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もし、広島長崎がなかったとして、核戦争はおこっていたのでしょうか
仮定の話で申し訳ありませんが、どうしても広島長崎がその後の核戦略と戦争の歴史にどう影響したか知りたいので質問します。 もしも、何か歴史上の歯車の違いから、広島長崎への原爆投下がなく日本が降伏して第2次大戦が終了したとしたら。そこから、朝鮮動乱までに米ソは核を保有したわけですが、そこで使われた可能性が大きい、あるいは、戦後のいずれかの戦争でどこかが使用した可能性が大きいと考えられるのでしょうか?それとも、やはり、理論上実験場からとても実用で使って政治上得策はないという観点や、報復を警戒して使わない、と言う歴史になるのでしょうか? もっとも可能性が高かったのは、朝鮮動乱でほとんど一方的に保有していた米国が使ったことだと思うのですが、どうなのでしょうか?
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朝鮮戦争における核兵器(原子爆弾)の使用は、戦争の期間を通じて何度も検討されています。結果的に使用が見送られたのは、よく言われるように、当時核兵器の開発に成功していた旧ソ連を念頭に置いたからではなく、広島長崎への原爆投下による自国内も含めた国際的な非難と共に、アメリカ自体の事情によってのことでした。 広島長崎に投下された原爆は当初その効果が、高熱と爆風によるものだと考えられていましたが、実際にはそのほかにも放射線による二次被害が想像以上に深刻だったことが、時間はかかりましたが占領後の調査によって分かっています。(結局さらにはEMP被害も後に明らかにされています) したがって、日本人しかいなかった広島長崎(一部アメリカ兵捕虜もいましたが)と違って、戦線が交錯していた朝鮮半島での原爆使用は、自国の兵士たちへの放射線被害の恐れがあるとして使用をためらったわけです。 さて長い前置きになりましたが、ここから回答になります。 広島長崎がなかったら果たしてその後の世界で原爆が使用されていたかどうかと言えば、間違いなく朝鮮半島で使用されていたと言えます。使用されていた理由として第一に上げられるのが、放射線被害に関する知識が広島長崎によってもたらされていなかったということです。 さらには朝鮮戦争自体の戦況の逼迫です。戦争序盤、連合軍は玄界灘に蹴落とされるのではないかというほど追い詰められ、半島全体の赤化という危機に直面しました。このときが原爆使用の最大のチャンスでした。原爆の使用による二次被害の深刻さにまだ疎かったアメリカは、ためらわずに使用していたはずです。 朝鮮戦争に事実上参戦していた旧ソビエトの核兵器への懸念はどうなのかといえば、ソビエトが初めての核実験に成功したのは1949年のことですので、時間的には十分アメリカへの核報復が可能となりますが、実際にはアメリカはソビエトの核による報復は心配する必要性はなかったと考えます。その理由として広島長崎への投下がなかったということが前提ならば、当時のソビエトは原子爆弾の実用化に至ってはいなかったと考えるのが自然だからです。 後に歴史が示すように、日本への原子爆弾の使用目的は戦争の早期終了もあったでしょうが、その位置付けのほとんどはソビエトへの牽制でした。ヨーロッパでの第二次大戦が終了した時点で、ソビエトはヨーロッパの共産化という野望をあからさまに見せていたこともあって、アメリカはなんとしてもソビエトに原子爆弾の威力を見せ付けておく必要性があったことはご存知の通りです。つまり広島長崎に落とせる原子爆弾を持っていたアメリカがそのときには使用せず、朝鮮戦争まで温存する合理的な説明ができません。 ということはアメリカが原子爆弾の製造に成功した時点から、ソビエトが同じように核保有国になるまでには5年以上の時間が必要になっていますので、ソビエトは朝鮮半島での原爆使用に対する同じ原爆による報復はできないということになります。 この論理のもう一つの根拠として、ソビエトの原子爆弾開発に多大の貢献をしたのは、物理学者や科学者たちではなく、諜報機関従事者つまりソビエトのスパイたちだったというものがありますが、これは長くなりますのでやめときますね。 結論的には、アメリカは広島長崎がなかったならば、朝鮮半島(想像するに今の韓国の大田あたりか)で心置きなく原子爆弾を使用していたことになります。ただし使用した時点でやはり後の世界はMADを恐れての、第三次世界大戦の勃発抑止力の道具となるではないでしょうか。 一時期米ソは「核のシキイ値」を下げようと戦術核の開発に奔走し、世界の破滅の日を示す有名な時計の針が3分前まで進んだことがありましたが、なんとか世界はまだ滅びずにいます。これは人類が賢明だったというより、言い換えればそれほど核兵器の使用は難しいということなのでしょうね。 とはいえ、やはりタイムスリップで過去へ行っていたずらをしても、歴史の大きな復元力によって結局は元に戻ってしまうのかもしれませんね(^_^;)
