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ガンジス川に沐浴する習慣・死体を流す習慣
よろしくお願いします。 題の通りの質問ですが・・ 1,ガンジス川で沐浴して、身を清める習慣というのは、いつごろから始まったのでしょうか? そして、それは最初から今知られているような、一般人も行うような大衆的日常の行事だったのでしょうか? 2,死体も流しますね。 死体を流し始めたのは、いつからでしょうか? 沐浴を始めた時代と(完全に)一致しますか? 死体を流すのは、沐浴とは別の由来を持つのでしょうか? 以上です。お願いします。 よろしくお願いします。
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- les-min
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#1の者です。 お礼とコメント有り難うございました。 #1の回答の後、気になって履歴を拝見いたしましたら、仏典をよくお読みになっておられるようで、「こりゃお釈迦さまに説法しちまったい!」と恥じ入っておりました。 恥のついでに(笑)インドの火葬の習慣は、古代からあったようですが、他に水葬・土葬・風葬も行われていたようです。(出典を忘れてしまいましたが、たぶん経典です。) 個人的な考えですが「ガンジス川の神聖化」を前提にヒンドゥー文化で行われる諸行事(沐浴や葬送も含めて)は、大きな意味では同根と見えます。 非アーリア人たちの所産であるインダス文明の遺跡には大きなプールのような区画があり、浴場だとも堀だともいわれていますし、モヘンジョ・ダロ遺跡がもともとインダス川の中州にあったことがわかっているので、非アーリア人たちも、少なくとも「水嫌い」ではなかったでしょう。むしろ遊牧民族であったアーリア人に、もともと沐浴の習慣があったとは考えにくいですね。 ヴェーダ聖典には、明らかにインダス川周辺と考えられる場所での戦闘を描いた部分もあり、アーリア人の北インド侵入は、決して和やかなものではなかったでしょうけど、そのあたりの事柄がもう少し明らかにならないかなーと、歯がゆい思いをしたのを思い出しました。 では。ごめんください。
- les-min
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こんばんは。。 かじった程度の知識しかないので、回答しようか迷ったのですが・・・他にもっと詳しい方もいらっしゃると思いますけどね。 自分の知る限りは、問1,2とも「正確なことはわからない」ということになるのではないかと思いました。 ガンジス川はヒンドゥーの神話の天地創造にも出てきますから、インドの人たち(←この場合、アーリア人)が、ガンジス川になんらかの「聖性」を見出したのは、「いつとも知れない昔から」という以外、言い様がないように思います。 アーリア人はコーカサス地方から遊牧生活をしながら移動し、やがて北インドに達した一団が、そこで定住した、というのが、ひと昔前(←自分がこのあたりの本を読んでいた頃)の定説のようでしたが、すでに原住民が居住している地域に、わざわざ定住しようとした、その理由は何なのか、自分にはわからなかったのです。ただ、アーリア人がガンジス川に「聖性」を見出したのは、そのころまでさかのぼってもよいように考えています。アーリア人の定住に何らかの関わりがあったのだろうと思います。 ヒンドゥー神話では、ガンジス川は、当初、天界に流れていたものが、人々の願いと努力、神々のはからいで現在の地上を流れる川になった、というのが大まかな要旨だったと思います。 ですから、ガンジス川で沐浴する、というのは清めの意味ももちろんありますが、神々の恩寵をその全身に受けるということでもあるのだろうと思いますし、死体や遺灰を流すのは、天界への転生を願う最大の供養、という意味合いになると思います。 その原初の形態がどんなだったか、というのも、わかりにくいでしょうね。アーリア人は聖典や叙事詩は残しても、いつ、何があったかを記した歴史書のようなものを残そうという気がなかったようですので・・・ 沐浴すること自体は、おそらくインドに原住していた人たちも行っていたのではないかと思うのですが、それがアーリア人のガンジス川の神聖視や沐浴の習慣とどう関わるのかも、はっきりしません。 なんだか有効な答えになりませんでしたが、ご参考になればよいのですが。では。
お礼
ありがとうございます。 ガンジス沐浴は、原住民の時代にまで遡れそうですか。私もそんな気がします。まぁ、暑いですしね(笑)。極寒の地では、そう簡単に川につかるという気持ちになりそうもありませんしね。 仏典など見ると、墓場は町はずれにあったようで、放置されてたみたいですね。川に死体を流すというのはあんまりなさそうです。しかし沐浴のことはあって、意味もないこととして批判されています。そうすると、沐浴と死体を流すというのは、流布度が違っていて、起源は違うのかなと思ったわけです。と言っても私が知らないだけかもしれないし、仏典には死体を流すことがちょっと出てないだけかもしれませんけれども。
お礼
再回答ありがとうございます。 過分のお褒めも頂いたようで(汗)。 水葬・土葬・火葬といろいろあるんですね。葬送儀礼って、大事な視点のはずなんですけど、なかなか注意してないと気がつきませんね。 >個人的な考えですが「ガンジス川の神聖化」を前提にヒンドゥー文化で行われる諸行事(沐浴や葬送も含めて)は、大きな意味では同根と見えます。 そうですね。私もこの点については、たぶんそうだと思います。