へ足を運ぶとか 牧師先生の話しを聞くとか していき徐々に聖書へ 触れていけばいいでしょう!
- KoalaGold
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生理的に不快なものに信頼を置けないのは当然。クリスチャンになるのはやめましょう。 そもそもなぜキリスト教を選んだんですか? 信者になったところで、毎日受ける教えに疑問が湧くだけです。大きな宗教に属する利点があるのですか?自分の信じることをして自分なりに正しさを追求することはできませんか。 宗教とはシステムです。政治と似ています。してはいけない事、団体のために強いる犠牲などの上に成立しています。 好きでもない団体に属して疑問を呈し続けても破門されるだけです。自分の存在が団体のためにならないならば受け入れる理由もありません。 自分の精神安定が目的ならば入信しない事です。
- SPS700
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この葛藤を乗り越えるにはどうしたらいいですか? 他のお気に召すもの(別に宗教でなくてもいいと思います。)に変えればよろしいかと思います。
お礼
「きっと何か理由があったのだろう」ですか。なんて素敵な言葉でしょう! ピースフルですね! でも、なんだか少しずるい気もします。 聖書の言葉に真正面から向き合っていないような気がして、後ろめたいです……。 でも、そのほうが、自分にも周りにもいい影響があるのでしょうね。 矛盾は多くあるときちんと認めたうえでなら、この平和な言葉を受け入れられると思います。 実は、仏教哲学を知り合いの僧侶に学んでみようと思っています。 彼は坊主の立場から宗教をおおよそ中立に見渡すことのできる方ですから、学ぶことは多いと思います。 参考になりました。 ベストアンサーはあなたです! ありがとうございました。