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江戸時代の渡し舟は夜も運行?

江戸時代にはたいていの川には橋がなく、渡し舟でした。 この渡し舟は乗客が来れば夜間でも運行したのでしょうか 時代によっても、渡船場個々の事情でも違っていたでしょうが、幕末頃の一般的な状況を教えてください。

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  • ss79
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回答No.2

江戸時代の渡し船は不定時の運行で、乗客がある程度満席にならないと船を出しませんでした。 日暮れになると船頭も家に帰り無人ですから夜間運行することはありません。 長雨などで増水すれば欠航したものです。 公務での緊急連絡なども夜間まで急ぐのは考えにくいので、船頭の非常呼集などはなかったと思います。

m-jiro
質問者

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ありがとうございます。 今でも川べりに古い「常夜灯」を見ることがあります。 この灯かりを目指して対岸から漕いだのでは、と想像しています。つまり常夜灯があれば夜間も運行していた証拠では、と思ったりしています。 もちろん時代によっても、重要な渡船だったかなど、個々の事情で画一ではなかったとは思いますが。

その他の回答 (5)

回答No.6

No.3です。 >都市部の状況はわかりました。東海道などの街道ではどうだったのでしょう。 説明が下手ですみません。 私が挙げたのが街道筋での話です。 都市部はNo.4さんの言われるとおりの状況なので、 街道筋以上に夜間外出は厳しいでしょう。 街道筋の場合、例えば川の上流まで迂回すれば、 渡れるような場所もあるかもしれませんが、 普通ならそんな無駄で危険ななことはせずに、朝を待つでしょうね。 維新の志士などの場合は普通の旅人と違うので、 例えばお金をはずんで特別に頼む、というようなことがあったのかもしれませんね。

m-jiro
質問者

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基本的には夜は運行しなかった、ということですね。 ありがとうございました。

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.5

補足です。 常夜灯なんて言葉は江戸時代にタイムスリップした気分でした。 当時の渡し場は大抵船待ちの茶店のような施設があったように思います。 旅行者の土地不案内を考慮して川に転落などを防ぐ意味で常夜灯を設けたのかもとは思いますが、当時の事情では照明の油代は高価で補給などの管理が必要ですから私営の渡し場に常夜灯があったとはおもえません。 おそらく吉原などの歓楽界に出かける夜舟の便を図ったのではとも思われますが・・ あくまで特殊なケースでしょう。

m-jiro
質問者

お礼

基本的には夜は運行しなかった、ということですね。 ありがとうございました。

  • n_kaname
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回答No.4

そもそも、江戸時代は夜になると各町に出入りする門が閉まります。 吉原も大門が閉まり、朝まで出られません。 つまり、夜中歩いている人は盗人くらいなものなのです。だから渡し船も営業はしていません。

m-jiro
質問者

お礼

基本的には夜は運行しなかった、ということですね。 ありがとうございました。

回答No.3

当時は、一部の盛り場等を除いて、 夜間ともなれば大の男でも一人では出歩かないような治安状況だったので、 乗客が来ることもありませんし、船頭が待機しているということもありません。 暮れ六つあたりで終了です。 少しでも先を急ぎたい旅人は、最終の渡しに乗り遅れないように必死でした。 

m-jiro
質問者

お礼

ありがとうございます。 都市部の状況はわかりました。東海道などの街道ではどうだったのでしょう。 もし何かご存知でしたらお教えください。

  • taka-ism
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回答No.1

 文献などあさったわけではないのではっきりとは言えませんが、当時の船で真っ暗の中船を出したら船底に穴が開く危険を伴うのでよっぽどでなければ船はださないでしょうか?  川の漁でも夜行うものがありますが、あれは岸の近くでやりますし、漁師さんもなれています。  普通は昼に船を出す渡船場では、危険が大きすぎます。しかも、確実に帰りは空荷ですし・・・。

m-jiro
質問者

お礼

ありがとうございます。 うろ覚えなのですが、維新の志士が「夜を徹して××へ急いだ・・・」といった記述を見たような気がします。川も渡ったと思うのですが、私の記憶違いでしょうか???