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貧しいキリスト教徒
このカテでいいかどうか分かりませんが…。 ある英文で”a poor Chritsian”というのが出てきたのですが、この「ある貧しいキリスト教徒」とはどういったものなのでしょうか? 何か聖書のエピソードなのでしょうか。 思い当たるものをご存じの方がいればぜひ教えて下さい。お願いします。
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文脈にもよるので正確なところは分からないのですが、聖書中の有名なエピソードで「貧しい」といえば、貧しいやもめの話やなんかがありますね。 それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。 すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」(マルコ12:41-44) ただ、この話が a good Samarian のように、a poor Christian という名前で知られているとは知りません。なので、ちょっと違うのかな、とも思いますが、参考までに。
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- kigurumi
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紀元35-100年くらいの時代に、フラウィウス・ヨセフスという人がいたんですね。 本名はヨセフ・ベン・マタティアフ(マタイの子ヨセフ)。 ゼロテ党がローマ軍の追い詰められた時、それぞれ仲間を刺して集団自決をしたのですが、彼は自殺せず、ローマに投降したんです。 そして自分が知っていたユデアの歴史をローマ帝国に知らせた。 マカバイ戦争の始まる頃からユダヤ戦争の終わりまでで、ユデア戦記と呼ばれるものの作者なんですね。 尚、その中にはイエスのことも少し触れられているそうですが、それは後世の人の加筆であり、ヨセフスが書いたものじゃないそうです。 従って、ユデアの隅々まで知っていたヨセフスの記録には、イエスは登場せず、隅々までヨセフスは知っていたが、エルサレムの人々の熱狂的に迎えられたと後世に伝えられることになった有名なイエスの存在をなぜかヨセフスは知らなかったわけです。 さて、彼はユダヤ教の活動についても記録していました。 ユダヤ教には少なくとも20くらいセクトが存在しており、大きくわけれうと4つくらいに分かれ、どれかが独占的に支配しているというわけじゃなく、それぞれ教義は多少違っても、基本は同じだったそうです。 そのヨセフスが、すばらしい派閥だと賞賛していたのが、エッセネ派。 彼らは自分達の事を 「貧しい者」 だと言っていた。 彼らは薬草に詳しく、都市に住まず隠遁生活をしていたそうです。 さて、死海文書というものが20世紀になり出てきました。 ユデアがあった地域の砂漠の洞窟の中から出てきたわけで、その発見は、イスラエル建国の前日だったかそのくらいの時期。 その出てきた死海文書は、エステル以外の全ユデア聖書の写本と、それを保有していたクムラン宗団独自の教義の写本。 そしてクムラン宗団は、自分達の事を 貧しい者 だと言っていた。 そこで、エッセネ派、クムラン、キリスト教は同一のものだったのか?と疑問が出るわけです。 クムラン教団は終末思想を持っていた。 善と悪の戦いが起こり、最終的に善が勝利し、地上が天の国になる という思想を持ち、また二人のメシアの到来を想定していた。 キリスト教は一人メシアだが、洗礼者ヨハネも入れると、二人になるわけですが、悪の祭司が義の教師を殺す という内容を残していた。 洗礼者ヨハネが殺されたことは、ヨセフスも記録していた。 じゃあ 誰が悪の祭司とされたのか。 イエスが実在していたら、クムランが言った悪の祭司とはイエスのことになる。 がヨセフスはイエスの存在すら知らなかった。 ということで、研究家の間では、悪の祭司とは、ヨハネの時代を生きた大祭司、、、名前忘れました。。ま その人のことじゃないか と言われている。 で、元に戻ってヨセフスが賞賛していたエッセネ派がどうして自分たちのことを貧しい者だと言っており、クムランも自分達の事を貧しいものだと自称していたのか。 クムラン宗団は、砂漠に集団で隠遁生活をしており、この集団に入るとき、財産を共同金庫に預けるなければならないという仕来たりがあった。 その預けたものが清くなるまで、一切そのお金には手をつけないが、清くなったと認定されたものの財産は、共同体の運営に使われていたわけです。 従って、貧しいというのは貧乏という意味じゃあない。 霊的に信仰において貧しい という意味。 じゃあ 信仰が無いと自認していたのか? そういう意味じゃない。 霊的に打ち砕かれて、もう神にしか頼るものはない、信仰以外は何もいらない、信仰を追い求めて者 という意味。 