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現実逃避の進化論的起源
なんだか、病的な性質の進化論的起源というのも妙に聞こえるかもしれませんが、 私の理解では、心の性質の多くには、ちゃんとした進化論的意義がある。そして、それがアレルギーのように行き過ぎたのが精神病のような状態。 そこで、心理学カテゴリーが最適かどうか分りませんが、お聞きします。 現実逃避には、生存や繁殖にどのようなメリットがあるせいで、そのような欲望が進化したのでしょうか? 宜しくお願いします。
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私もよくそんなことを考えます。ほとんど耐えられないような性格のひとを見て、どうしてこんな性格が進化の過程で生き残ってきたのだろうか、絶滅してくれたらどんなに住みやすい地球になっていただろうか、とか。 さて、現実逃避について考えてみると、 1.ある性格がある状況になったとき、その現実にまっすぐに直面すると心が大きく傷ついてしまう場合に一時的に現実から逃避することで個体維持が可能になる、ということでしょうか。恐ろしい体験が思い出せなくなる、という機構と似ているかもしれない。 別に現実から逃避していない私達にしても、「俺が悪いんじゃない、あいつが(社会が)悪いんだ」と責任転嫁していることに後から気づくことがあります。その時点ではそう思いこむことが私にとって必要だったのかもしれない。 つまり「ある性格」の人にとっては現実から逃避しなかった人の方が先に滅んだ、ということ。 2.ところで進化を考える場合個体でなく集団で考えるべきですよね。上記のような性格の人を含む集団の方が含まない集団より何らかの理由で生存に有利だったということ。「何らかの理由」がよくわからないので回答になっていませんが。 3.生存に有利でないのに生き残っている場合。 ますます推測になりますが、いくつかありえますよね。まず遺伝子的に生存に有利な性格とセットになっている可能性。次に定向進化のような場合。これは絶滅に向かいます(間違った方向に行くことを止められない)。次に急激な適応放散のように生存に不利な遺伝子が淘汰される暇がない場合。最後に進化の機構が働かなくなっている場合。人間の場合はこの地球上で圧倒的な地位を占めているし、「人道的」な理由で淘汰が許されなくなっている、という理由。
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- nemosan
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面白そうなテーマなので拝見していましたが、なんか難解?な言葉が多いですね(笑) 私の受けた心理学の授業では、下のような言葉の説明だったけれど…。 「適応機制」 欲求が満たされないときに不安・悩みを和らげるために心の安定を 保とうとする働き。適応機制には、代償、同一化、合理化、逃避、 抑圧、退行、攻撃などがある。 代償は似たような欲求によって欲求を満たすこと。同一化は自分に ない名声や権威をまねをしたりすることによって近づけること。 合理化は最もらしい理由で正当化すること。逃避は直面している 困難から逃げ出すこと。抑圧はいやな記憶などを忘れようと試みる こと。退行は子供のように泣いたりわめいたりすること。攻撃は暴 力のように直接的なものやうわさなど間接的なものによって欲求を 満たそうとすること。 引用:心理学用語集 http://www.geocities.jp/vivelejapon1945/psy.html これによると、質問の方の言う「現実逃避としての荒らし」は「適応機制の攻撃」に当たるのかな? 「進化論的起源」の意味はよく分らないけれど(まさか突然変異じゃないよね)、「逃避などの適応機制」はメリットがある働きで、「弱い心」というより「曲がっても折れにくい心」になるのではないか!と思います。例えば、戦災や奴隷状態など過酷な環境でも生き残れるように。
補足
「進化論的起源」は、 どういう自然選択・性選択の文脈で勝ち残った形質なのか?ということです。 「起源」という言葉遣いは、かなりヒトの進化特有の事情。つまり、ヒトの社会、生活様式などは、生物学的進化速度と桁違いに速く変化しているので、ヒトの形質のかなりの割合は、現代社会に対する適応では説明できず、原始時代に役に立ったということで説明がつく場合が多いのです。ですから、現実逃避のような、一見するとあまりよくないことでも、原始時代には役に立った特徴が現代社会で病的に表出しているということもありえるということです。だから「起源」。 突然変異ではありません。むしろ、変異した形質が実際に生き残る圧力を説明して欲しい。No3. の方も若干言及されていますが、膨大な量の形質に関しては、そのメリットを説明することができません。その形質があっても、とりわけ不利じゃなければ、淘汰されませんからね。で、もしかしたら、現実逃避は、そういう無害だけど、役にも立たない形質の一つかもしれない。でも、まずは、社会進化論の立場からすると、できる限り、ヒトの形質も生存競争に役立つと説明をつけたいわけです。冗長な形質であるとするのは、そうした説明の試みがすべて失敗した後でよい。 で、次に、ご説明の適応機制ですが、ヒトはとりわけ合理的思考が発達している動物。なんで、単に、「逃げているだけ」と半ば知っていることをやろうとするのだろう?それとも、下條伸輔さんのように、徹底的に非合理的だとするパラダイムで考えたいかな?私は、意思決定畑の人なので、合理的人間パラダイムは、実例ごとに納得のいく説明がない限りは、とりあえずは捨てません。 回答ありがとうございました。
