- ベストアンサー
経済成長の仕組みとカネの流れ
- 経済成長は人間の欲求に直結している
- 経済成長に伴う貨幣の流通量の増大、総資産の増大
- 経済成長の要因は複数あり、資源の採取や労働力の活用が関与している
- みんなの回答 (12)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
単純に言えば、このパソコン使いのアルバイトの子は算盤使いの800倍(8倍の速度で100人分働いた)の時給を受け取ることができる。・・・という疑問にお答えします。 社会全体として800倍受け取ることができます。しかしアルバイトの子はその時の社会の評価によって時給が決まるので単純にそのまま増えることはありません。売買の原理の一つに所得配分は立場の強い側には有利に弱い側には不利に働くという作用がありますから、アルバイトの場合には増えた所得の配分は不利になると考えられ、事実そうなっていますね。 因みに経済は需要と供給の関係で考えても何も証明できません。需要と供給を定義できないからです。では何かと言うと、得か損かで決まっています。ですから得するものを増やせば所得は増えます。テレビ、冷蔵庫、洗濯機、自動車、パソコン、携帯と所得が増えてきました。 お金は基本的に市場の取引量の増減に従い日銀が供給しています。そのため取引量が増えればお金は増えます。取引量は得なものが増えれば増加します。すると得なものの増加がお金を増やしていることになります。得なものとは労働力が得することです。要不要は関係ありません。
その他の回答 (11)
- 島崎 信也(@zakky74)
- ベストアンサー率29% (87/296)
とても素晴らしい質問だなぁと受け取っております。 ホント、そうですよね。不思議です。 この質問は、素朴でありながら経済の根幹に投げかけている質問であり、実は経済に留まらず人間活動に対して投げかけている疑問でもあるかと思っております。 少し独特な観点からの投稿かもしれませんが、お付き合い下さい。 僕は、この疑問は主題に書かれている通りですが、お金はどこから生まれるのか?というところに尽きるかと思います。それで、お金の出発について大雑把に触れたいと思うのです。 昔、お金が無かった時代がありました。 かと言ってそこに経済活動はないかと言いますと、そうではありません。お金がなくとも経済活動はありました。それは、人間活動に内包された経済活動だと観る事が出来ます。 その時の経済活動を理解する事で、お金が無い/有るの両方の経済活動を理解する事になりますが、経済の本質を観ようとする時にはお金が無かった時代とお金が有る時代の両方の経済活動を観る事が欠かせないと思うんですね。 それでこそ、お金がどこから来たのかが理解出来ると思うからです。 その為に、一つお話を用意しました。 昔々、未だお金もなく、市場などもなく、狩りや採取するのが当たり前の時代。 Aさんは、りんごに恵まれた土地に住んでいます。 ですから、Aさんはりんごはとても豊富にありました。 Bさんは、魚に恵まれた土地に住んでいます。 ですから、Bさんは魚はとても豊富にありました。 ある時、Aさんはりんごを幾つか持って遠出をしていると、同じく魚を何匹か持って遠出をしているBさんと出会いました。今まで、AさんもBさんも、遠出をして何かを持っている人と出会う事はありませんでした。 AさんとBさんは仲良くなって、色々と話している内にお互いに食べ物がある事を知りました。 Aさんから見れば、Bさんの持っている魚という食べ物はそれはそれは不思議なもので仕方がありませんでした。Aさんは、Bさんが食べている魚はとても美味しそうに見えます。 またBさんから見れば、Aさんの持っているりんごという食べ物はそれはそれは不思議なもので仕方がありませんでした。Bさんは、Aさんが食べているりんごはとても美味しそうに見えます。 お互いに、お互いの持っている食べ物を自分も口にしてみたいと思います。 そこで、AさんはBさんに魚を譲ってもらえないかと頼みます。Bさんは、それに同意しますが、魚を譲る代わりにAさんのりんごを譲ってもらえないか、と頼みます。