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戦争終結について。

1.核兵器投下がなければ戦争はその後どのくらい続いていたと思いますか。 2.国民の一部は降伏のニュースを聞いて自殺したと聞きました。どのくらいの人が自殺したのでしょう?また、自殺の主な理由は何でしょう? 愛国心のためですか、見知らぬ異国兵に対する恐怖からでしょうか。 根拠を挙げていただけると助かります。 お願いします。

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  • caesar-x2
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回答No.3

(1について) 大本営のいいかげんな計画では ソ連に連合軍との停戦交渉の仲介をしてもらい その間に日本本土では本土決戦で絶望的な戦いで 連合軍に出血を強いて 天皇は満州の奥地に避難して交渉の締結を待つということになってましたが、 肝心のソ連が対日戦線布告したので、 すべてがご破算になりました。 だから広島と長崎への核兵器以上に、 ソ連の参戦が日本を無条件降伏へ傾かせた大きな要因であるとも 見ることができます。 もちろん無条件というのは厳密には無条件ではなく 国体の維持という唯一の条件があったわけですが、 そもそも大戦末期には大本営も 勝利は不可能とわかっていてこの条件闘争が焦点でした。 つまりは戦争継続は天皇家の皇位継承者すべての死亡という 結果につながらないこと条件下でのみ可能で、 現実に原爆で皇居などを襲われる危険性がでたことも 降伏の動機になったのですが、 最終的に天皇家と国体の保護という一点が 終戦時期の決め手といえます。 またもちろん社会主義国であるソ連による日本占領が 天皇制廃止に直結することは明らかなので ソ連の侵攻を止めるのに関東軍が失敗した時点で 西側連合軍に降伏するという可能性と必要性が高くなるということも 容易に想像できます。 ナチスドイツも終戦間際に同様のジレンマに襲われますが 要するに1945年8月にはこれ以上戦争を続けられるというような 要素は全くなくなっていたというのが実情です。 だから原爆がなくてもほどなく降伏しただろうというのは ほとんど誰もが認める結論といえます。 (2について) 私は何人死んだか統計をとったというような ことを見聞きしたことはないので実際の自決者数は しりませんが、全般的に多くはなかったといえるでしょう。 何しろ、軍人勅諭では、虜囚の辱めを受けたら死ぬことになっていたわけですが 実際にはその命令を出していた軍首脳部で 自決した人は数えられるくらいの人数でしかありません。 辻の馬鹿なんか、真っ先に逃げたし。 ただよく知られていることですが、特攻隊関係者は 終戦を知った後、あえて出撃して戦死しています。 多くの自決の理由は”恥の精神”です。 高名な評論家が日本文化について長々と解説されてましたが 要するに”恥”を重んじる文化が日本文化だというようなことを言ってましたね。 少数の真面目な軍人は、敗戦の恥の責任をとって自決しました。 これは愛国心であるともいえなくもないですが、 ”武士道とは死ぬことにみたり”の精神です。現代ではもう廃れたけれど。 恐怖心から死んだひとは、まずないか小数でしょう。 敗戦直後は進駐軍にそなえては婦人の疎開なども 計画されてましたが、現実的にはほとんどの人々は 財産も喰う物もないじょうたいだったので 特に問題にもならず、進駐軍政策は摩擦もありながらも 兵隊がらみの事件がなかったわけではないのですが、 戦争も終わったということで連合軍は 日本軍が海外に駐留したいた頃よりも統制がとれていたので、 予想以上にうまく進みます。 (逆にいうと当時の人は上海や南京での出来事が東京で起こると最悪のケースを想像していた) みんなともかく生きることに一生懸命な時代でした。 努力しなければ餓死して死んでしまうわけですから 一般の人はわざわざ死のうとはしません。 恥の精神の支配する社会のなかで、 敗戦を機に、恥を捨て、どんなことをしてでも 今は明日のために生きることにしたのが 戦後なわけです。

