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公理と定義はどうちがうのでしょうか?
公理とは「仮定」のことです。 「仮定」とは「仮に定めたもの」です。 「仮に定めたもの」とは「仮に定義したもの」です。 「仮に定義すること」(公理)と「定義すること」(定義)は同じなのではないのでしょうか? 定義と公理のちがいは何でしょうか? 例えば行列のかけ算は縦と横を掛けて足しますけど、 それは定義です。 しかし、それを公理と呼んではいけないのでしょうか? また、たとえば分配法則は公理ですが、これを定義と呼んではいけないのでしょうか?
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たびたび、失礼します。#15の補足拝見しました。 >その式の左辺が「未知」のものならその式は定義であり、 定義は式だけではなく、用語や概念、方法等に対してなされる決め事(名前付け)です。逆に新しい概念に名前をつける(定義する)ことによって、数学は発展、拡張しますから、その意味で引用部分は数学の本質をついていると言えます。 ただ、率直に言えば定義の場合は定める、決めるというようなキーワードが出てきますので、未知かどうかは判断しません(というか、できない。判断しようとすると、数学のあらゆる知識が必要になりますし、そういう知識を持った人はどこにもいないでしょう) >「既知」のものならその式は公理である 公理ではなくて命題です。公理は命題の一種であり、 議論をする上での前提です。
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- graphaffine
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定義は、前提となる命題、定義は用語や概念の 意味を明確化する事です。 行列の積は命題になっていません。
補足
行列のかけ算が命題でないのであれば 数のかけ算も命題でないということでしょうか? つまり2×3=6は命題でないということになりますでしょうか?
- inayou
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「定義」とは、「その言葉に含まれるものを分ける」もの。また、言葉の言いかえみたいなもの。 例えば、「奇数」を、「2で割り切れない整数」と定義すると、これ以降、「奇数」という文字が出てきたら、「2で割り切れない整数」と言い換えてもよい、ということです。 数学から離れると、「若者にアンケートをした」と報告があったとすると、「若者」という言葉の定義をしないとこの報告は意味がなくなります(何歳から何歳までを若者と呼ぶかなど)。その「若者」という文字に含まれるものを決めたのが「定義」です(人によって定義が代わる場合があります)。 一方、「公理」は、「数学で証明するにあたって、前提として仮定」したもの。 例えば、数学ではあらゆることが証明されているが、さかのぼっていけば公理に行き着きます。公理は証明できません(人間は無限にさかのぼれないため)。よって、公理が間違っていれば、この上に成り立っているものすべてが間違っているということになります。 つまり、「公理」は、さかのぼることをあきらめた結果のもので、無批判に認めざるを得ないものです。
補足
>数学ではあらゆることが証明されているが、さかのぼっていけば公理に行き着きます。 線形代数でいろんな定理がありますけど、さかのぼっていけば「行列の積の計算方法」に行き着きませんか? この計算方法を否定したら線形代数の定理はすべて破棄されます。 ですので僕には「行列の積の計算方法」と「数の分配法則」が最終的に行き着くものとして、同じに見えてしまうのです。
- nejiyama
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公理と定義は絶対に混同してはいけません。 まず定義というのは、言葉の解説という解釈が正しいと思います。 つまり、 >例えば行列のかけ算は縦と横を掛けて足しますけど、 >それは定義です。 というのはむちゃくちゃです。 定理といったほうが近いと思います。 定義の例としては、「直線とは点の集合である」というのがそうです。 そして、公理というのは、そう決まっていることです。つまり、理屈は無いです。 例として、「直線上には少なくとも二つの点が存在する」。 まとめると公理という"理屈のない、そう決まっていること"から、導き出されるものが、定理です。その公理や定理の中の文章で、意味を決めるべきものを解説した文章のことを、定義というのです。 ですから、公理と定義というのはまったく別の質のものなのです。 何かわからない場合は、補足質問のところにお願いします。
補足
>>例えば行列のかけ算は縦と横を掛けて足しますけど、 >>それは定義です。 >というのはむちゃくちゃです。 >定理といったほうが近いと思います。 これは絶対に違います。今本で確認しましたところ、「行列の積の定義」という題名で横と縦を掛けて足すやり方が書いてありました。 行列の積の計算の仕方はそう決めたことであり定義です。 高校の頃の授業の記憶でも先生が 「行列の積はどうしてこんな計算の仕方をするのか、証明してみろと言ってもダメですよ、そう決めただけなんですから」 と言っていたことを今でもはっきりと覚えています。 定理というのであれば証明できることになりますが、 そのような証明はできません。
- rinkun
- ベストアンサー率44% (706/1571)
No.3さんも間違っているな。 > 「線は太さを持たない」 > 「点は大きさを持たない」 この辺は定義でも公理でもない。これらの記述は数学的には何も言っていないから。 あとNo.2で書いた「分配法則は公理」というのも何時でも言えることではなかったですね。 代数を公理系で与える場合は公理にしますが、構成的に構築した場合は証明できる定理になります。 行列の掛け算についてですが、要素の積和を使った計算式で定義するのでなく別の方法で行列の掛け算を定義して、その定義での掛け算と要素の積和の式が一致するという命題を作れば、その式は定理になります。 # 確認していませんが公理にはならないでしょう。
補足
行列のかけ算の計算方法を「横と縦を掛けて足す」と「決めた(定義した)」 のであれば 分配法則(a(b+c)=ab+ac))について、 左辺のa(b+c)の計算方法を「カッコの外の数をカッコの中の数にそれぞれ掛けて足す」と「決めた(定義した)」 と言っていいような気がするのです。 >確認していませんが公理にはならないでしょう。 とのことですが、分配法則は公理になるのに何故行列の積は公理にならないのでしょうか?