Aさんは、それに同意します。 AさんはBさんにりんごを、そしてBさんはAさんに魚を譲ります。 こうして魚とりんごの交換が成立しました。 それからというもの、AさんとBさんは定期的にあってはりんごと魚を交換する様になりました。Aさんは、それまで毎日ずっとりんごばかり食べていましたから、魚と出会える事は∞の喜びがあります。同様に、Bさんは毎日魚ばかりでしたから、りんごとの出会いはやはり∞の喜びでした。 如何でございましょうか? ここまでがお話でしたが、ここから人間活動と経済活動を観る事が出来るのではないでしょうか?つまり、交換する事によって、∞の喜びと出会いましたし双方が同時に要求に対して認定しておりました。 この時に重要な事は、 1.お互いに需要があった 2.自分が必要とするものを相手が持っていた 3.交換する際には双方の認定があった 4.交換した後には、新しい出会いによる∞の喜びがあった などでした。この1~4のプロセスには、認識や判断などがあり、心の状態や感情とも密接な関係が込められている事がよく分かります。そして実に面白いのは、交換する事によって双方が同時にそれまで以上に喜び・感動・幸せ・問題解決と出会えているという点です。 これが人間活動の中に観る経済活動です。 先ほどの話に続きを加えてみます。 やがて、Aさん、Bさんだけでなく、そしてりんごや魚だけでなく、多くの人間や食べ物との出会いが起こりました。その度に、同じ様な事が起こってきました。勿論、交換は双方の認定によるものですから、1:1が基本です。 ある時まではそれでよかったのですが、人間の事ですので色んなものに出会いたいですし、可能ならば何でも手に入れて経験したいと思います。ですので、1:1の交換や交渉よりも、誰もが皆、それぞれ交換していくのだったら1:1で交換するのではなく、全部を足し算してそこから均等に分ければ良い事に気付きます。 ですので、1:1での交換や交渉というよりも、みんなが集まって同時に話し合い、全員が理解・納得できる形でのルールが出来上がりました。勿論、基本は 1.全員に需要があった 2.自分が必要とするものを他の人、皆が持っていた 3.交換する際には全員の認定があった 4.交換した後には、新しい出会いによる∞の喜びがあった でした。1:1での交換が多:多の交換に移動します。その移動が可能になったのは、個人一人ひとりの認識・判断・心情と、全員・全体の認識・判断・心情が一致するものだったからです。特に、多:多の交換についてルール化されると、1:1の交換の時よりも時間も労力も圧倒的に減らす事が出来たので、とても便利で都合が良く、この事もまた個人一人ひとりにとっての新しい出会いであり、問題解決となりました。 ただ、段々交換する際に偏りが出る様になりました。 例えば、りんごがやたらと沢山収穫できた、魚はりんごよりも速く傷む、などの食べ物に付随する個々の特徴ゆえに、必ずしも交換の比率は1:1の対応にはなりませんし、好き嫌いの好みも出てきますとこれも同じ交換比率では理解・納得に苦しみます。 つまり、認識・判断・心情と密着した1.~4.でありました故に、個々人の認識・判断・心情は必ずしも同じ比率にはなりませんでした。そうなってくると物々交換を図るよりも、何か別の代替物を使う事が便利になり、それが食べ物だと傷むので傷まない何かで全ての食べ物と交換できる代用品を使う事で共通のルールが出来ました。 勿論、その時には、代用品を使う事に関して 1.全員に需要があった 2.代用品に代わるものを、皆が持っていた 3.代用品を通して交換する事には全員の認定があった 4.交換した後には、新しい出会いによる∞の喜びがあった が起こっています。 如何でございましょうか? もうお気付きかもしれませんが、代用品とは後の時代のお金に相当するものであり、共通のルールにより交換が行われる場は後の時代の市場(いちば、しじょう)に当たりますし、共通のルールとは法律や憲法など政治の舞台でもあります。 文字制限が着々と近づいているので、ここからは少しアップテンポにて話題の収束に向かいます。 