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破格の待遇

江戸時代の大名について、破格の待遇を受けていた例を教えて下さい。 例えば、鳥取池田家は三つ葉葵の紋を許されていたとか、加賀前田家が大廊下詰で家老(加賀八家)も従五位下に叙任されていたとか、宇和島伊達家は准国持ちながら歴代少将に叙任される事が多かったとか、そういう破格な例はありますでしょうか?

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回答No.1

破格といって真っ先に思い出すのは 上野吉井藩松平(鷹司)家でしょうか。 わずか一万石ですが大広間詰めから大廊下詰めとなってます。鷹司信房の娘孝子が家光に輿入れした時に、弟の鷹司信平がついてきて幕臣となり、しかも紀伊家の婿となったのが始まりで、孫の代に大名になってます。 あと私が知っている範囲では、 喜連川家。五千石で十万石・国主格、御所の称など。 高松藩の松平(水戸)家も御三家連枝としては、破格の石高です。 細かい例になると、鍋島藩支藩の小城、蓮池、鹿島の各藩。それぞれ本家の内高なので本来陪臣なのですが大名扱いです。 美濃苗木藩遠山家。一万石ながら城主です。 あと宗家・松前家もどうでしょうか? 間違い等あればご容赦ください。 既にご存知かもしれませんが以下のページをご参照ください。

参考URL:
http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html, http://homepage3.nifty.com/ksatake/kakaku01.html
noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 吉井松平は伺候席が大廊下だったそうですね。 紀州家連枝の家ですよね。 あと長府毛利家も途中までは侍従や四品に叙任されるなど破格の扱いだった様です。

その他の回答 (1)

  • char2nd
  • ベストアンサー率34% (2685/7757)
回答No.2

 仙台伊達家もそうだと思います。  当時は「一国一城」が原則でしたが、伊達藩は仙台城と白石城の「一国二城」が認められていました。

noname#30350
質問者

お礼

御回答ありがとうございます。 白石城は片倉氏が城主ですよね。 他にも熊本細川家も熊本城の他に松井氏の八代城を持ってたようですね。

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