mopmop
質問者

お礼

詳しいご回答、ありがとうございます。 >日本本土では本土決戦で絶望的な戦いで連合軍に出血を強いて天皇は満州の奥地に避難して交渉の締結を待つということになってました ひどい話ですね、と戦後の民主主義教育を受けた私は思います。 「戦えない人民は死んでしまったほうがましだ」というような発言をし、決して降伏しようとはしなかったヒットラーと、少しダブって見える気もしますがそれは言いすぎでしょうか。 2. >軍人勅諭では、虜囚の辱めを受けたら死ぬことになっていたわけですが そうだったのですか。なるほど。それで多くの外人は、日本人が敗戦の不名誉のために自殺した、と思っているのですね。少数に過ぎなかったにしてもドイツで自殺したのはヒットラーとその家族のみ、しかも明らかに戦犯で生きていられる見込みなし。少人数でも平民の自殺者がいることにびっくりして大げさに伝えたがるのかもしれません。 ”恥の精神”をまっとうできる日本人はさほどいなかったのですね。なかなかできないことだから美徳なのでしょうね。(それがいいかどうかの判断は人それぞれですが。) >戦争も終わったということで連合軍は日本軍が海外に駐留したいた頃よりも統制がとれていたの 連合軍のしつけがよくなり以前の戦争では通例だった略奪、強姦などの行為をあまりしなかった、ということですよね。 >当時の人は上海や南京での出来事が東京で起こると最悪のケースを想像していた そのために自殺者も出たのではないか、と私は思いました。

その他の回答 (8)

  • yumihiko
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回答No.9

No.8です。若干補足を。 まずは、昭和22年を迎える「以前に」日本崩壊、です。 どう楽観的に考えようが、昭和20年秋のオリンピック作戦(南九州上陸)で日本の航空兵力と海軍兵力は完全に消滅しますし(特攻兵器は残るかもしれませんが)、昭和21年春に予定されていたコロネット作戦(関東上陸)が発動されれば、昭和21年秋には日本軍はゲリラ戦レベル以上の、組織的な抵抗能力を完全に喪失するでしょう。 (これも、銃剣突撃レベル(要は竹槍)の攻撃まで想定しての話で、まともな(日露戦争レベルの)継戦能力は米軍上陸後2ヶ月持てば上出来でしょう) 『日本本土決戦』については小説故、過度のネタばれは興ざめとなりますので詳しくは述べませんが、描写されている内容や日米双方の兵力は執筆当時において入手可能な資料に基づいて想定されうる事象の範囲内です(若干戦力見積もりが甘いですが、1981年初版の小説としては許容範囲でしょう)。あえて派手な展開、というほどの内容は全体としてはありません(細かな描写についてはまあ、それなりに派手な展開もありますが)。 ちなみにこの小説で想定された、本土決戦における日本国民(本土の軍・民間人)の犠牲者は、本土人口8000万人に対し軍人160万・民間人(民兵含む)1400万(うち爆撃により800万)、戦争終結(昭和21年5月)から年末までにさらに500万人が餓死の恐れあり。残存兵はゲリラ化、一般民衆は米兵の姿を見ると自決する事例が後を絶たず。産業は農業にいたるまで完全に崩壊。東北地方までソ連が占領し、日本人民共和国の設立準備をしている状況。原爆は1年遅れで完成、対日戦には間に合わず。 ……これを大袈裟と考えるか、過少と考えるかは想定次第だと思いますが、大戦最末期の根こそぎ動員や、伝えられる当時の軍の方針などから考えると、十分な蓋然性のある数字であると小生は考えます。 いずれにせよ、本土決戦とは歴史において起こらなかった事象ですので、仮定の域を出るものではありません。 3発目以降の原爆投下を受けてなお抗戦を続ける日本、という、更に狂ったケースすら想定できます(実際、原爆投下後も本土決戦を呼号していた狂人が少なからず存在したわけですし)。

mopmop
質問者

お礼

お礼が遅くなってすみません。ご回答、ありがとうございました。 本土決戦になれば、天皇と陸軍が米軍の手に落ちるまで戦争はゲリラ的であっても続いていたかもしれませんね。 やはり原爆は必要だったということでしょうか。 マッカーサーも戦後日本の地を踏むとき、日本人の自己犠牲の精神を恐れていたという話を聞きました。殺されるのを覚悟で竹やりで突いてくると思ったらしいです。 なにより日本がもし共産側に入っていたら・・・。怖いですね・・・。

  • yumihiko
  • ベストアンサー率50% (76/152)
回答No.8

1.については、いわゆる架空戦記に分類される作品ですが檜山良昭『日本本土決戦』をご一読のほど。 電子書籍として今でも入手可能です。 原爆投下が行われなかった世界で生起した本土決戦について記した小説ですが……ラストの悲惨さはこの種の小説では随一です。  きちんと日米双方の本土決戦についての作戦計画を踏まえた上で書いてありますのでぜひ読んでみてください(類書にありがちな神算鬼謀の日本軍人も、起死回生の超兵器も出てきませんし)。 私見ですが、史実の1945年8月5日の戦況からすると、その後原爆投下無しに戦争が継続した場合、大日本帝国は昭和22年を迎える以前に降伏するか、政権崩壊していたでしょう。 2.軍人でも一死大罪を謝し奉る、などと言って自決したのは阿南陸相ら一部にとどまります(尉官クラスや下士官兵まで含めた統計については存じませんので、全体で何名、とはいえませんが)。ただ、他の方もおっしゃっていましたが、軍人・民間人含め、敵兵に対する恐怖から自殺、という例は見聞したことがありません。

