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テレビゲームと現実認識の境界について
自分はよくゲームをするんですが、今ゲーム脳やゲーム感覚の犯罪、ゲームに没頭して人付き合いが上手でないといった事例が増えてきているというのをよく耳にします。 自分は今までゲームがいけないといわれたこともなかったし、そういうことを言われる時代に生きてなかったし、いけないとも思っていませんでしたが、こういったことを聞くと、少し控えたほうがいいだろうか、と考えることもあります。 哲学的なアプローチでこれを考えると、ここで問題になってくるのがゲーム(あるいは幻想の)世界と現実世界の境界線はどこかという話題だと思うんですが、皆さんの境界線に関するご意見、あるいはそれに関するわかりやすい資料や書物の情報をここに書き込み願いたいと思います。 特に思考手法に制限をつける気はありませんが、哲学的アプローチを中心としてこの問題に解答するようにお願いします。もしかしたら哲学で扱う問題ではないかもしれませんが、哲学をかじっている人だったらどう答えるのか参考にさせていただきたいです。
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現実と虚構の錯覚は確かに問題だと思います。 が、それは昔からあったことです。 ゲーム以前には、小説や芝居、ダンスなど様々なメディアやアートで人は虚構と現実の狭間を行き来してきました。古くは源氏物語や阿国歌舞伎や初期の能など。 もちろん問題も多かったでしょう。 しかし大きな問題にならないような安全装置が社会の中にあったのだと思います。 ゲームの問題はそうした現実/虚構の錯覚だけではなく、いわゆるゲーム脳問題のほうが大きいと思います。 単純な刺激のみを長時間繰り返すことで、思考が固定され柔軟で豊かな発想が出来なくなると言うことです。子供がテレビやゲームをやりすぎると前頭葉の発達が遅れるという問題と同じです。 単なる錯覚なら醒めることができますが、脳が短絡的にしか動かないとなると非常にまずいことになります。 例えば物事を○か×かの評価しかできないとか。 どこかの掲示板でも、ウヨとかサヨだけで全てを片づける人が多いのも、そうした影響かなと思っています。 その二点が複合しているのが現在の社会的な事件の潜在的な背景かと思っています。
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- at9_am
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某教授のゲーム脳は、デタラメです(キッパリ)。 ですが、別の意味で、ゲーム脳はあるかも知れません。 まず、ゲームと現実が違うということを理解していても、例えば叩かれれば痛いのであるということを、実体験を通して理解したのではなく、言葉でしか理解していません。 また、特にゲームはある意味単純化された世界ですし、概して主人公は数奇な運命にある(例えば勇者として世界を救う)ことが普通で、複雑で自分が平凡な人間であるという現実とは異なりますし、一人っ子が多いので自分が特別な人間だと思いこみやすいのも事実だと思います。これも家庭外の実体験の欠如が原因と言っても良いと思います。 このような実体験の欠如のもたらす弊害をテレビ・ゲーム・映画などの弊害であるとし、特に双方向性を持ったメディアとしてこれらを代表して「ゲーム脳」と呼ぶのであれば、存在するでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございました。 自分は一人っ子ではありませんが、一人で遊ぶような人間でしたので、実体験がないという回答者さんのおっしゃっていることは心当たりがあります。 特に親もまた子供に対してお金を賭けて一心に教育するような時代なので、親も子も、教育のモチベーションをあげるために、そろって特別な存在だと思ってしまうことがあるかもしれません。この辺はゲームだけでなく家庭の事情も混ざっているのかもしれません。 皆様ご回答ありがとうございました。これで回答のほう締め切らせていただきます。ゲームについていろんなことを考えるきっかけになりました。また疑問が起こったらそのときはお願いします。
- ultraCS
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巷間言われるゲーム脳というのはトンデモさんの発言なのはご理解いただけているでしょうか。 想像と現実の区別が付かない人間は、元々、ある程度の割合で存在しています。ゲームやアニメの普及とは関係ないと思いますね。 つきあいが出来ない人間とか、こういった仮想と現実の区別の付かない人間というのも恐らくは旧石器時代からいたでしょうが、苛酷な生活条件で淘汰されていたのだと思います。宗教家や拝み屋などになれれば社会に受け入れられましたが、近世だと良くて幽閉、大概は間引かれていたはずです。 それが、豊かな世の中で淘汰のメカニズムが発現されなくなったため、表面に出てきたというのが実情ではないでしょうか。 哲学的な命題ではなく、社会学の領域だと思いますよ。