- kaitaradou
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kaitaradouです。厳しく御考察されておられるので蛇足とは思いますが再々度書かせていただきます。人間は本質的に現実逃避しているというように書きましたが,普通言っている現実というのは現在の外界を含めた現在の状況の中に絡め取られていることを言うと思います,人間の脳の中の出来事も現在と重なってはいますが,ゲームに打ちこんでいること自体は現在によって束縛は受けていないという意味で,同じ現実といっても分けて考えるべきではないでしょうか。いわゆる現実逃避の場合の現実というのは外界に絡め取られているという意味での現実だと思っています。
- happy_books
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まぁ、あまりもっともらしくはかけませんが、 まだ人類が捕食される頃の話し、目の前の子供が むしゃむしゃ食べられている様を見た時に、助けようと した遺伝子や、ショックで次の子供を残せないような 遺伝子は滅んでしまったのではないでしょうかねー。 これが直に、繁殖に関係してくると思うけど。
お礼
これまでのスレッドをお読みになって回答されたのでしょうか? まず、そもそも、それほど深く傷つかないという戦略があると思いますが。 また、それほどのショックを感じるということは、それだけ大事件であり、同じ過ちを絶対に繰り返さないようにする、積極的な教訓にするために、そうした感情があるともいうことができます。だから、感情に強弱があるわけで。 で、そうした強い感情が生じたときに、すぐに気持ちを切り替えて、残った兄弟たちの教育、保護に正しく励む というのが正しい感情のあり方である気がするわけです。 なんで「逃避」という方向で解決しようとするのですか? いずれにせよ、回答ありがとうございました。
- kaitaradou
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kaitaradouです。人間は外界(ほとんど現実という意味)から自由になった脳の世界の中を環境として棲んでいますので外界は直接の環境ではないわけです。これがいわゆる環境破壊を人間が行う遠因でもあるわけで,現実逃避と環境破壊は双生児のようなものです。現実逃避をしない人が環境破壊をしてしまうわけですから、五十歩百歩なわけです。我々人間が、現実と呼んでいるものは現在という一時点に釘付けになっている我々と我々の環境の状態のことですから現実から逃避するということは,この釘付け状態から自由になれるという人間という生物だけに可能なことでもあります。つまり人間が生きているということは,本質的な意味において現実逃避なので,いわゆる現実逃避というのは自然破壊と逆の方向に向いた,生物としては破滅的な状況でもあると思います。このことは、いわゆる自然破壊をもたらすような人間の活動が短時間の中では,むしろ生物としては繁栄しているように見えることと対照的です。しかし人間はどちらの方向を向いても生物としては危うい存在であることには違いがないと思います。
お礼
純粋内的世界というのは確かに人間性の本質です。例えば、ゲーム。生存に直接は役立たないでしょう。しかし、ゲームで遊ぶことは、知的トレーニングの目的では、大変優れています。これは、いろいろなところで私も書いています。人類は、ゲームのみならず、テレビとか、言ってみれば、五感に人工的に働きかけたり、果ては麻薬のようなものまで人間は開発してしまった。 で、確かに、おっしゃるように、こうした精神世界は必ずしも「現実世界」というのにふさわしくないように見えます。 しかし、おそらく「現実逃避」という言葉における「現実」とは、なにも物理的なハードウェアを指すというよりは、ちゃんと正面から立ち向かうべき観念的な問題状況も含むでしょう。いわゆる、理想的に対する現実的というニュアンスです。つまり、納得づくで、ゲームを楽しんでいるときのゲームは、本人にとって現実以外の何者でもありません。ゲームという例でも現実逃避を考えることができて、例えば、ネットゲーマーで弱い人たちの中に「荒らし」がいますが、この人たちは、ゲームに弱いという現実を受け入れられず、いびつな形で自己表現している人たちでしょう。もちろん、中には、本当に純粋に荒らし行為自体に無類の喜びを感じている珍しい輩もいるかもしれませんが。 回答ありがとうございました。
- Drag-one