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- isa-98
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>朝鮮動乱でほとんど一方的に保有していた米国が使ったことだと思うのですが マッカーサーは度々核爆弾の使用を要請しています。 結果は更迭(解雇)でした。 台湾に赴いた時、政治的な大きな失言をし、 その結果中国の参戦を招いた。 ソ連+中国と言うアジアを敵に回す結果になった結果でもあります。 アメリカは、米中共同でソ連を包囲したかったでしょう。 ので、味方のいなくなる核の使用はまずしません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 核は孤立するというリスクがつきものなのですか。
- bismarks05
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「核戦争」って何?という質問者への質問をしたいのですが・・・ とりあえず、「核戦争」を核兵器の打ち合いという戦争だと想定しますが・・・・ キューバ危機だけ見れば核戦争は回避することが出来る、と考えるのが妥当でしょう。 それ以前に、投射兵器の打ち合いは中距離ミサイルでは湾岸戦争でも実現したわけですが・・・・ 核兵器開発は原爆投下に関係なく進展したでしょうし、研究発展は必然だと思います。(冷戦構造レベルの奇形的発展はないでしょうが) 質問者が、ゲーム理論のトリガー理論を知っていれば分かると思いますが、核兵器戦争はトリガー理論で考えるのが妥当でしょう。 ただし、ヤケッパチの国・組織にはトリガー理論は通用しないから、核不拡散体制が重要なのです。 そして、これは重要ですが、核兵器の使用は行使する側の兵士のモラール・国内世論に大きな影響を与えることは必然なので、国内事情・軍事事情として安易に使用できないものです。 大東亜戦争においては、アメリカの不倶戴天の事情もありましたし、核兵器に関する知識が皆無だからこそ出来た事情もあるでしょう。 仮定法で物事を考えるならば、ゲーム理論を利用することをお薦めしますが、重要なことを一つだけ 戦後兵器事情を考える時には、生物化学兵器削減に関しての配慮も必要です。生物化学兵器の漸禁政策がなければ、核はエネルギー部分での技術進化が肥大化したと言えるでしょうし、クラスター兵器の開発なども背後関係にあります。 核兵器単独で軍事事情を考えることはリアリティがありませんので、そのレベルから基礎を勉強されることをお薦めします 大きいという人がいるとして、その人がキューバ危機をどう説明するのか?というのが興味深いですね~
お礼
キューバ危機は結局核保有の均衡理論が実践されたということでしょう。私のいう核戦争は、つまりは核の実際使用のことです。
効果をはっきりするためには実際に使用してみないと判りません。 仮にアメリカと仮定すると、戦争中の日系人隔離政策でドイツ系やイタリア系アメリカ人は隔離対象にならなかったことから、白人(あるいはアフリカ系黒人、ユダヤ人)以外の国家を実験場に選ぶ可能性が高いと思います。 そうなると、朝鮮半島で原爆を使用しても、国内世論上は非難が少ないので、多分朝鮮戦争で使ったでしょう。 長崎・広島が実験だったのは、2つの原爆が違うもので、広島がウラニウム、長崎はプルトニウムの原爆で、違いを見たかったのでしょう。 その後使われなくなったのは、他国も核を持ち、均衡が保たれたにすぎません。
お礼
やはり、実験という意味合いで使用は必死の歴史だったのでしょうか。そうすると、非白人への投下として朝鮮戦争は格好の実験場となったのでしょう。核抑止は機能することが証明されましたね。
>戦後のいずれかの戦争でどこかが使用した可能性が大きいと考えられるのでしょうか? 当然、大きいでしょう。 威力、効果、後遺症等を確認するために、どこか「人間のいるところ」で 実験をする必要があったからです。 広島、長崎の他に小倉や新潟なども 予定に入っていたとも聞きます。 日本でなければ、当然、北朝鮮内で落とされていたことでしょう。 当時は報復されて、などという可能性はありませんでしたし。 もしかしたら、ソ連が韓国内で使用した可能性もあったでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 一回は実戦されたという歴史が必要なのですかね。その後で、抑止の歴史が始まる。
お礼
ご回答ありがとうございます。 実際に使用されてからこそ、放射線被害などから「使用できない」兵器として認知されたということ、つまり、使用がなければそうならなかったのだから、一度は使用されるしかなかった。たいへん納得しました。 特に危機的であった戦争序盤ですね。そして、まだソ連は保有していない不均衡があった。 たいへん勉強になりました。