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景観生態学について
里山研究において景観生態学という分野からの視点が重要であるということを知り、景観生態学の本を読んでみたのですが、どうもよく理解ができません。申し訳ありませんが景観生態学の概要について教えて頂けないでしょうか?「里山の利用履歴と植生」について知りたいと思い、この内容での卒論を検討しているのですが、目的(調査理由)の部分でもっともらしい理由付けができずに悩んでいます…。ここ1ヶ月ほどその理由付けを考えてはみれど浮かばないといった状態です。アドバイスをよろしくお願いします。
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私も以前里山研究をしていました。 私が行っていた研究も里山の利用履歴と植生のようなもので、そのときの調査目的は 「放置されている二次林の再利用法の提案の一助に…(なんとかかんとか)」見たいな感じにしました。 参考になれば幸いです。
こちらのURLが何かのヒントにならないでしょうか? 場所は長野県白馬村。「びおとおぷ」について色々と書かれています。 村役場の裏手に「ビオトープ」を復元?した小さな川沿いの道があります。 可能なら一度来てみて、話を聞くとか実際に歩いてみるとか。 白馬には「マイスター」と呼ばれる各分野(自然にかかわること)の専門家がいますが、観光局などに問い合わせしてみても良いと思います。 「景観生態学」とか難しいことはわかりませんが、質問者さんがおっしゃる「理由付け」のヒントにでもなれば・・・。
- kei533
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最近里山ブームでそこに生活の場のない人たちが関心を持つのは良いことでしょう。 まず、文献ありきでははなく、現場を駆け回り、関わりの深い(深かった)現地の人たちに聞けば自ずと見えてくるでしょう。文字情報から得た観念が先行するような分野とは思えません。景観生態学は知りませんが、里山に生活の場のあった人達に「景観」などという概念があったでしょうか? 私の故郷では近くの里山から冬の寒い時期に子供まで動員して1年間分のクヌギを切り出して薪に、落ち葉は堆肥にしていました。つま先から冷える寒さに唐辛子を足袋に入れ、木を引きずって運んだのを思い出しました。切り株からは春に新しい芽がでて数年すれば切り出せるまでになりました。雉、野うさぎやキノコ、その周りでは山草などが採れ、実利を兼ねたリクリエーションにもなっていました。しかし、今は冬でも緑の山に変わっています。昭和30年ころにはプロパンガスや化学肥料が普及して手のかかる里山の産物は利用価値がなくなったのです。昔のような里山の維持に掛かるman・hourに現在パートの時給を払ったとすれば、はたして産物の価格は如何ほどになるでしょう。今は子供が手伝いをしませんし、薪を貰っても使いようがありません。 荒れた都市近辺の里山をみて郷愁からボランティアを買ってでる人を動員して、はびこった孟宗竹を切り出しても使い道がなく市の焼却場で処分したと聞き、容易ならぬことと思い知らされました。現在の経済性をもとに、如何に活用するか実現性のある回答を期待しています。