重要な事は、本来は交換や取引に関わる人たち全員の認定が必要ですし、認識・判断・心情が絡み合いながら、全員が幸せになっているという点です。 ところが時代が進むに連れてルールは固定化されてきます。 毎回、その度にルールが変わると、交換・取引のスピードが落ちますし、話がまとまらないからです。ルールは、できるだけ安定させた方が良いし、まとまる為に平均値を取る方向性が生まれます。 後から生まれてきた人は、教育によって暗黙の了解としてルールが刻まれますので、本来は後から生まれてきた人が異論を唱えればルールは変更されても良いハズ(全員の幸せの為に全員の認定・判断・心情が機能する為に)ですが、赤ちゃんの時から、暗記・暗記・暗記・・・の形で教育されますと、そんなもんかなぁ、としてルールは常識化された状態で認識・判断・心情に組み込まれる様になります。 さて、ルールの出来上がり方は、王様の時代は王様が独裁で持って決めましたが、フランス市民革命やイギリス産業革命が起きて以降は、王様の変わりに市民(当時の市民は商人)が市民権によって決めました。 ルールは、実は一部分の人によって決められています。 理想である全員の認識・判断・心情が絡んでいる訳ではありません。そして、ルールによって個人一人ひとりの認識・判断・心情が制約を受ける様にもなってきます。 必ずしもルールには全員の認識・判断・心情が絡みはしない為に、ルールそのものについても無知な人が多く、仕組みそのものを変化できる道がある事に気付きません。寧ろ、そんな事は無理だというあきらめの論理の方が強くなります。 お金がどこから生まれるのでしょうか? 始めは、交換する際の双方の意志でした。そこには交換・取引に関わる全員の認識・判断・心情が前提にありましたし、その上でお金が誕生する様になっています。 ですが、社会や文明が形成されてくる中で、ルールを創れる側と創れない側の様に、格差が生まれる様になりました。そのルールは、個人の認識・判断・心情にも関わる様なルールでもありましたし、交換・取引を変更するルールでもありましたので、貨幣から紙幣、実体経済から金融経済、そして金融派生商品だとか、お金は然るべきところが印刷すればお金になるだとか・・・そうした現代なりのルールへと転進してきます。 如何でございましょうか? お金がどこから来て、何によって今があって、そして見えにくい仕組み・構造が出来上がっているのかを大雑把ではありますがお伝えしたつもりです。 分からない事がありましたら、また追加でお尋ね下さいませ。
- kawasemi60
- ベストアンサー率17% (119/676)
FRBの主要活動に原資は不必要です。 言うならば紙幣の名前とデザイン料金 が原資です。世界中の紙幣のです。 紙幣として認定する権利が原資です。 FRBに認定されなければ世界で交換を 含めて通用しません。 FRBは認定する数量で支配しています。 存在しない紙幣を貸し出す事が可能 なのは紙幣は同時に使用されない。と いう状況が在るからです。これを続ける には紙幣の存在量を増やす事が有利です。 それが現金以外のお金が増えて行く理由。 銀行が流通力の在るお金を集めてFRBに 差し出すと数十倍ではあるが流通力の無い お金をもらえます。このお金を貸し出して 人々の労働を利用して流通力の在るお金 に変えていく。それが世界の銀行システム。 日本に許されているのは流通力を与えると いう部分だけです。つまり労働だけが許される。 アメリカが数十倍をこえて数百倍で動いた のが投資バブルと言われる物なのです。 その結果がドル暴落先延ばし戦争です。
- Broner
- ベストアンサー率23% (129/554)
