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風待ち月の由来
旧暦十二月の異称は春待ち月でとりあえず由来が想像できるのですが、同じく旧暦六月の異称風待ち月の由来がわかりません。教えてください。
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日本は江戸時代までは90パーセントの人が農業に従事する農業国でした。したがって、国の行事は農業をそれも稲作を中心に組みたてられていました。風は台風などのように稲作の生育・収穫に重要な影響を与えます。このため、人々は風に強い関心を寄せ、季節のうつろいや事態の変化などを風にことよせて豊かに表現するのはこのあらわれといえます。古代には風は生命の根源と考えられ特別な風に当たると受胎するとも感じました。旧暦の六月は田植えも終わり、稲の無事な生長を祈りつつ、暑さの峠を迎える季節です。この時期に吹く風が豊作に導いてくれるものと昔の人は思ったのでしょう。その時期に吹く南風を青嵐ともいいます。いなびかり(稲光)のことを稲妻というのも、稲の無事な生長を願った昔の人の名残でしょう。
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- cotiku
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どちらが先かわかりませんが 二四節気の 12月節は小寒、12月中は大寒、正月節は立春、正月中は雨水 6月節は小暑、6月中は大暑、7月節は立秋、七月中は処暑 立秋は今の8月8日頃、秋風が立ち始めるころです。 ついでに余計なことを書かせていただきます。 暦について最近思ったのですが 元日を立春にすれば行事・伝統・日本語・・・ わかりやすくなるんじゃないかと。 詳しくは下のURL。
お礼
重ねての丁寧な回答ありがとうございます。 改めて、日本人の中にある風と季節との関係性が、よくわかりました。
- cotiku
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旧暦1月には立春ですね。7月には立秋ですね。 秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 古今集 藤原敏行朝臣の歌が参考にされたのではないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、歳時記的な世界からすると、cotikuさんのご指摘のように、風に微かな秋を汲み取る感性は説得力ありますね。例示された歌の頃には、風待ち月の異称はなかったのでしょうか。どっちが先という部分が気になります。風待ち月という言葉があったから生まれた歌っていうことはないですよね。
お礼
大変わかりやすい回答ありがとうございました。 稲妻のことまで言及していただき、より理解が深まりました。 青嵐のことも初めて知りました。ところで、かつて中川一郎が率いた青嵐会は、この言葉を由来としてるんですかねぇ。