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卒業論文が書けません。怠慢でしょうか?
- 卒業論文が書けない理由として、季節的な制約とデータ不足が挙げられます。
- 中途半端な卒業論の時間と労力を費やすか、満足のいくものに仕上げるかの選択に悩んでいます。
- このような思いは怠慢とは言えず、将来に役立つ知識を学ぶことも有意義です。
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(季節性のある)フィールド系なら厳しいですね。たとえば植物が相手なら,枯れたり休眠しているときには調査が成立しないでしょうから。室内実験系なら突貫工事の追い上げができますけども・・・。卒論の単位をとらないと要卒単位が不足するわけでもなさそうなので,やめたらどうですか。 ぼくの指導学生なら,うちは必修なので,張り倒してでも書かせます(データが少なければレビュー論文に近いものになるでしょうね)。たとえ不満足なできばえでも,期限までに一定の形のあるものをでっちあげる経験は,貴重なものだと思います。この考え方に共鳴できるなら,書きなさい。
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- kuni-chan
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私が行った大学は卒論は必修でしたから、不合格の場合は卒業できません。 私の場合、その年に卒業できなければ中退する条件で通っていましたから、卒論を落とすことは許されませんでした。 なかなか出口が見えませんでしたし、指導教授からは「この程度の研究では卒論として認められない」と厳しく指導されました。 提出期日が近付き完全に追い詰められた状況で、苦しみながらまとめた経験は大変貴重で、社会に出てからも『あの状況であれだけの事ができたのだから』と思える事は困難に立ち向かう力となりました。 途中で諦めて後悔しないなら、それも良いと思いますが、追い詰められた状況で頑張るという経験も貴重です。社会人としては許されない失敗でも学生は許される事があります。失敗も経験ですから、やるだけの事をやってみた方が良いと私は思います。 結果は確かに重要ですが、経過が無駄とは思いません。
お礼
回答ありがとうございます。最近は「このままやっても無駄だ」という頭しかありませんでしたが、この経験から得られるものはゼロではないですよね。ありがとうございます。
- TANUHACHI
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たかが学部の卒論、それも必修ではないならばそこまで肩肘を張る必要はないとはお考えになりませんか?。大学側の教員も学生の卒論などに期待ははしていません。学生に求めることは「研究テーマ」に即して「どの様に材料集めをして」「どの様に吟味して」「どの様にまとめるか」が実際にどの程度まで習得できているかを見る程度です。 今質問者様が対峙しているのは「自分の本当の実力レベル」です。つまり「卒論すらまとめることのできない程度の実力」しか大学生活のなかで習得できなかったのであり、その姿に愕然として立ちすくんでいるにすぎません。この意味で最初に始めることは「ありのままの姿」を受け入れることから始めるしかないと考えられます。その上で、現在手持ちの材料を「どの様に分析するか」によってまた違う視座も見えてくるのではありませんか?。 少なくとも僕には今の質問者様はプライドの塊であり、その上に胡座をかいた怠慢としか感じられません。
お礼
回答ありがとうございます。仰るとおりですね…。私は「卒論すらまとめることのできない程度の実力」を受け入れることが出来ず、逃げているのでしょうね。このプライドは社会に出てから邪魔になりそうです。それを打破するためにも、卒論は必要なのかもしれないですね。ありがとうございます。
- tekcycle
