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フラグが元寇の総司令官だったら
13世紀後半に2度に渡って行われた元寇は鎌倉九州武士団の勝利に終わりましたが、元軍の主力は高麗と南宋の二線級以下の兵力でしたね。 もしフラグ(元寇時期には既にこの世にいない)とその配下のモンゴル最強部隊が攻めてきていたら、戦況はヤバかったですか?
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鎌倉武士を侮るなかれ、何度来ても元軍は日本に侵攻できないです。 元軍の主力は平原で戦うので騎馬隊が主力です、九州北部には騎馬隊 が活躍できるような平原はありません、山間部には奈良時代に造られた水城などの土塁に阻まれ、山間部の戦に不慣れな元軍の侵攻が 頓挫します。 馬は神経過敏な動物ですので、船酔いで能力が発揮出来ないです。 日本の海岸線は海べりまで山が迫っているので、大軍が上陸 出来る地点は限られるのです。 ここからは、WIKIに記載されている事柄です。 2回の元軍の侵攻は博多の街を焼いただけで、大宰府まで攻め入る 事が出来ませんでした。 1回目は博多湾に停泊すると夜襲されれるので湾の外に出ました、 秋から冬場の玄界灘は荒れるので体調不良者が続出したので、 朝鮮に引き揚げました。 2回目は元・高麗軍を主力とした東路軍と旧南宋軍を主力とした 江南軍の2本立てで進軍して来ましたが予定の2週間を過ぎても江南軍が到着せず東路軍単独で攻め込みましたが結果は1回目と同じで した、玄界灘で待機中に、やっと江南軍が到着しましたが、兵も馬 も疲弊して戦える状態でなかったので日本侵攻を諦め順次、朝鮮に 引き揚げていました所に、時は6月梅雨時期の台風に依り艦船が 暴風雨に見舞われたのです。 3回目をフビライは計画してました、行きがけの駄賃宜しく、 江南軍でベトナムに侵攻しましたが、ベトナム軍の計略で 火攻めに遇い、艦船の殆んどが消失したので、3回目の日本 侵攻は頓挫しました。 フビライは樺太にも侵攻しており戦争漬けの生涯でした。 --------------------------------------------------------------------- 朝鮮の水軍を侮ってはいけません、豊臣秀吉の朝鮮出兵では、 朝鮮水軍に海路を支配され、補給がままならず、日本軍は窮地 に立たされました、朝鮮に援軍で派遣された明軍の暴行・略奪 の蛮行がひどい有さまだったので、朝鮮側は講和に応じたのです。
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- kaitara1
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補給の問題が決め手になったのではと思います。