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五月五日の節句の由来について

五月五日の子供の日の由来について、詳しく教えていただけた。あんまりおめでたいことではないと聞くのですが。。。中国の七賢人の屈原が関わっていると思うのですが、見当違いだったでしょうか?よろしくお願いします。

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  • kohji
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回答No.6

補足します。 菖蒲についてですが、これも中国起源で、元々旧暦の5月が高温多湿で伝染病や害虫の害が甚だしく、悪月とされていました。そのため5月5にちなんで、避邪防病のためとして、薬草を摘み、家の門にヨモギで作った人形や虎あるいは菖蒲で作った剣を飾り、菖蒲酒などを飲んだのが、日本に伝わり(日本書紀の推古19年の条に「薬猟」として出てきます)さらに武士時代に強調されたものでしょう。 屈原の伝命日は5月5日でいいんですよ。これは土着の「水神信仰」「龍信仰」と結びついて、竜船(ペーロン)競争(これは屈原の屍をすくい上げる「労屍」の行為が祭礼化したものといわれています)いわやちまき(これは水中で苦しんでいる屈現に食料を与えるためと言われています)などの各行事の元となってるといわれています。

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  • minatouri
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回答No.5

五月五日がおめでたくない,というのは参考URL「陰陽五行説の論理」の中の「五節句について」に触れられています. 「中国では重日思想といって、同じ数字の重なる月日を忌みきらったため、神を迎えてお祓いをしたのが定着して五つの節句になったといわれる。」 五月五日だけでなく,三月三日,七月七日,九月九日もそうですね.もともとすべて厄払いや穢れを払う日でした.季節の変わり目なので,日本でも薬草を摘む習慣が奈良時代からあったそうです. 一月だけ七日なのはなぜでしょう? 三月三日は人形に身の穢れを移して川に流したものが,だんだん変化して女の子のお祭になりました.桃の花を飾るのも,季節の花というだけでなく魔よけの意味があります.(古事記の中でイザナギが黄泉の国で鬼を追い払うのに桃の実を投げていますね) なんで陰である偶数でなく,陽の奇数が重なるとよくないのかという疑問は残りますが,私見としてプラスとプラスで大マイナスになると考えたのかも知れません. 大吉が,後は悪くなる一方というのと同じかも. 中国でも旧暦五月五日は端午節として詩人屈原を記念する日になっています. ただ命日ということではなく,この日に屈原を偲んでその魂を静めるために粽を河に投げ込んだそうです.

参考URL:
http://www2.begin.or.jp/sakura/gogyo.htm
  • nabayosh
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回答No.4

ゴメンナサイ。 3月3日じゃないよ。7月7日の方だ。 ボケてました。起き抜けの頭だったもので、すみません。

  • papillon
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回答No.3

> 五月五日の子供の日の由来について 端午の節句や菖蒲の節句といいます。 「端」は物のはし、つまり「はじまり」という意味で、 「午」は「五」に通じることから、もともと「端午」は 月のはじめの五の日のことでした。 その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになりました。 日本ではこの日、男性は戸外に出払い、女性だけが家の中に 閉じこもって田植えの前に身を清める神聖な儀式の日でした。 「菖蒲」が「尚武」と同じ読みであることから、 鎌倉時代ごろから男の子の節句とされ、 甲胄・武者人形などを飾り、庭前に鯉のぼりを立てて 男の子の成長を祝うようになりました。 『鯉のぼり』については下記のURLを参照してください。 http://www.google.com/search?q=cache:S85Otq013_c:www3.ocn.ne.jp/~yurari01/ibento.htm+%8Eq%8B%9F%82%CC%93%FA+%97R%97%88&hl=ja&lr=lang_en|lang_ja ではでは☆~☆~☆

参考URL:
http://www.yawata-home.co.jp/home-mate/home-vol.4/3p.html
  • nabayosh
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回答No.2

ひとつだけ言いますね。これは誤解です。 中国の七賢人というのは、竹林の七賢のことでしょうか。 だとすると、屈原は時代が違います。 竹林の七賢の場合は、三国時代から晋にかけてです。 で、屈原が汨羅の淵に身を投げたのは3月3日の方ではないでしょうか。 5月5日の起源は、あとの人がHPでも教えてくれるでしょう。

  • kohji
  • ベストアンサー率28% (140/483)
回答No.1

「端午」とは元々「午」(十二支で言うと五番目)の月の初めという意味で、5が陽数であることから<重五><重午><端陽>と呼び、この日に各種の祭礼を行うようになったという説と、 屈原が泪羅江に入水自殺をした命日であるからという説がありますが、 起源・由来に関して明示する文献が後漢(1~3世紀)以前に遡るものがないため、諸説が入り交じっている状態です。 参考:平凡社世界大百科事典。