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> まず、私の研究分野がフィールド系であり、季節性があったこと。 つまり、テーマの選定ミスです。 論文なんてのは、素人に書ける物ではないのです。ご心配なく。 特に、それでも書けるテーマにするところだって難しいんです。 できもしないテーマを選んで良いなら簡単なんです。不死の実現とかね。 > 教授にもお世話になっている そんな細々としたことを、大学の大教授様にお世話になっている時点でもうおかしいのです。 そんな状態で、まともな物は書けません。 意味があるとすれば、書けないなりに書いてみて、書けないということを知ることでしょう。 小さくはないと思いますよ。 学生生活を満喫するか他の勉強をするかはお任せしますが。 念押ししておきます。 論文というのは、プロである大学の教員等々が、毎日研究活動をして、それで書ける物です。 プロ野球選手が毎日練習をしてそれで出せる結果、というのと変わりありません。 素人が片手間に書けるなら、プロの彼らなら毎日数報ずつ書いてしまうでしょう。 あなたは素人も素人、ド素人。しかもおそらくまともなトレーニングすら受けていません。 それでプロと同じようなことができる方がおかしいです。 己を知ること。それが卒論かもしれません。 そもそも、書いた方がマシな物なら立派な研究成果です。 4月から毎日朝から晩まで研究していたのならともかく、そうでないのにそんな成果が出せるわけがありません。
お礼
回答ありがとうございます。確かに、自分自身がどれだけ素人なのかはとても良く分かりました。書けないことを知れたことは意味のあることかもしれないですね。
- potatorooms
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「怠慢」というよりも、プライドが高いんじゃないかな。 修羅場を知らない新社会人は会社をすぐ辞める、というので有名で、今じゃ会社の採用も、受験勉強を経験したか、追い込まれた状況で何かを成し遂げた経験があるか、を割と重視しているようです。 このあと、会社に入っても似たような状況はいくらでも出てくると思いますが、その時の練習のために、真剣に取り組んでみることをオススメします。 与えられた条件で、最良のものが、自分の納得のいかないモノでも、作れるかは、重要な経験だと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。確かにプライドが高いのかもしれません。「こんなはずじゃなかった」と頭のどこかで考えてますし…。無駄な経験ではないですよね。もう少し考えます。ありがとうございました。
- 40871
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学部レベルの卒業論文で、満足のいく内容で纏められる人など、そう多くないでしょう。 既に学会発表して受賞した程度の論文を書いたことがあるというのなら、話は別ですが。 失礼な表現になってしまいますが、質問者さまが理由として挙げられている2つの理由は、 社会人からみたら、考えられない発想です。 そのままの考え方で就職されても、社会人として不適格と、いずれ会社側は判断するでしょう。 なぜなら、仕事のほとんどは、顧客からの依頼であったり、上長の命令です。 自分のやりたいことを優先してやるものではないからです。 無理難題であっても、相手が満足するまで、何度でもやり直して100点にする必要があります。 また、その仕事の成果についても、自分で判断するのではなく、他人から評価されるものです。 >研究分野がフィールド系で、季節性があったこと。 まともでない中途半端なデータしか取れなかったのが、就職活動があった状況を含めて、 現在の質問者さまの力量です。 また、実際問題として、4月から卒業研究をやっていたとしても、翌年になっても 中途半端なデータしか取れないという人はいくらでもいます。 それでも、卒業論文を作るのです。 >中途半端な卒論に費やす時間がもったいない 満足のいくものに仕上がるというのは、どういう状態であれば満足されるのでしょうか。 上記で「卒業論文のテーマがフィールド系~」 のためできない、とも書かれておりますが、 学部であれば、研究テーマは指導教授から与えられたものですよね。 質問者さま自身が自ら研究テーマの選定のできない段階で、 満足がいくまで仕上がらないからやらない。というのは、どういう発想なのでしょうか。 まだ、卒業論文を書くには一人立ちできない状態だからこそ、指導教授がいて、 テーマも決めてもらって、論文の内容自体も、できる範囲でベストを尽くすように。 と、質問者さまは甘えさせてもらえていることに気が付きませんでしょうか。 <潔く卒論をやめ、残りの学生生活を満喫、将来の就職に役立つ知識を学ぶほうが有意義 意味不明です。 仕事に納期のない仕事はありません。 「期日までに卒業論文の提出を諦める、物事に取り組む姿勢を改善するため」 だけでも、卒業論文に取り組む意義は大きいことでしょう。 やろうとして、中途半端なところまでしかできなかったというのなら、フォローのしようが ありますが、始めからやらないというのは論外です。 知識やスキル以前の問題かと存じます。
