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なぜこの日本語訳になるんですか?
エッセイについての文章なんですが、 (本文)For our purpose "essay" will mean a short piece of prose, dealing with almost any subject, but in a personal and informal way. (訳)ここでは「エッセイ」の意味を「短い散文作品で、だいたいどんな題材でも扱い、個人的なくだけた文体で書かれたもの」ということにしておこう。 となっているんですが、but の訳がなぜこうなるのかがわかりません。よろしくお願いします。
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アメリカに37年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 私はtakashi49さんがどうしてこの訳になるのか疑問に思うのが分かります。 なぜなら、日本語の文章を読んでいて、言っている事は分かるけど、対訳された英語の文章を見るとそこに使われている単語の意味合いや伝えたい事(これを私はフィーリングと読んでいますが)を忠実に伝えていないときがあるのを見ているからです。 この訳もそれの一つとなると思います。 ここではBUTと言う単語を作者は「故意に」使っているのです。 つまり、作者は題材は何でも良い、「しかし」エッセイと呼ばれるものは、個人的な砕けた文体で書かれているものをさす、畏まった書き方や個人的な思いを含まないままで書かれたものはエッセイとは呼ばない、と言っているわけですね。 あるレストランの料理について「高いけどおいしい」と言った時、この「けど」が非常に大切な単語である事は分かりますね。 英語でも同じなのです。 つまり、高い、と言う事は二の次ですね。 (本当は一の次なんですが<g>) 英語でも同じなんです。 題材は何でも良い、と言う事は二の次なんですね。 だけどそれだけじゃエッセイとはいえないよ、と作者は言いたいわけですが、日本語の文章としてはっきりそのフィーリングを出さなくても、題材は何でも良いし砕けた表現で私的に書いたものであれば良い、と言う表現でも結局良いわけですね。 しかし日本語ではこのようなハッキリしたフィーリングの区別をしなくても良い言葉なんだと思います。 区別をしないで良い、と言う事に慣れていると言う事は、また、それを英語に直す場合そのフィーリングがちゃんと伝わらないと言う事にもなりかねないわけです。 つまり、この日本語訳を見て、今度は英訳するとしたら、どれだけの日本人がBUTを入れた英語にするかと言うと私には疑問に思われます。 なぜかと言うと、日本語の文章にはBUTの持つ、しかし、でも、だけど、と言うようなフィーリングがはっきり使われていないからですね。 ヒントとして「私的に書かれたものであれば良い」と「条件付けた」表現かここにはあるのですが、かえって、ifとかas long asを使ってしまう可能性がでてくると思います。 しかし、本当は簡単にBUTを使って表現できるのです。 と言う事でこの訳は100%作者の思いを出したものではないでしょうが、日本語の文章としては全く問題ないものだと思います。 もしかしたら「直訳的に」訳したくなかったのかもしれませんね。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。
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- minirose
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こんにちは^^ >but の訳がなぜこうなるのかがわかりません それは、翻訳とは初めから一つの正解があるんじゃなく、複数の訳があり得るのね。その違いは個人的な解釈の微妙な違いもあるけど、訳したものが日本語文として自然かどうか、、またその翻訳文の読みやすさも大事である場合もあるんで、だから、その考えと厳密な意味のニュアンスと正確さを求める度合いが個人翻訳者の考えで調整されちゃうのよね。それに言語の背景にはその国の社会と文化が直結しているから、異文化言語である日本語に簡素に訳す事ってホントに大変なのよね。 アタシならもうちょいbutのニュアンスを強めた方がしっくりくるんで、このようにします。 ”ここでの「エッセイ」とは短い散文作品であり、題材そのもには拘らないが、私的でかつくだけた文体表現が使われるものと定義しましょう。” アタシはどちらかと言うとオリジナルに含まれている全てのニュアンスを忠実に訳すのが好みなんだけど、それが「正しい」翻訳の一つとしか考えていないわ。翻訳とは白・黒の間のグレーゾーンで味を出せる職人芸なんですから。 そんじゃ^^
お礼
>翻訳とは白・黒の間のグレーゾーンで味を出せる職人芸なんですから。 確かにそうですよね。ありがとうございました。
but は、英語では、明確な対立関係を表します。 He is poor, but he is happy.(貧乏だが、それと等しく幸せだ) 譲歩を示す場合、(al)though, yet が使われます。(貧乏だ、それでも幸せだ) Although he is poor, he is happy. He is poor, yet he is happy. これが原則です。では、問題はどこにあるのでしょうか。 私は、問題は日本語にあると思います。日本語の語句が、対立・譲歩の情報を理路整然と表現していないことにあります。 これは、言語の優劣を言っているのではなく、文化の違いによるものです。「対立」を嫌い、「曖昧」を好む日本人の発想から、 but に苦しむ事例が出てくると理解していいでしょう。 ですから、翻訳結果に際しては、この日本語の"ぼんやり"の中で意味が正確に伝わるかを考えるべきだと思います。 次はネットの事例 ------------- ■きちんと訳されている事例 Likewise, other people may speak in correct sentences but in a slow and laborious manner which is difficult to listen to. 同じように正しい文章で話すけれどもスピードが遅く、口調がたどたどしいため、聞き取りづらいという人もいます。 ---------------------------- ■but の前の部分"in a form that is not rectified in an order"が訳から抜け落ちている事例 It has been the general trends of the most of researchers of astrology to rectify the result of own research so as to fit a certain law of previously studied category of research compiled.Contrary to this, the study made by the notes of Addey was reported in a form that is not rectified in an order but in a straight form of row materials involved. 多くの研究者が自分の研究内容を整理して、従来の法則に当てはめようとするのですが、 アディーは研究途中のありのままを未整理の形で公表して読者に考えさせる態度を貫きました。
お礼
他の例まで挙げていただいてありがとうございます。難しそうですが考えてみます。
- blue_watermelon
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これはbutの意味がどうこうではなく訳す人の解釈の癖みたいなものだと思います。 私だったら、 ここでは「エッセイ」を多様な題材を扱いつつも私的でくだけた文体にで書かれた短い散文作品、という風に定義する。 という風に訳すでしょう。もう少しbutらしい訳にするならば、 「題材はなんでも良いけれど、私的でくだけた文体で書かれたもの」 という風になると思います。 「題材はなんでも良い」+「私的でくだけた文体」+「短い散文作品」という部分さえ正確に伝われば、細かな部分をどう訳すかは翻訳者次第ということになると思います。 質問に挙げられている文章も、文章の意味を正確に伝えているという意味では間違いではないことはお分かりですよね? ですから、butらしい訳しかたになっていても、そこはまぁ、そういう翻訳者なんだな、というくらいで良いと思います。 んー、でも細かいことを言うなれば、butが入っていることで、エッセイの定義で重要なのは「題材」ではなくて「文体」である、という風に訳すべきですから、ご質問に挙がっている訳しかただと100%原文を正確に伝えているとはいえないかもしれませんね。この訳だと「題材」と「文体」とが並列になってますから。 参考になれば幸いです。
お礼
~しつつも・・・、~でありながら・・・というニュアンスがbutで出るんですね。よくわかりました。ありがとうございます。
お礼
ご丁寧にありがとうございました。とても参考になりました。