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キリスト教徒との付き合い方
初めて投稿します。 質問というより、僕の考えについて皆さまの意見をいただきたく。 自分には、婚約をしている彼女がいます。 彼女=キリスト教徒(熱心。毎週教会へ) 自分=無心教徒(家系的には創価学会員。) です。 結婚をし、一生を共に暮らしていくにあたり、 彼女側の家族(家族も熱心なクリスチャンです)との付き合いや、 彼女自身が信仰している宗教に対する理解を得る為、 自分も毎週彼女の教会の日曜礼拝に出席しています。 教会では当然、毎回のように勧誘の嵐にあいます。 そこでは皆「信じなくてもいいから。まずは思い切って入ってみることだ」と、踏み切らない僕を信者にするよう説得してきます。 彼女もこれには同意見なようです。 「信じなくてもやってみる」とはつまり、腹の中では信じてないが、 「信じてますよー。アーメン」と口にしろっていってることですよね。 そこで今日、仮に僕の実家で法事や墓参りがあった場合、 彼女は参列してくれるか聞いてみました。 彼女は、「参加はするが、手を合わしたり焼香することは絶対しない」といいます。 信じなくてもいいからやってみろといっている人間が、 信じていない(他宗教)のしきたりは絶対しないなんてあまりにも 虫が良すぎる話だと思います。 無神教の僕に対して信じていないキリスト教をまねごとでいいから信じてみろということは、 キリスト教の信者である彼女に仏教のしきたりを信じないまでも 動作振る舞いだけまねてくれというのは同義だと思うのですが。。。 僕がどの宗教も受け入れられないのは、 宗教をするひとのこういったよくわからない排他的でほかの考えの人の意見や気持ちを顧みない一方的なものの見方しかできないところに起因します。 皆さまに聞きたいです。 僕は間違っているでしょうか? 最近では、信仰を持たない自分が教会へ別の動機で行くことさえ、 正しいことなのか間違ってるのかわからなくなってきました。
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- katyan1234
- ベストアンサー率18% (347/1849)
一生暮らしていけますか? 相手はそう思ってますか? そこをはっきりしてください。 結婚でもう破談するかもしれませんね。 あなたは譲歩してるつもりですが、 彼女はどう考えているのでしょうか。 行けば信じたいと思っていると言う感じに受け取りますよ。 当然またきてくださいというのも当然、行く事が間違いだと思う まず話し合いかな~ 無宗教とクリスチャンでもすごくややこしいのに あなたが創価学会になればモット複雑 結婚式 法事 そして子供の教育 献金 礼拝 法座 新聞 選挙 子供の洗礼 子供の信仰 子供を教会に連れて行くこと 毎週教会に行く事を認めるのか。同じ墓にはいるのか 先にこれを片付けてからでしょう。 お正月どうします。毎食の祈りもあるね~
中高一貫のキリスト教(プロテスタント)学校に通っていた者です。 高校1年のとき、一人の同級生が病気のため16歳の若さで亡くなりました。 その時、同級生全員と先生方とで彼女の葬儀に参列したのですが、クリスチャンの先生も皆、仏式の葬儀の仕方に従い、お焼香をして手を合わせていました。 また、私の夫が亡くなった時のことです。 夫の友人に、キリスト教の牧師さん(神父さん?)をやってらっしゃる方がいるのですが、その方も普通にお焼香して手を合わせてくださいました。 私も質問者さんが彼女さんの態度に疑問を感じるのは無理のないことで、間違っていないと思います。 キリスト教と一言で言ってもいろいろあり、偏った教義の解釈をしているものや、他の宗教を受け入れないものには疑問を感じます。 また私自身、中、高、短大とキリスト教主義の学校に通いながら、先生から「勧誘の嵐」に遭ったことことは一度もありません。 彼女さんのようなクリスチャンがいると、質問者さんが「キリスト教はこういうもの」と思ってしまわれないかとそちらが心配になりました。 (私はクリスチャンではないのですが)
- pikoteru
- ベストアンサー率57% (4/7)
クリスチャンの女性です。私も、No.1の方やNo.4の方と同意見です。 『勧誘の嵐』や『信じなくてもいいからやってみろ』というのが??? 私も(引っ越し等で)いくつかの教会に行きましたが、そんな事をしている・勧めている教会なんて見たことも聞いたこともないです…。 私の彼氏(無信仰)も、『どんなところか行ってみたい』と、一緒に教会へ行ったことが数回ありますが、勧誘するような事は一切ありませんでした。それが普通だと思うのですが…。 信じなくてもやってみろ、と言うのに、他宗教のしきたりはしない…というのは、私もおかしいと思います。 (私も、手を合わせますし、焼香もします。) 質問者さんの、彼女さんを理解しようとする姿勢はとても素晴らしいと思います。お考えは間違ってないと思います。
人が信じて大切にしてるモノを否定することもねえし、肯定することもねえや おたくが信仰を持たないという意思を持つんなら、「キリスト教にこんな勧誘をされた。やつらは間違ってる」とか俺らに説明しねえでいい。彼女が大切にしてるキリスト教とやらを否定することもねえわ 無信仰なんだろ、参加しなきゃいんじゃね? 終わってから彼女と遊びに行きゃいんじゃね?