お礼
回答ありがとうございます。仰るとおりです。いろいろと言い訳に過ぎませんね。指導教授には今まで本当に甘えさせてもらいました。出来る範囲でと励まされてきました。その中で自分なりにやってきたつもりでしたが、それが苦しくて虚しくなってしまいました。完全に逃げですね。
良かったじゃないですか、卒論が必修じゃなくて。 必修じゃないのなら書かなきゃいいだけの話でしょ? ぶっちゃけ、今から書き出したってマトモな卒論が書けるとは思えないし。
お礼
回答ありがとうございます。
- 691128
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>将来の就職に役立つような知識を学んだほうが有意義であるように思えてなりません。 ならば自分の持っているデータである程度の(ごまかしでない)資料(卒論)を作ることが有意義な学び方でしょう。 卒論ならば失敗してもこの卒論が卒業単位に必要でないですし、首にもなりませんからね。 データの乏しい場合の資料作りに十分役立つことでしょう。 そしてこの卒論に関してきちんと教授から評価、批評を聞ければさらに良い勉強になるでしょう。 「卒論」を「会議資料」にかえると 特に集中して調査をしなかればならなかった夏から秋にかけて、 私は他の仕事の真っ最中であり、ほとんど調査が出来ませんでした。 そのため、まともなデータが周りの友人に比べ、全く取れていないのが現状です。 周囲は「そうしたデータの中から言えることを言えばいい」と励ましてくれます。 しかし、私はそれがどうしても出来ません。こんな中途半端なデータで作る会議資料ならば、やらない方がマシだと思ってしまいます。 今月中には会議資料をまとめあげなければなりません。 それに費やさなければならない時間と労力は大きいものになると思います。 しかし、どれだけ時間をかけても、私のデータと能力を考えると、 満足のいくものに仕上がらないのは目に見えています。 それならば、潔く会議資料を作るのをやめ、残りの生活をより満喫しながら、 次の就職に役立つような知識を学んだほうが有意義であるように思えてなりません。 あなたがどういった職に就くかは分かりません。 でもこうなるのは目に見えてきそうです。
お礼
回答ありがとうございます。データの少ない中から資料を作る練習だと思うと少し卒論の見方が変わってきました。
- root_16
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1か0か、というデジタル思考というか、 完璧主義は危険です。 全ての物事に「自分で完璧」と思えるものは無く 「完璧」と思えるまで修行するなら 数限りない困難と失敗を乗り越えなければなりません。 完璧に出来ないから(逃げ)、とか 他にやるべき有意義なことがあるから(逃げ)、 潔くやめる(カッコ良さそうに言ってるけど要するにできない言い訳) なんて、ほとんど逃げ口上です。 「できる」を証明するためにはやってみせなければなりません。 卒論ができなかったんではなくてやらなかったんだと 言い訳したいのかもしれませんが、世間はそう見ません。 卒論くらいできて当たり前。できなかった奴はできない奴と そう見られても悔しくないならいいんですが。 就職すれば時間が無くても形にしないといけないことなんて 日常茶飯事ですので、そういう1か0かという思考を 改めないと、この先大変ですよ。
お礼
回答ありがとうございます。やっぱり「逃げ」ですよね。完璧主義、というより、周囲の友人と比べてしまうところがあるのだと思います。劣等感の方が強くて、それで逃げているのだと思います。改めないといけないですね。
- toshipee
- ベストアンサー率10% (725/7148)
会社では考えられない思考だ。会社では(80点=単位取得)ではリストラで、すべて100点でないとダメだから。悔しいなどという考えも、言われても仕方がないというのが、これからの世界だと思っておこう。
お礼
早速の回答ありがとうございます。
お礼
回答ありがとうございます。仰るとおり、対象は植物でした。時間的な制約と自分自身のスキル不足の中で集めたデータを前に、ここにきてまとめることが虚しくなってしまいました。ただ、確かに貴重な経験ではあるかもしれないですね。もう少し考えたいと思います。ありがとうございました。