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所有とワークシェアリング

ワークシェアリングは、結局、一瞬の流行語だったのでしょうか。 ワークシェアリングを唱えれば、それが、 官僚の喉下にナイフを突きつける事に気がついたからでしょうか? みんなの物は、公平に分けるべきだか、自分のものは、離さない。 仕事は、自分の物。全く否定はできないようですが、 自分を表現するのに、仕事が頼りでは、現在の病理かも。 働く権利を奪われてしまった若者も多く、 一つの方法と注目していましたが、まだ、環境が整っていないのでしょうか。 ワークシェアリングで仕事の所有意識は、変わるでしょうか? 「賞味期限」89168時間と66秒

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  • freeway55
  • ベストアンサー率34% (67/193)
回答No.1

どんなものにも、長・短所があります。 ワークシェアリングも、そうです。 仕事を分け合うことが平等という考えもあれば、分け合わないのも平等です。 分け合わないことが平等というのは、その仕事を得た人は、得るために努力をしたからです。努力分、仕事があるわけです。 >働く権利を奪われた若者・・・ という部分も、解釈が分かれます。 身体的な、もしくは不可抗力によって仕事に就けないという場合は、ワークシェアリングは意味を持ちますが、それ以外の通常の場合では、仕事がない、就けないというのは、本人の問題だと考えています。

noname#15238
質問者

お礼

お待ち申し上げていました、 管理者側から、いつ頃、無回答の質問を削除されるか、楽しみにしていましたが、それはまた次の機会の楽しみに取っておきましょう。 やはり努力の結果は自分のもので、完全に否定する事はできませんが、結果が無ければ努力しないのかと、考えると、微妙な気もしますが。 フリーター、ニート、等の人たちの増加を、本人の問題「ダケ」に還元してしまえば、われわれは「競争」するために生まれてきた事になってしまわないでしょうか。日本国民には法の下に働く権利があるはずですが。 有難うございました。