- haramita
- ベストアンサー率31% (32/102)
恋愛において互いの宗教は、それほど表面化しないと思いますが、結婚となると話は別になりますよね? 恋愛は個人単位ですが、結婚は家族単位の話になるので、親族の法事で、個人の宗教感を主張していたら、家族がなりたたないと思います。 あくまで結婚感と信仰は分けて考えるものだと思いました。 そのため結婚を考えるのなら、どこまで歩み寄れるのかが肝要だと思います。 質問者様の宗教感は、間違いではないです。正確だと思います。 また、他の方が書かれている宗教感も正確だと思います。 信仰には様々な捉え方があるので、ここで宗教に関する考え方を問うても、おそらく答えがまとまらないと思います。 私は、先ほど彼氏に創価学会員だとカミングアウトされショックを受けたばかりなんです。 貴方のクリスチャンの勧誘に関する意見と似ていますが、私も創価学会員の投票依頼や入信勧誘が酷かった経験があり、彼氏がそうだと知った今、複雑です。 でも、最終的に相手を何処まで思えるか? ということと、私が経験した勧誘行為も、ある一部分にしか過ぎないので、冷静に何にプライオリティを置くのかを考えることだと思いました。 結婚した場合、何処まで妥協できるか?許せるか? 質問者様も、信仰問題は複雑だと思いますが、頑張ってください。
- gerard1981
- ベストアンサー率37% (3/8)
毎週教会へ行っているものです。(あと数時間後も行きます) 今、仏教徒の交際相手と一緒に住んでいます。ある日曜日、私が教会へ行くときに彼女が「ちょっと興味があるから着いて行きたい」というので一緒に行き、その後もたまーに一緒にミサへ行っています。聖体をもらうか祝福を受けるかの違いはありますが、それもまだ良く分かってないレベルだと思います。ですが、キリスト教を理解していない彼女に対して、仏教徒だから来て欲しくないなんて思いません。 「仏教徒だけどミサへ行きたい」というのは彼女の自由意志であり、ミサはキリスト教徒でなくても参加できるので、何の問題もないと思っています。 そして結果的に、彼女がキリストを信じるようになったかというとそうでもないらしく、それに対して私も特別何も思いません。 ミサってそんなに排他的なものでもなく、このように誰でも参加してOKだと思うし、逆に囲い込もうとするような場でもないと思うのですが。 引越しなどのタイミングで、通う教会はこれまで4回ほど変わっていますが、少なくとも「勧誘の嵐」は見たこともやったこともないです。 あなたが「どの宗教も受け入れられない」のは自由ですが、「宗教をするひと」をひと括りにして「宗教をしない人」(あなたの分類に合わせますが)の立場からものを言う時点で、信仰を持つ人とコンフリクトなくやっていくことは難しいのでしょうね。
- michael-m
- ベストアンサー率50% (2724/5433)
自分が「教えが正しい」と思って信じているのですから、熱心な教徒が排他的にあるのは当然の事。 私はそれこそが元凶と思っていますがそれも正しい。 貴方が宗教を嫌う理由も間違ってはいない。 でも、無神論者が持論を勧める事もまた「排他的」という点では熱心な宗教家となんら変わりはありません。 だから、他宗教の者同士の恋愛は難しいのです。 心のない真似事は、「やらない」より罪です。
- blazin
- ベストアンサー率50% (20251/40149)
間違い、間違いじゃないという話では無いと思うんだよね。 お互いに信仰という核になるものを携えて人生を共にしていく。 その中で、妥協とは別の部分で、お互いに理解してそれぞれを尊重する姿勢、歩みよりは大切になる。 それこそお互いに尊重する気持ちをベースにそれぞれの信仰をそれぞれに大切にしていく形でそれぞれが独自に動いたって全然構わないんだよ。貴方が彼女に合わせて一緒に参加しているその懐の大きさは実は凄い部分なんだよ。たださ、貴方が付き合ってくれてる部分を彼女も感じて貴方をフォローする立場に立つことが出来ないと。 参加したから結局信者っぽい振る舞いを迫られたり、そこに苦痛を感じるのであれば、それはもう敢えてそこに一緒に行く意味は無いと思うからね。自由意志での参加という形を取りつつも、取り込むような要素が多いなら、それは貴方自身に意思を持って対応しても良いと思うし。 敢えてそこに参加して反旗をあげなくても、お互いの立場を尊重する意味で参加しないのも一つだからね。 そこはもっと柔軟に考える必要があるんじゃない?お互いに。 二人の関係がしっかり保てる事が何よりの生活の軸になるんだよ。 そこに信教の違いがあっても、それはお互いに違いを認め合って、理解することで幾らでも乗り越えていけるものだからね。 あまり信教とは?とか重たく考えずに、それぞれ大事にするものを大事にして分ち合えるレベルは分ち合う形はお互いに作りつつも、基本的にはそれぞれの歩みであるという受け止め方でも良いと思うからね☆
- nnjj
- ベストアンサー率42% (172/408)
クリスチャンです。 普通のクリスチャンや普通の教会なら、 >教会では当然、毎回のように勧誘の嵐にあいます。 >「信じなくてもいいから。まずは思い切って入ってみることだ」と、踏み切らない僕を信者にするよう説得してきます。 ↑こういう事は絶対にありません。 勧誘するという事は、カルトではありませんか? >参加はするが、手を合わしたり焼香することは絶対しない」といいます。 ↑こういう事も、しません。 無くなった方に敬意を表し、無くなった方が喜ぶやり方をします。 とてもカルトの臭いがします。 お調べになった方がよろしいのではないでしょうか。