- nadja
- ベストアンサー率33% (5/15)
非数学屋の僕からのコメントが当たっていないかもしれませんが、、、ぱっと見でwatermelon7さんが疑問に思っている数学の問題に対して考えてみました。 「公理」とは、いろいろと条件(問題)を分岐させていくときりがないので、最初に、「どこどこの土俵で数学の話をします」と宣言するものではないでしょうか?その土俵の上で数学をしますと最初に宣言して、それ以外の補集合のことはひとまず考えないようにすると宣言が、「公理」ではなかったでしょうか? そしてひとつ土俵が決まれば、たとえば引退したけど背の低い力士を「舞の海」と「定義」するとか、比較的イケ面の外国人力士を「琴欧州」と定義する、という感じで、用語を導入しているのではなかったでしょうか? それでいうとrinkunさんが語っている「概念の省略コマンド」と同じことですが、、、、 もしかしたらこの数学を取る土俵のことも「定義する」で言うこともできなくはないかもしれませんが、それは数学のコミュニティーの用語の慣例があるので、なんともいえませんが、、、、 これってアドバイスになっていないかもなぁ。
- dollar
- ベストアンサー率33% (63/190)
確かにNo.1さんの回答は違いますね。 公理は一種の定義です。「定義」のほうがより大きな概念を指示すると思ってください。 「定義」とは、勝手に決めたもので証明不要のものです。 「f(x)をこれこれしたものをf(x)の導関数と呼ぶ」など。 一方公理とは、数学の根幹をなす定義のことです。 「線は太さを持たない」とか「点は大きさを持たない」とか。 その定義でないと数学全体が成り立たなくなってしまうような根本的な定義が公理だと思ってください。 定義には「自身を除く約数の和と自身が等しいような自然数を完全数と呼ぶ」など、数学界全体から見ればどうってことないようなものも入っていますよね。
補足
行列のかけ算が定義で、分配法則が公理であることの理由がいまいちわかりません。 行列のかけ算が定義なら、分配法則も定義と言っていいような気がしますし、 分配法則が公理なら、行列のかけ算も公理と言っていいような気がします。
- rinkun
- ベストアンサー率44% (706/1571)
No.1さんのは間違ってますから。No.1で定義と言っているものが公理で、公理と言っているのは定理です。 定義は名前付けです。例えば「三本の直線で囲まれた図形」を三角形というとか。証明などで長い言い回しを毎回すると煩雑ですから簡単な言葉に置き換えるわけです。 これには正しいとか正しくないという概念はありません。一般的かどうかという話はありますけどね。 公理というのは証明の際に基盤にする言明(命題)です。論理的な証明を突き詰め証明で使う言明を更に証明することを繰り返すと最終的には循環論法に陥り絶対的な証明ということができなくなるので、何らかの基盤が必要です。そのために証明なしにあらかじめ「正しい」と決めた言明が公理です。 定理は公理を元に証明できる言明です。 ちなみに分配法則は公理ですが、この法則(a(b+c)=ab+ac))を分配法則と呼ぶというのは定義です。
補足
>分配法則は公理ですが、この法則(a(b+c)=ab+ac))を分配法則と呼ぶというのは定義です。 とのことですが、行列のかけ算についてはその計算方法自体が定義となっています。 一方、分配法則のほうは計算方法自体は公理ですよね? 分配法則の左辺から右辺へ導くやりかたを定義と呼んではいけないのでしょうか?
- hirokazu5
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定義とは、人間が決めてやらなくっちゃいけないモノ。 直線とは何か、線分とは何か、平行とは何か… ユークリッド数学では「平行な2本の直線は交わらない」、これ定義。 非ユークリッド数学では「平行な2本の直線は1点で交わる」とか「同じく、2点で交わる」とか。これ、定義。 公理とは、わざわざ人間が決めてやらなくたって 他の定義の数々から導き出すことができるモノ。 かな。
補足
公理とは定義から導き出されるものなんですか? 僕は公理とは何からも導き出すことができないものだと思っていました。 どんな公理でもいいので、定義から公理を導いた例をおしえてくれませんか?よろしくお願いします
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お礼
やっと理解できました。 僕が理解できなかったすべての原因は、 「イコールには2個の意味がある」 ということを考えずにいたことです。 イコールには命題を表すイコールと、定義を表すイコールの二個があるのです。ここを区別しなかったので、公理と定義が同じに見えてしまっていたのです。 レスをくださったみなさん、僕の疑問におつきあいいただき感謝しております。 ありがとうございました。