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敬宮愛子の読み「とし」の根拠、出典
敬宮愛子の読み 「とし」「としのみや」と読むらしいが、 その根拠、また どこからどうすればそのような読みとなるのか教えてください。の根拠、出典 例えば、仏教語なら、サンスクリッドとか、 支那語なら、漢音とか、呉音とか、 あるいは、朝鮮語または高句麗語とか、 どうも皇室の言葉には、特別なマニュアルがあるようですが、詳しい方 教えてください。
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#1です。 直接の回答ではないので申し訳ありませんが・・・ 「日本の建国と発展の原動力」(所功著)という本に、「愛子さまの「敬」を「とし」と訓む理由」という項目があるそうですよ。 検索してみたら出てきました。 どうしても疑問が解決しなかったときは、読んでみるのも手かと思います。
- Yabukoji
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敬宮愛子内親王の命名は昭和天皇がなさったのでしたね。文字の出典は『孟子』離婁章句下(りろうしょうくのげ)と判っているのですが訓みはどこからきたものかほとんど紹介されていませんね。 結局、命名に参画した鎌田正(東京教育大名誉教授)、米山寅太郎(静嘉堂文庫長)、秋山虔(東大名誉教授)3人のうち鎌田氏と米山氏は漢学ですから「文字」を選び、国語学者の秋山虔さんが「訓み」に携わったのではないかと推測されます。 ただ過去にも皇太子の「徳仁(なるひと)」、明治維新の有栖川宮「熾仁(たるひと)」など皇族の名には普通と違った訓みが多いような気がします。 日本語の名は字と訓の一致は求められないと言えばそれまでですが。
敬称も名前も、出典は孟子の「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬ふ。人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ」らしいですよ。 読み方はどうしてかは知りませんが、身の回りにも、敬と書いてトシと読む方いますよ。 うちのATOKでも変換してででてきますしね。
補足
ありがとうございます。 ただ、やはり「訓よみ」が、何故か? 調べる方法は無いものでしょうか、 決して、思い付きなどではないと思うのですが 『敬」---wordでは、出てきません。
補足
ありがとうございます。 ただ、やはり「訓よみ」が、何故か? 調べる方法は無いものでしょうか、 決して、思い付きなどではないと思うのですが、、、