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漢語:「an apple」 と「一个苹果」と「リンゴ」
【疑問の出発点】 ※なお个は例示であり思いは量詞一般の話。単純化のため英語の可算名詞に限定して分析。 日本語は、敢えて数を強調したい時でなければ、10個のリンゴ、1個のリンゴとは言わず、ただ「リンゴ」と言うのが普通。 英語は、冠詞や数量詞やSなど数を表すマークを付けるのが普通。例えば、敢えて「1つ」という情報を強調するときでなくても、物理的に1つの物を指しているのなら、文法上「a」を付けなければなりません。可算名詞を裸のままではダメ。 漢語では? もちろん、日本語で表現する場合にも数を敢えて表するような場面では、漢語でもやはり「~个」、「(一)个」としているよう(当たり前か)。 他方で、英語の「a」と同様に、日本語なら「1つの」と敢えて言わないような場面でも、「(一)个」は使われているよう。 だが、所有する漢文テキストをザーと見てみたところと、むしろ、大半の名詞には量詞は付いていないようだ。従って、英語のように、文法上、一律に、数を表すマークを付けるというのとも違う。 【質問】 果たして、漢語の場合、(1)どういう時に裸の名詞で、(2)どういうときに「(一)个」を付けるのでしょうか?やはり、何らかのルールがあり、皆さん自然と使分けていると思うが、どんなルールなのでしょう?相当複雑なルールなのかな? ルール(1) まず、日本語で表現する場合に「1つの~」とか「ある~」と言う時は、「(一)个」を付ければいいのかな? ルール(2) 問題は日本語では裸の名詞なのに中国語では量詞を付ける場合(論理的には逆もあるが、現実にはあるのかな?)。主なものでは、どんな場合があるんでしょう? この日本人が間違い安いポイントを押さえれば、正しい使い方の打率が上がるかな?
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打率向上でしたら、まず量詞は付けておけば間違いなく上がります。^^;) 付けなくてもいいのは、本当に付け方がわからない(付けようがない)ような場合や、付けるとじゃまになる場合でしょう。 まあ、頭の中に物のイメージがごろんとか、ごろごろあると量詞は付くのではないかと、個人的には思います。 総称あるいは抽象的な意味の場合でも、「一个男人」(男たるもの)みたいな言い回しがあります。 リンゴを買ったよ、という場合も「mai3些ping2guo3」のように、「些」を入れるとかありますね。 日本人が量詞を付けないパターンで今すぐに思い浮かぶのは、食べ物飲み物を注文する場合でしょうか。 お水を「杯水」と言うとか。 あとは「打个電話」という表現もありますね。 「件事」とか、あとは、下記のサイトの笑い話では、いろいろ量詞が出てきてます。 http://chinakiki.exblog.jp/i4
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个ではないのですが、枝という量詞の例を出します。 「抽煙」は「タバコを吸う」という習慣的・反復的な行為を表しますが、抽枝煙とすると 1本のタバコを吸う一回限りの行為になります。 ですから「私はりんごを食べるのが好きです。」は「我喜歓吃苹果。」ですが、「私は昼食後りんごを食べた。」は「午飯的以后我吃了一个苹果。」となります。・・・名詞そのものだけでなく、動詞の意味も少し変わってきます。
お礼
体感して気づいた疑問から、 敷衍して質問をスタートさせたしたので、 自分自身も若干抽象的なレベルでしか考えられていませんでした。 例をいただいたお陰でと、より、自分の中で疑問に感じている点が明確になりました。 ありがとうございます。
補足
なるほど。 図書館から文法書を借りてきたらこんな風に書いてました。以下の原則とも合致しますね。 ○総称か具体的なものをイメージしているか?の違い。 日本人の感覚としばしばズレるのは、 ・ 長い修飾語がついた目的語で初出の場合:具体的イメージを表す場面であるのが普通。 ・ 「有」構文:我 有 一個妹妹。:所有しているものなので、具体的イメージを表すものであるのが普通。 ・ 「是」構文:他 是 一個在学校里最有人気的女人。:指しているのが特定なものなので、具体的イメージが普通。 ・ 過去の現にした行為における目的語:現に体感した過ぎ去った過去であるので、具体的イメージであるのが普通。 ※ もちろん、そもそも総称の意味で使っているのなら当然不要。 その他に、日本人がよく間違う典型的な場合とは、どんな場合があるでしょうか? その他の皆さんも、経験からいかがでしょうか?
- dulatour
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現代中文ですが 抽象的にものを示しているときは(个)を付けず、具体的なものを示しているときは(个)をつけるようです。 あくまで、私の感覚ですが 英語のtheとのa違いではなく、 milkとa bottle of milkの違いのような気がします。
お礼
ありがとうございます。
補足
図書館から文法書を借りてきたらこんな風に書いてました。 ○総称か具体的なものをイメージしているか?の違い。 日本人の感覚としばしばズレるのは、 ・ 長い修飾語がついた目的語で初出の場合:具体的イメージを表す場面であるのが普通。 ・ 「有」構文:我 有 一個妹妹。:所有しているものなので、具体的イメージを表すものであるのが普通。 ・ 「是」構文:他 是 一個在学校里最有人気的女人。:指しているのが特定なものなので、具体的イメージが普通。 ・ 過去の現にした行為における目的語:現に体感した過ぎ去った過去であるので、具体的イメージであるのが普通。 ※ もちろん、そもそも総称の意味で使っているのなら当然不要。 その他に、日本人がよく間違う場合とは、どんな場合があるでしょうか?その他の皆さんもいかがでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 よく味わうと非常に実践的な方法に眼から鱗です。
補足
「打率向上でしたら、まず量詞は付けておけば間違いなく上がります。^^;) 付けなくてもいいのは、本当に付け方がわからない(付けようがない)ような場合や、付けるとじゃまになる場合でしょう。 まあ、頭の中に物のイメージがごろんとか、ごろごろあると量詞は付くのではないかと、個人的には思います。」 まさに実践的な回答ですね。 「頭の中に物のイメージがごろんとか、ごろごろあると量詞は付ける」を定式化するとすると、 (1)原則、付けよ。 ※ 日本語では、具体的な物のイメージがある場合でも付けないことがあるぐらい。いっそ、付けることを原則にしてしまえ。 (2)ただし、意味が変になる場合には付けるな。 ※ 総称の意味の場合とか。こういった場合を具体的に考えると、数量詞を付けるとイメージが違ってしまうし、どんな数量詞を付ければいいのかも確かに分りませんね。 ということでしょうかね。 なお、「一个男人」(1人前の男ってこと?)、「个人」(個人)などは、上記のような意味での数量詞の意味を失って単語化しているよう。個別に単語を覚えて対応していけばいいんでしょうね。 上げて頂いたほかに、日本人が量詞を付けない主要なパターンって思いつかれませんか?