mopmop
質問者

お礼

お返事が遅れてすみません。ご回答ありがとうございます。 初めての原爆戦争終結派ですね。2年も日本は持ちこたえられたのでしょうか。 No.5さん、No.7さんでは本土決戦の戦力は残っていなかったことになっているのですが。小説ですのであえて派手な結末にしてはいませんか。 >軍人・民間人含め、敵兵に対する恐怖から自殺、という例は見聞したことがありません そうですか。私もそう思っていたのですが、最近ちらほらと反対意見を聞くことが多くて…。実際のところはどうなんでしょうね。

  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.7

1 日本は戦争終結を模索する勢力がいました。陸軍だけは本土決戦をするつもりでした。海軍は本土決戦をするつもりはなく、沖縄戦で持ちうる兵器や燃料を全て消耗させました。練習機や大和の特攻も、戦果を求めての行動ではなく、戦力を破棄する為の行動でした。 陸軍も本土決戦の準備もほとんどできていなかったので、もしも核兵器を使っていなくても降伏は早かったでしょう。 一説に寄れば、日本の降伏の意思を、アメリカが原爆投下後まで引き延ばしていたと言う話ですし。 2 戦争に負けたら、男は奴隷、女は強姦の後殺されると宣伝されていましたから、一般の国民は絶望、軍人は責任を取ってという事でしょう。しかし数は少ないと思います。 当時の国民は冷静な人が多かったように思いますし、今より教育が行き届いていないので、思考が単純ですから、精神性ではなく生き延びる事を最優先すると言う発想でしょう。 南方や沖縄で捕虜が大量に出ましたが、米軍に対して非常に協力的であったようです。聞かれてもいない事をぺらぺらしゃべると言う状況だったようです。

mopmop
質問者

お礼

お返事が遅くなりましてすみません。ご回答ありがとうございます。 >一説に寄れば、日本の降伏の意思を、アメリカが原爆投下後まで引き延ばしていたと言う話ですし。 確かにそのような話を聞いたことがあります。一部の軍部が往生際が悪く意見が割れたこととうまく作用して原爆投下の機会を与えたのかもしれませんね。 >戦争に負けたら、男は奴隷、女は強姦の後殺されると宣伝されていましたから やはりそのような恐怖と自尊心の自殺もあったわけですね。自殺の理由は確かにひとつではないのが当然かもしれません。立場によっても考え方が変わってきますし。 >今より教育が行き届いていないので、思考が単純ですから、精神性ではなく生き延びる事を最優先すると言う発想 なるほど。よく外国人は驚きに値する一部のことをさもそれが全体のことのように考えるふしがあるので、自殺者の数字がほしかったのですが、戦後の混乱期には無理な注文ですよね。 ご意見ありがとうございました。

  • pbf
  • ベストアンサー率16% (49/300)
回答No.6

 No.5ですが、補足いたします。 「靖国の母」ということばをご存じでしょうか。息子を名誉の戦死で亡くした母親のことを呼び讃える言い方です。でも、誰だって我が子が死んでうれしいはずがありませんよね。しかし身内を失った悲しみは、決しておもてに出すことは許されませんでした。お国のため『英霊』となることは、最高の栄誉とされていたからです。  でもそれはあくまで、神国ニッポンは必ず勝つという信念を前提にした話。 敗戦の報を聞いて、何もかも失ってしまった絶望感のあまり、その母親も首を吊ったのではないかと推察します。  たしかに当時、日本が負ければ、日本人の女性はみな外人の妾(めかけ)にされてしまうという噂ばなしはあったそうです。  でもそれよりも日本国民の心を暗く覆っていたのは、言いようのない虚脱感と絶望感だったのではないでしょうか。  ちなみに、私の父の通った中学校の校長先生も自決したそうです。  ところで敗戦のニュース(玉音放送)があった当日のニュース映像がありました。 途中からが私のいう皇居前の様子だと思いますが、映像から当時の国民の無念さが伝わってきませんか?