maanantoka、まあなんとかさんの、仰るとおりです。 信用を創造しない経済は、労働効率の向上により、所得が増えます。 逆に言えば、市場で、通貨量が一定であれば、生産が増加するので、供給量が増加し、人口に変化が無ければ、需要量は一定ですから、物価が安くなる、デフレになります。 そう、通貨量、信用量を増加させなければ、デフレになり、所得は増えます。 デフレになると、商品の売れ残り、在庫が増えて、ディスカウントを余儀なくされ、不景気になるというマスコミの理論でした。 これ間違い、パソコンで考えると、労働効率の向上は、CPU、ハードディスクの容量の増加に繋がり、それが、再労働効率の向上に繋がり、生活は豊かになる。 何処が違うのかと言えば、在庫が増える、絶対在庫が増えると、それしかないと考えてしまう所が、間違い。 具体的に考えて見ましょう。 例えば、衣、労働効率の向上により、絶対在庫が増えるしかないか、それは無い、就業人員を減らせば可能。 食については、生産は土地の面積に関連するので、労働効率の向上は、品種改良による増量が主となる。 絶対在庫が増えると、それしかないと考えてしまう、作付け面積、就業人員を減らせば、可能。 住については、同様に、就業人員を減らせば、可能。 生活用品、電化製品、同様に、就業人員を減らせば、可能。 そして、減らした就業人員を、新たな需要を創造して、そこに割り当てる。 これを上手に、循環させれば、よい政治となります。 たとえば、新しい需要として、休日を増やし、旅館などの観光業を増やすも一策です。 円満解決です。 信用量の増加のある経済は、銀行連の債務による世界支配の世界です。 行うべきではない。国民は奴隷状態です。 インフレターゲット論が、これを擁護します。
- maanantoka
- ベストアンサー率18% (14/77)
待ってましたよこの質問、実はマル経でも近経でもこれは応えられない。だから現在の経済学は社会科学なのです。何故なら基礎の基礎がないからです。経済をお金と商品で考えていくと永遠に答えが出ないんです。堂々巡りするだけでこの重要な質問には回答できないのです。 これを理解するためには経済学の常識は捨ててください。そうすると答えは簡単に導き出されます。 そこで必要なのが資本主義(信用)経済と通常(信用創造をしない)経済に分けて考えることです。そして基礎ですから信用経済は省きます。資本主義以前の経済と言うことになります。では経済は何かというと売買の集まりです。売買は何かというとお金と商品の交換事象です。お金は何かというと商品の代用品です。では商品は何なのでしょう。労働力の塊です。つまりお金も商品も労働力だと言うことです。すると売買は労働力の交換となり、経済は労働力の交換事象です。ですから経済は労働力の一元論ですみます。この労働力量が増加すれば経済は良くなり、増えなければ停滞ということになります。ではどうしたら労働量が増えるか、簡単ですね。労働人口の増加、労働時間の増加、労働効率の向上ですね。この内労働効率の向上だけが一人当たり国民所得を引き上げることができますね。つまりお金の増加も資産の増加もすなわち労働量の増加がもたらしたものです。もともとどちらも労働力ですから当然です。投資と技術により労働効率が向上すれば経済は成長します。池田隼人首相がやったのはこれです。 非常に荒っぽい説明で理解できたでしょうか。現在の経済論にはない考え方なので腑に落ちないかもしれませんが売買にはこの他に5つの基礎原理があって、さらに信用経済の働きが加わりますから、いろいろの事象が起こります。こういった基本的な質問が増えるといいですね。。
お礼
ご回答ありがとうございます。 労働効率の向上が所得の向上につながる、ということは例えて言えば ここに荷物がある。その荷物がリヤカー1台で大人一人が一日で運べる量だったする。 この量の1000倍の荷物を、大人一人がトラックで一日で運べるとするならば、 単純に言えば、このトラック運転手は、リヤカー曳きの1000人分の月給を得ることができる。 ここに伝票がある。その伝票が算盤を使って大人が一日がかり(8時間労働)で計算できる量だったとする。 この量の100倍の伝票をアルバイトの子がパソコンを使って1時間で計算してしまうとするならば、 単純に言えば、このパソコン使いのアルバイトの子は算盤使いの800倍(8倍の速度で100人分働いた)の時給を受け取ることができる。 だから、現代人は過去の給与所得者の何倍もの給与を得ることができる、ということでしょうか?
