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遠隔地の参勤交代の仕方
江戸時代の文久年間、福江藩の参勤交代は、何年毎に行われていたのでしょうか? また、どのようなコースを取って行われたのでしょうか? ご教授お願いします。
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福江藩は文久以降は異国船警固番に任じられ 参勤交代は免除されたと聞きましたが。 それ以前の参勤交代については、1万3千石の 小藩で、五拾数人の行列の規定でしたが、実数 37人の小行列だったとの記録もあります。 従い費用の点からずっと船旅とは思えず、九州の 諸大名の参勤交代の道筋を通ったことは確かです。 福江ー(船)ー長崎ー諫早ー(船)ー柳川ー小郡ー飯塚 ー小倉ー(船)ー下関 (長崎ー下関 は参府道ともいわれたようです) それからは、山陽道または海路で大坂、あとは 東海道または中山道経由で江戸です。 道路の込み具合などで変えたようです。
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- tanuki4u
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回答No.3
http://www.andrew.ac.jp/soken/pdf_3-1/sokenk193-1.pdf 事実, 江戸時代後期には, 五島・福江藩は幕府から近海に出没する外国船の見張り役(遠見番所)を 仰せつかい, それに代えて江戸参府を免除されたりもした。 とのこと
質問者
お礼
参考になりました。ありがとうございます。
- tanuki4u
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回答No.1
お礼
大変参考になりました。ありがとうございます。