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19世紀フランス
この時代、フランスの歴史上ではどんなことがあったのでしょうか?うまく調べられませんでした。色々おしえてください!!
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19世紀に時代が変わる直前の18世紀末、フランスでは革命があり、それまで王としてフランスを統治していたルイ16世、王妃のマリー・アントワネットが処刑されるという大事件がありました。この頃、ヨーロッパ各国の王家はそれぞれ縁戚関係にあり、互いに戦争をすることはあっても、王族同士は互いを国家の統治者として認め合っていました。その王族(しかもルイ16世はブルボン家、マリー・アントワネットはハプスブルグ家という、ヨーロッパの中でも名家中の名家の出身でした)が市民によって断頭台に送られたというニュースにより、各国の王侯貴族は激怒し、新しく出来たばかりの共和制フランスに敵対します。しかも、その時フランス国内は革命直後からの混乱が収まっておらず、国内は共和派左派、共和派右派、王党派残党などに分裂して、テロの嵐が吹き荒れている状態でした。 そして時代は19世紀を迎えます。19世紀フランス最初の事件は、ナポレオンの台頭です。ヨーロッパ中の国家と戦争を繰り広げた革命後の共和制フランスは、優秀な軍人が立身出世するのに最適な舞台でした。ナポレオンはイタリア、オーストリア相手の戦争で名を上げ、1799年、クーデターでフランスの頭領となり、1804年には皇帝に即位します。ここにフランスの第一共和制は崩壊し、フランス第一帝政が始まります。 最初こそナポレオンの対外戦争は順調に展開し、イギリスとロシア、スエーデンを除くほぼ全ヨーロッパを支配下に収めますが、その後ロシア遠征に失敗、フランス第一帝政は急速に瓦解します。一度退位させられたナポレオンは、その後パリに戻って皇帝復位を宣言しますが、再度の敗戦により囚われの身となり、大西洋の孤島に流刑となりヒ素により毒殺されます。 その後のフランスは、ルイ16世の弟であるルイ18世、およびシャルル10世による王政に戻りますが、そのシャルル10世は1830年の7月革命により王位を追われます。その後に王位についたルイ・フィリップも1848年の2月革命で王位を追われ、フランス第二共和制が成立し、その第二共和制の大統領に選ばれたルイ・ナポレオン(ナポレオン・ボナパルトの甥)がクーデターにより第二共和制に幕を引きナポレオン3世として皇帝に就任します(1852年、第二帝政)。 この頃には、フランスでもイギリスに遅れること数十年、産業革命により市民(ブルジョワジー)が急速に力を付け始めました。この市民達は復古主義貴族による王政復古や、下層労働者による急進的な共和制のどちらにも賛成せず、中庸なナポレオン3世による帝政を支持したため、ナポレオン3世による第二帝政は比較的長続きし、対外戦争にも順調に勝利を収めたフランスは、ヨーロッパの中で確固たる地位を築こうとしていました。 それが一転したのが普仏戦争です。1870年、プロイセンの鉄血宰相ビスマルクの策略により、プロイセンと開戦させられたナポレオン3世は、プロイセンの罠にはまり、セダンで大敗し捕虜となります。一国の皇帝が捕虜になるという最悪の事態に驚愕したフランス国民は、ナポレオン3世を皇帝位から追放、第三共和制を樹立します。第三共和制フランスはプロイセンに降伏しますが、その際、混乱のパリで労働者が放棄し、史上初めての労働者による政府「パリ・コミューン」が成立します(ただし直ちに瓦解)。 普仏戦争後、フランスは共和国として存命を許されますが、その代償として、新生のドイツ帝国(旧プロイセン王国、バイエルン王国などが連合国家である帝国を樹立したもの)に対し、その国境沿いの地域にあるアルザス・ロレーヌ地方を割譲することとなります。また、ドイツ帝国の鉄血宰相ビスマルクによるヨーロッパ外交により孤立化を余儀なくされたフランス共和国は一度は弱体化しますが、普仏戦争による傷も癒える頃、度重なるパリ万博など産業の振興により再び強国への道を歩み始め、20世紀最初の大事件である第一次世界大戦に突入することとなります。
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- akiko0112
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おおかまかな出来事は、こちらを参考にしてみてください。 多分本で調べた方が早いと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。色々リンクにいってみます!!
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
フランス史の本は図書館にいけばありますよ。 あるいはこのサイトあたりで調べてみてください。
お礼
どうもありがとうございます。
お礼
すごく細かく教えていただきありがとうございます!!参考にさせてもらいます☆