- Broner
- ベストアンサー率23% (129/554)
BIS の規定を学ぶことです。 その銀行の、自己資本比率について、学べば理解できるでしょう。 あなたのお望みの回答になっているのか、疑問ですが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 BISを学べばいいんですね。
- zhuwu
- ベストアンサー率36% (32/88)
まず、二点指摘させていただきたい。 不況になると貧乏人云々とおっしゃるが、これは一部の経済学者が言っていることであって、あなたのいう貧乏人という方々がとやかく言っているという事実はない。正直、貧乏人という言い回しに、ある種の嫌味すら感じた。それと、金持ちが資産を現金化して不況になるのではなく、不況になったから資産を現金化するリスク回避行動をとる。これは、不況を長引かせる要因ではあるが、不況の原因ではない。 もうひとつ、株式市場がゼロサムゲームというのも間違いであるといわせていただく。あなたが言うものは、先物市場などの現物株以外のことを言ってるのだと思う。ならば、せめて、金融市場とか金融商品とか言って欲しい。ただでさえ愚かなマスコミが誤解を招くようなことばかりいっているのに、本当に迷惑だ。 質問に対する答えですが、簡単に言えば、お金の量が増えたのではなく、お金の価値が上ったのです。かつて1ドル360円だった円が、今は大体1ドル90円です。日本人が持っていた資産の価値がかつての4倍です。 貨幣の流通量自体は、経済学・会計学上一定です。金利を下げ金融緩和をして市場の資金の流通量を増やしても、それはいつか必ず返ってくるお金なのだから、会計的にはいわゆる負債扱いなのです。
- sudacyu
- ベストアンサー率35% (687/1961)
私的には、50年前なら、かなりきちんとした答えが出来たのですが、現在は出来なくなっています。 昔であれば、 1、一人の人間が今までと比べて二倍働いて、二倍生産すれば、経済の全てが二倍になるから、通貨量も二倍必要。 2、一人の人間の生産が今までと全く同じで、人口が二倍になれば、通貨量も二倍になる。 という公式が通用しました。 基本的に、中国やインド、池田隼人の頃の日本などは、経済学の教科書通りの、「経済成長」の説明で良かったのです。 一応教科書通りの説明をしますと 基本に、潜在的需要が大きくあって、生産物が少なくて、収入も少ない社会では、人が1.5倍生産すれば(=1.5倍忙しくなれば:1.5倍生産性が上がれば)、消費も1.5倍になって、収入も1.5倍になるから、人口が増えなくても、経済も1.5倍成長したことになります。 池田隼人の所得倍増計画は、荒い計算で行いうと、これに加えて物価を1.4倍にすれば、所得は2倍と言うシステムになっています。 この古典的経済成長の前提条件としては、生産物が「生活必需品」またはそれに準ずるものという条件が必要であろうかと思います。(経済学者は、そうはいっていませんけれども。) 現在は、人間が生存に必須ではない物の生産が、経済生産の半分以上を占めています。そうすると古典的経済理論の基礎の基礎が適用できる「基礎理論で説明できる経済部分」が、実際の経済規模のうちの半分以下と言う状況になってしまっており、『経済の基礎の基礎』では説明できなくなってしまっています。 例:液晶テレビ 50万円したものが短期間に10万円に値下がりしています。また、家族世帯では複数のテレビが家庭内にあります。 この場合、生産台数が5倍になっても、価格ベースでは経済成長がゼロと言うことになります。 また、液晶テレビが1台少なくても、生活にほとんど支障はありません。 また、資源供給において、地球の有限化の問題もあります。 例:経済モデルでは、価格が上がれば供給が増えると言うことを前提にしています。人間の経済活動が地球や自然の容量に比べてはるかに小さければ、そのようなことも言えるでしょうが、既に「地球」は、人間にとって有限です。 *果たして、このような経済で、今までの経済モデルが通用するのでしょうか。 日本では、デフレと言うことになっていますが、本当にデフレなのでしょうか。 食料品は、毎年値段が上がっています。 