お礼
ありがとうございました。 創造と現実の区別のつかない人が先に存在していて、それが今の社会の状況に合わせた形で表面に現れているわけですね。 今ふと考えたんですが、足腰弱く頭でっかちな自分は昔だったら生きていられなかったろうなあと思いました。 さまざまな形での人の努力がいろんな人間の命を救ってきているのが、今の社会なのかもしれませんね。 近年問題がさまざまな形で起こっていると感じるのも、今まで淘汰などの形で棚上げにされていた物事が、平和になってやっと考える余裕が出てきたせいなのかもしれない、と思いました。 別のカテゴリの質問をわざわざご回答いただき、ありがとうございました。
- Yuki-A
- ベストアンサー率35% (14/40)
何か事件があるとメディアでは仮想と現実の境界が分らなくなってきているという説を報じたりしますね。 すなわちゲームのやり過ぎでゲーム脳やゲーム感覚になったと言われますね。 私は哲学も心理学も少しだけしか齧ってませんが、少しだけ書かせていただきます。 境界線はどこか分りませんが、失くす原因となった心理には同一視(同一化)が挙げられるかもしれません。 欲求不満から起こる防衛機制の一種です。 近年になりゲーム脳になってきていると言われるのは人とゲームの関係のせいだと思います。 コミニケーションを考えた際に A人→B人であり、A人←B人であり、同位です。 人→ゲームであり、人(自分)が主でゲームは従属です。 ちなみに人とネットでは人 リターン ネットで自分に反射で返って来ます。 そして人(←)テレビであり、一部分だけ人への支配力があります。 以上を含めて考えると、ゲームでは自分が主で何でも思いのままに出来るのに、現実ではそうはいかないという欲求不満が自分とゲームの主人公との同一視を引き起こし、仮想と現実の境目をなくすのだという事になるんじゃないか・・・と思います。 理屈をつけるとこんな感じになるのですが、私自身はNo.1の方やNo.2の方のようにゲーム脳なんて信じてないんですけどね。
お礼
読ませていただきました。回答ありがとうございました。 ゲームの中では思い通りになるけど、いざ現実いざ他人となると上手くいかないと感じることがあるのは確かにあります。普通の人でもそう感じることがあるぐらいですから、ゲームをやっているとその差は歴然と比較されてガックシすることはあります。 又逆にゲームをやっておいたから変なことや他人に失礼なことをしなくてすんだと言うことも最近ありました。ゲームを通じて、オンラインのゲームで実際に他人と話したり、普通の人の他人との接し方をお話の中で仮想的に経験したりして、自分がいかに普段失礼なことをしていたかと気づかされたことも実はあります。これははじめから自分が引きこもりがちなゲーマーだったから最近の洗練されたゲームに関してのみ補償的に(今までゲームのせいで同一視しがちだった自分が最近のゲームで少しましになるということ)感じることかもしれませんが。 でもゲームが役に立ったと思える事例は、冷静に考えるとやっぱり少ないですね(苦笑)。 ともあれ真剣なご回答をありがとうございました。又機会があればよろしくお願いします。
- cliomaxi
- ベストアンサー率33% (2921/8736)
ゲーム脳は自分が教育をちゃんとしなかった事を棚に上げるための「人身御供」です。 そもそもゲームと現実の境がつかなくて犯罪に走ってしまう人は同じゲームをする人口の極々僅かです。(1%にも満たないのでは?) 世界で唯一の超大国と言われる某国はテレビの番組や雑誌(子供向けだけでなく)は暴力的、性的表現とかかなりの規制があります。 にも拘わらず10代前半で既にギャングスターだったり強姦が頻繁にあったりします。
お礼
なるほど。的確なご指摘をありがとうございます。 確かにゲームをしたから急に頭が悪くなるわけではありませんね。 むしろゲームに時間を割くことで別のことができなくなっていることのほうが問題ですね。 犯罪などの社会的問題も、さまざまな要素が絡み合って起こることですから、ちょっと質問の仕方が極端だったかもしれません。 具体的な例が上がっていましたのですぐ納得できました。ありがとうございます。
えーゲーム脳とか信じちゃいけません。史上希にみる暴論です。 ゲーム感覚の犯罪とかもテレビゲームは関係ありません。
お礼
回答と修正をありがとうございます。 安心してゲームを続けます(笑)。
お礼
ありがとうございます。参考になりました。 よく考えてみると、ゲームって同じことの繰り返しであることが多いんですよね。RPGものとかは使うコマンドが決まってたりしますし。でも設定が勇者とかかっこいいものになりきれるようなものだったりして、簡単に英雄になれるんでついつい続けてやってしまう。そういうところは実際の経験から考えても確かにあると思います。 いろんなことに慣れておくためには、ゲームは妨げの一つになる可能性が十分にありますね。 自分の悩んでいたところをついていただいたので、目からうろこ出てます。ありがとうございました。