参考URL:
http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/p-rek1/p-sho6/p-s47/p-268.mpg
mopmop
質問者

お礼

お返事が遅くなってすみませんでした。補足回答ありがとうございます。 貴重な映像もありがとうございました。(私のPCでは音声がながれませんがこれは無声でしょうか。) >言いようのない虚脱感と絶望感 そうだと思います。ずっと日本が負け戦争をしているとは知らなかったから、ということもあるかな、と思います。 >私の父の通った中学校の校長先生も自決したそうです 自殺者はやはり身近にもいる、ということですね。 ご意見ありがとうございました。

  • pbf
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回答No.5

1.続けたくても肝心の飛行機も銃弾も尽き果てていました。 当然、陸軍が主張した「本土決戦」に突入したことでしょうが、連合軍は予定どおり九十九里と相模湾から上陸作戦を決行、数日で首都東京が陥落してジ・エンドだったと思われます。 2・私の読んだ本には、敗戦当日の皇居前の様子が描かれていました。宮城に向かい土下座して泣き伏す女学生たち、まだ負けてないと云いながら日本刀で自決する将兵。そして兵隊に取られた息子を全て失った母親の首を吊る姿……。彼女に残されたものは絶望だけだったのではないでしょうか。敗戦=犬死だったわけですから。  それよりも、満州や中国・朝鮮に残された民間人たちはまさに地獄だったようです。特に女性や子ども。彼らは、それまでの恨みの情を抱えてきた被支配者たちによる略奪・強姦・一家虐殺のターゲットになったわけですから。捕まった婦女子は、ここではとても書けないような惨たらしい目に会いました。そうなる前にと幼子を自ら池に投げ捨て、自分たちは青酸カリで服毒自殺をしたりと……。  戦争や外国を侵略するということは、恐ろしい結果を招くものですね。

mopmop
質問者

補足

ご回答、ありがとうございます。1は皆さん一致でやはりジ・エンドのようですね。 2番のほうですが、戦後の状況が書かれた本をお読みになったとのこと。 >宮城に向かい土下座して泣き伏す女学生たち、まだ負けてないと云いながら日本刀で自決する将兵。そして兵隊に取られた息子を全て失った母親の首を吊る姿……。 できましたらこの心情をもう少し説明していただけませんか。 「敗戦=犬死」ということは、やはり敗戦後、アメリカ兵に殺される、辱めを受ける、と思っていたのでしょうか。 満州や中国・朝鮮に残された民間人はそんなにひどいめにあったのですか。怖いですね。当然といえば当然なのでしょうが・・・。 一度、中国で中国人と偽ってアイドル歌手になっていた日本人の話を読んだことがあります。(新聞だったかな?)日本人に協力した中国人狩りの標的になり、大至急日本人である証明書を手に入れることができたため日本に無事戻ってこられた、と言っていました。証明書が間に合わなかったほかのアイドル友達は売国者として、証明書が届く前に処刑された、とありました。 それで、裏切り者の中国人は殺す、日本人は処刑できない、というルールなのかと思っていました。もし最初から日本人だとわかっていたらその人も無事に帰れていたかどうかわからないですね。 痛ましい話です。

  • koon1600
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回答No.4

どちらにせよ長続きはしていなかったと思われます。 ソ連参戦によってソ連を仲介した講和が完全に暗礁に乗り上げたのが8月8日、もっとも、すでにヤルタ会談(45年2月)などでソ連の対日参戦は密約として決定していたため、最初から暗礁に乗り上げていたのですが・・・ 実際にアメリカの予想でも8月から9月の間に日本は降伏すると見越していたので、もってそのぐらいという状況でした。 核兵器投下は、日本を見て投下していたわけではありません。ソ連に対するアピールの意味合いのほうが何十倍も強いのです。日本に落とされたのはそのときたまたま交戦状態にあった国だったのが日本だけだったからです。 当時アメリカの中では、すでに爆撃のルーチンワークだけをしていればよい対日戦はほとんど気にかけられないで、戦後を考える状態になっていました。 また、4月にルーズベルト大統領が死去、その後をトルーマンが大統領となるのですが、ルーズベルト時代に結んでいた密約が問題でした。 ヤルタ会談のときにルーズベルトはソ連参戦の見返りに千島列島と樺太をソ連のものとすることでソ連を対日戦に参加させようとしました。すでに2月の時点で日本軍の敗北は決定的だったので、わざわざ同じ天を抱かずのソ連に参戦を要求する必要はなかったのですが、どうもこのときのルーズベルト大統領がなんとしても自分の生きている間に第二次大戦を終わらせたいと考えたらしく、この大盤振る舞いをしてしまったのです。当時大統領は数度の脳梗塞を起こし、すでに死期が近いことは自他ともにわかっていたのです。 で、トルーマン最初の仕事は、この大盤振る舞いの尻拭いをすることになるのです。 なので、対日戦終結を考えるだけならばあのとき核兵器を使う必要性はまったくなく、1月前に完成したばかりのアメリカにとってもまだ実際にどれほどの威力があるのかさっぱりわからない兵器を、わざわざ船で大急ぎでサイパンまで運んで使う必要はなかったのです。実際にアメリカは広島と長崎投下時のデータ収集などを行っていますし、戦争が終わってもそそくさとマーシャル諸島などで核実験を始めました。 日本としてもこれ以上の戦争継続は不可能なのはわかっていましたので、もって8月末という状態でした。逆に国体が守られるのであればもっと早く降伏したのかと思います(ポツダム宣言を最初黙殺したのはこれが約束されていなかったため)。一縷の望みをかけていたソ連が対日参戦した時点でもう限界、すでにお手上げという状態で、あっさりと負けを認めることとなったのです。 2についてはそれほどの人数ではいなかったと思われます。熱心な右翼さんなんかはしたかもしれませんが、とりあえず敗戦したので戦後、という切り替えの早いのは日本人の性質というかなんというか・・・ほとんどの人は、玉音放送を聞いて次の日にはけろっとしていたと思われます。