工業製品と食料品を同じ物差しで測って、一方が値下がりで、他方が値上がり。平均してデフレ。 そのうち、新しい工業製品が普及し、それが開発当初の高い価格で物価統計に組み込まれ、急速に安くなって、デフレ経済であるということになる一方で、食料品など生活必需品は常に値上がりしていく。 また、工業生産に必要なエネルギー・資源は有限です。 アメリカは、中南米からの移民が流入することによって、大きな潜在需要のある人口を増やしており、ヨーロッパは、東欧をユーロ圏に組み込むことで、新規の潜在需要を獲得していますから、日本ほどは経済基礎理論からの乖離が大きくならずに済んでいると見られます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 今は公式が通用しないんですね。
- potatorooms
- ベストアンサー率28% (3506/12498)
カネで見ないで、資産、特に、社会資本でみると、分かりやすいですよ。 動くものでみると、いろいろと配慮がいるんで、不動産でみて、そこから広げてみましょう。 東海道の交通手段は、特に分かりやすいですよ。 経済は、資産と稼働率です。 池田勇人の所得倍増計画の背景には、世界銀行からの巨額の借り入れがありました。返済が終わるのが前世紀末になるほどの巨額の借入です。これをもとに交通を中心とした社会資本を充実させ、資産と生産の稼働効率を飛躍的に高めたんです。 コンビナートなどの効率的な生産拠点を作り始めたのもこの時期です。 弊害もありましたが、豊かな日本を方向づけた決定的な時期でした。 投資を誤れば、返せない借財を国として抱える大きな政策でした。 けっして、ITバブルの時のようなマネーゲームで作られた豊かさではないです。 ただ、社会資本は古くなり、更新されなければ競争力はなくなります。 社会制度も同じですね。 この転換がうまくいかずに、ゼロサムでの取り合いが進んできたのが今世紀の日本なのでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 資産性の稼動効率が鍵ですね。
- Kunfu
- ベストアンサー率38% (164/424)
経済は、人口増加と生産性向上の2つによって成長します。 日本でいうと、江戸の初期1200万人くらいの人口がわずか100年の間に3000万人くらいになっています。 その後、明治維新までピタリと増えていません。 これは国内的にも外国とも戦争がなく、農業の生産性も上がり急速に人口が増えたのですが、3000万人くらいが日本国土で養える人口の限界でした。 それが、明治維新で工業の近代化が興り生産性が飛躍的に向上すると、人口も100年しないうちに1億人を超えます。 生産性の向上が養える人口を増やし、さらに生産を拡大します。 世界的に見れば、古代は農林水産業など1次産業が産業の基盤でしたが、だんだん2次産業と3次産業の生産性が向上していきます。 トロイ戦争は東西交易の拠点であったトロイの富を巡って起きたのであって、けっして美女を争うようなロマンチックなものではありません。 古代の陸路による交易の時代はペルシャやインドの商人たちの生産性が高かったわけです。 それが大航海時代になるとスペイン、ポルトガル、オランダ、イギリスが栄えます。 重商主義といって、交易が産む富で潤った時代となります。 そして、イギリスの産業革命で、工業の生産性が飛躍的に向上しヨーロッパとアメリカは経済的に繁栄します。 この近代化をアジアで唯一成し遂げた日本は、明治維新からわずかの時間で人口と生産性の向上を果たした結果、日本のGDPは中国とインドを併せた額にまで達しました。 最初に人口のことを書いたのは、近代化前における国の経済規模というのは、人口にほぼ比例するものだったのです。 つまり、日本の生産性は産業の近代化をする前の中国・インドの20倍以上になっていたのです。 一人あたりの生産性が20倍以上ということです。 社会の近代化がさらに進むと「産業のサービス化」が起こります。 アメリカや日本のGDPを見ると、工業より証券・金融などのサービス産業が大きな割合を占めています。 とくに近年の金融工学の発展に伴ってサービス産業の生産性も向上しています。 