キリスト教もクムランの教義を拝借したようで、自分たちのことを貧しい者だと自称するようになったが、彼らは誤解したようです。 貧乏であることを神が望んでいると勘違いしたようです。 まさか信仰を追い求めている者のことを指していると、知らなかったようです。 それで、「義のために迫害されたものは幸いである。天の国は彼らのものなり」というものをうちたてた。 「布教していて弾圧されたら喜べ 天国に行けるぞ」 などクムランは言っていない。 誤訳なんですね。 「義を追い求めるものは幸いである。天の国は義を追い求めるもので構成されている。」というのが本来の意味。 迫害されろなど言っていない。 信仰心に満たされろ という意味で使っていた。 これが貧しい者だったわけです。 クムラン宗団は、確かに入会者の財産を預かっていたが、入会者は一文無しにさせられたかというと、ちゃんと個人財産は保有してよかったんですね。 キリスト教の場合 全部取り上げました。 ペトロは全財産を寄付したと偽った夫妻を殺しましたが、聖書を読むと、そのせいで殺人罪で投獄されたと思えます。 地震が起こり、脱獄に成功したようですが。。。。。。 ペトロは貧しい者が一体なんのことを言っているのか、どうやらわからなかったようですね。 クムランの真似事をして、集団を作ったようですが、、、、、、、。 というわけで、2千年近く、貧しい者とは何のことかわからず、キリスト教は信者に信仰とは何かを教えることなく、過ごしてきたわけです。 キリスト教にいわせれば、信仰とは全財産を教会に寄付すること だったので、教会は繁栄し、信者は貧困にあえぎ、救いを求めて、奪う教会に助けを求めるというおかしなことをし続けたわけです。 羊は主人の声を聞き分けられなかった悲劇。
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回答ありがとうございます
- mmky
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「金持ちが天国の門をくぐるのは駱駝が針の穴を通るほど難しい。」とイエスが言ったからですね。これはイエスが説法していると通りがかった裕福な息子が「マスターどうしたら天国にいけますか?と聞いたところ、もてる財産を従者に全て与え私についてきなさいといったんですね。それを聞いて裕福な息子は逃げ帰ったんですがその時イエスが言ったことですね。 これで金持ちは天国の門をくぐるのは難しいということになってしまったんですね。「本当の意味はいろいろな物に執着していては天国に入れないという意味なんですがね。」 それでクリスチャンはどんなに裕福な方でも精神的に”a poor Chritsian”というんです。そうでないと天国の門はくぐれないというように思ってるからですね。 まあイエスは貧しい人々が好きでしたからね。
お礼
回答ありがとうございます。
- nacam
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文章の一部だけをとってきて、質問しましても、まともな回答は得られません。 その文が出てきた文書名や前後の脈絡を示す必要があります。 ただ、キリスト教において「清貧」が、使途としての理想の生き方ですから、「清貧」を表したものである可能性はあります。 特にカトリックにおいては、使徒的生き方「清貧」を理想とします。 修道院活動なども、本来「清貧」たる使徒的生き方を望んだために生まれたものです。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに文脈を示すべきでしたね。 クリスチャンの方にはa poor Christianという単語で何かぱっと思い当たるものがあるんだろうかと思ったもので。 ありがとうございました。
- 080205k
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poorには貧しいという意味の他に類似的な意味も複数あります。 (見た目が)みすぼらしい、貧しそうな や かわいそうな などがあります。文脈によって様々に解釈出来るので原文の流れが無いと判断出来ません。 貧しそうなクリスチャンかもしれませんし、かわいそうなクリスチャンかもしれません。 他の可能性もあります。
お礼
回答ありがとうございます。 もしかして「かわいそうなクリスチャン(人名)」なのかとも思いましたが、どうも#1さんのお話のようです。 しかし、ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 「投げ入れる」という単語が出てくるので、おそらくこのことかもしれません。 「a poor Christianのようになれた」という感じの文だったので、何か聖書のエピソードなのかと思いましたが、やはりお答えのような話があったのですね。 どうもありがとうございます。