mopmop
質問者

お礼

詳しいご回答ありがとうございます。 やはりアメリカも日本が降伏間近だということを知っていたのですね。 日本はすぐさま負けるであろう、という予想と、ソ連まで抱き込もうとする行為が少し矛盾するような気するのですが。ソ連の援助が必要なほど日本に苦戦していた、ともとれませんか。45年2月にはそれでもまだ、先が見えなかった、ということですよね。(ところでルーズベルトはいったい何の病気だったのでしょう。) アメリカも対独戦でかなり疲れていたのかもしれませんね。

mopmop
質問者

補足

すみません。下の方の回答を見てきました。(先に見ておけですよね、すいません}やはりソ連参戦は日本の敗戦の決定打なので、ルーズベルトは実は原爆使用するつもりはなかったのかも、とも考えられますか?あるいは2月の時点では原爆がそれほど早く完成するとは思っていなかったのかもしれませんね。 ところで 2.「熱心な右翼さんなんかはしたかもしれませんが」ですが、当時は人民総右翼ではなかったのでしょうか。 家族を失い、食べるものもなくなり、では、確かに天皇も何もないのかもしれませんが。しかし教育と情報統制では、やはり今の韓国や中国人の頑なな愛国心のように、日本人も総ファシスト状態であってもおかしくはないかな、とも思います。 よかったらご意見お聞かせください。

回答No.2

 8月15日に一方的な停戦宣言が出され、9月2日に無条件降伏しているでしょう  降伏決意の大きな要因は原爆ではなく、唯一の中立国で友好国と思っていたソ連に裏切られて攻め込まれたことですから  ソ連参戦の瞬間から日本側より英米に講和を申し出る手段が失われ、ポツダム宣言(英米からの講和提案)を飲まざるを得ない状態になったのです。飲まなければ本土決戦となり取り返しのつかない状態になります。そうなれば国体の維持が不可能になります。

mopmop
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはり原爆投下がなくても早々と戦争は終わっていた、ということですね。それが日本人の一般的な見方ですよね。外人はそうでもないようですが。

  • nekodon339
  • ベストアンサー率28% (315/1087)
回答No.1

1番=原爆投下が行われ無い場合でもその1ヶ月以内には敗戦していた (アメリカの言う戦争を終らす為に)の理由は勝手なコメントであって 日本を包囲し、首都に迫れば原爆投下無く戦争は終結していたし、対抗する力も日本には無かった。 2番=自殺したのは前線にいた国民や戦線に隣接した軍隊だと思います。数まではすませんが不明ですが。沖縄など上陸され敗戦ごアメリカ軍による女子への暴行もあり、先に命を立つケースも多い。 自殺理由は上記の女子は貞操を失うくらいなら命を捨てる心情かと思います。日本軍人は敗北に対し武士精神をまっとうするため敵に首を取られる事が最大の恥とされた意味でも自ら命を絶ったと思います。

mopmop
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 やはり原爆投下がなくても早々と戦争は終わっていた、ということですね。それが日本人の一般的な見方ですよね。 ただ、 >(アメリカの言う戦争を終らす為に)の理由は勝手なコメント これを信じている外国人は結構多いようです。 >自殺理由は上記の女子は貞操を失うくらいなら命を捨てる心情かと思います。日本軍人は敗北に対し武士精神をまっとうするため敵に首を取られる事が最大の恥とされた意味でも自ら命を絶ったと思います。 私もこれが当時の日本人の自殺の妥当な理由かな、と思います。

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