お金はどこから出てくるかと言えば、生産性を上げるための投資をするため銀行からお金を借ります。 1億円の預金を預かっている銀行が9000万円を貸し出すと、預金者の1億円は1億円ですが、借り手にも9000万円のお金があります。 これで通貨量が増えるので、日銀がお札を印刷しなくても通貨供給量は増えます。お金は1億9000万円に増えます。 日銀は、民間銀行にお金を貸し出して通貨供給を増やしたり、銀行の預金準備率を上げさせて貸し出しを制限して通貨供給量を減らしたりします。 だから、通貨供給量というのは、実際に市場にあるお札やコインの量とは違って、はるかに多いのです。 これが基本だったんですが、現在はグローバル市場から投機資金が世界中を駆け回っているので、なかなか日銀が思っているように行きません。 ここで、日本の成長がなぜ止まったのか? 人口そのものは2006年ごろピークアウトしましたが、生産人口はもっと前から減少に転じています。 だったら、以前のように生産性を上昇させて生産を増やせばいいわけです。 しかし、どうしてそうしないのかと言えば、日本は供給過剰になっていて需要が不足しています。 いわゆるデフレ・ギャップというやつです。 需要を増やすために、菅首相は「なるべく財政出動と伴わない」需要の増加と規制緩和をすると言っています。 財政出動しないとダメなんです。 バラマキからコンクリートにして有効需要を増やして、供給を増やす規制緩和をしてはいけません。 完全に財務省の官僚に騙されています。
お礼
ご回答ありがとうございます。 人口増加と生産性向上が鍵ですね。
- kawasemi60
- ベストアンサー率17% (119/676)
世界の通貨はFRBからやってきます。 少なくとも完全支配下に置かれている。
お礼
ご回答ありがとうございます。 FRBからやってくるんですね。 FRBはその原資をどこから調達しているんでしょうか?
- 1
- 2
お礼
ご回答ありがとうございます。 >社会全体として800倍受け取ることができます。しかしアルバイトの子はその時の社会の評価によって時給が決まるので単純にそのまま増えることはありません。売買の原理の一つに所得配分は立場の強い側には有利に弱い側には不利に働くという作用がありますから、アルバイトの場合には増えた所得の配分は不利になると考えられ、事実そうなっていますね。 確かに、実際問題はそうなりませんわな。 雇い主としては 「確かにアルバイトの子はそろばん使いの800倍の作業をこなした。 しかし、そのパソコンは誰が用意した? 机は? 椅子は? そのほかの什器は? もっと言えば事務所は? 会社は? 仕事は誰が用意したの? 全部、社長である私が用意して、”仕事をさせてあげた”のでしょ。 だったらアルバイトの子にそろばん使いの800倍の時給を渡すわけにはいかんわな。 パソコンの腕前は認めるから、そろばん使いの1.5倍の時給で我慢して頂戴。 あ、それから勘違いしたらイカンよ、君の代わり、いくらでも居るからね」 ってなとこでしょうね。 話は少しずれますが、ある会社に多数の優秀な人材が集まっていました。 行政書士、不動産鑑定士、宅建主任者、旅行業務取扱管理者、情報処理技術者はいうに及ばず、 弁護士、公認会計士、社労士、早慶上智出身者、東大法学部出身者、などなどなど 多士済々の社員が終結し、さまざまな事業を行い、経営の多角化を図っていました。 多くの人は、 「あそこは優秀な会社だねえ。超高学歴社員やら、優秀な有資格者がたくさん居るから何でもできるね」 といっていましたが、私は違うところに目をつけていました。 その会社の創業社長にしてオーナー社長は高卒だったのです。 高卒の社長が弁護士やら公認会計士やら東大卒をコキ使っているのです。 社長はパソコンを使ったことは一度もありません。でもその会社は情報処理事業やプロバイダ事業を行い、社長はその業界の理事職にも就いています。 車の運転もいつもお付の運転手です。社長就任以来、ずっとペーパードライバーだそうです。でも会社は中古車販売事業も行っています。 私はこの事実に社会の不条理さと虚しさ、儚さ、ばかばかしさを覚えました。 話ずれましたのでこの話題は忘れてください。