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想像→空想→妄想→幻覚 の方向で現実逃避の度合いが強くなるように思います。 人間は地球上で今も爆発的に増え続けています。 増え過ぎれば自然淘汰が始まりますがそれを抑制しているので、ストレスが人の中に常駐するようになったと思います。 現実逃避が一般化する方向では進化していると言えるかもしれません。 トータルリコールという映画がありますが、ああいった商売もありえると言う事ですね。 メリットについては、うまくストレスを発散していると考えれば人口増加に適応しているという点で強いと考えられます。 進化と言う点で現実逃避を考えて見ますと、現実逃避とは言っても、はっきりと現実と非現実の分離、切り替えが瞬時に出来る必要が有ると思います。そのスピードの速さに進化を見る事が出来るのではないでしょうか。
補足
ストレスの説明がいくつかでています。 そもそも、ストレスにもおそらく進化論的起源があり、失敗などをしたときに、なにも負の感情を感じない人は反省心が小さく、進歩しにくいでしょう。もちろん、正しい選択をした結果、未来に生じるであろう大きな正の感情を期待しながら主体的に判断するということが一番望ましいのですが、まずは単純な思考法としては、目の前で経験した失敗を防ぐということでしょう。 ま、というわけなので、ほどほどのストレスには、明らかに意味があるのですが、過剰なのは良くない。それを防ぐために現実逃避をするというのは、実にもっともらしい説明なのですが、いくつか問題があります。 0.そもそも、なんで、自己破壊くらい強いストレスがあるのか?(これは、別の質問にするべきですかね?) 1.なんで、単に大脳新皮質の判断などを利用して、ストレスを抑えないのか? 2.現実逃避している自分を、自分の大脳新皮質が認識しながらやっていることが多いと思いますが、その場合、現実逃避がなんの解決にもならないことを知っていてやっていますよね。逃避している自分がいやになって、ますますストレスがたまるということはありませんか?それとも、高橋伸夫などが研究しているように、「やり過ごしている間に、状況が変わったり」、もしくは、「もともとのストレッサーがたいしたことがなかった」というようなことがあるのでしょうか? しかし、そうしたやり過ごしの場合は、自分も結構合理性を認識していて、現実「逃避」というよりは、他に「本人がより重要と思う」生産的なことをやっていますよね。 もしくは、現実逃避というのは、そのような合理的な説明はできないけど、本能的に、眼前のタスクにこれ以上携わることは得がないということを知らせてくれているシグナルなのかもしれませんね。とりわけ、どういうときに現実逃避に走りやすいかといえば、眼前のタスクに無力感が生じているときです。で、どうして無力感があるかといえば、本当に自分の意思決定でどうこうできる問題ではないからかもしれない。とすれば、不本意でも、別のタスクに取り組むしかない。 だから、まさしく、おっしゃるように、「切り替え」という別の人間の能力と組み合わせて、現実逃避の本能は積極的にこれを利用して、別のちゃんとしたタスクをできるだけ早く見つけて取り組むのが理想的なのでしょう。現実「逃避」になってしまった人というのは、その本能を正しく生かせずに、負の感情ばかり引きずっている人なのでしょうね。 よく分りました。ありがとうございます。
- mojitto
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面白い質問ですね。 現実逃避は『逃避』というように、困難に直面したときに取る人間の逃避・防衛行動だと考えます。ですから欲望ではないと考えます。 逆進化、つまり心を退化(小さくして)させてストレスの回避、軽減をしているのでしょう。それがメリットだと思います
- mojitto
- ベストアンサー率21% (945/4353)
面白い質問ですね。 現実逃避は『逃避』というように、困難に直面したときに取る人間の逃避・防衛行動だと考えます。ですから欲望ではないと考えます。 逆進化、つまり心を退化(小さくして)させてストレスの回避、軽減をしているのでしょう。それがメリットだと思います
お礼
よく分らないのですが、 現実逃避以外の文脈で逃避行動という言葉を使うことがあるとすれば、 本当に危機が迫っているのを隠れてやり過ごすみたいな「安全欲求」のようなものが絡んでいるでしょう。そのことをおっしゃっているのでしょうか? 後半は、まさに、「現実逃避したくなるような(弱い)心」を所与とした場合のメリットであり、 質問は、そもそもなぜそのような心を持つようになったのか?ということです。
- kaitaradou
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興味深い質問だと思います。人間だけが,外の世界と同じ蔵あい,或いはそれ以上の,新しい世界を頭の中に築き上げた結果、ともすれば外の世界より頭の世界のほうを優先するようになったのではないでしょうか。人間でも体は外の世界に属していますから,津全生残るためには現実である外の世界を考えなくてはなりませんが,状況次第では,現実を無視しても頭の中にすんでいれば大丈夫と思える場合も多いのではないでしょうか。つまり進化という観点からは頭の世界が発達している方が生延びやすかったはずですが反面手が抜けると頭が錯覚してしまえば、容易に外の世界は消し去っても平気になってしまうのではないでしょうか。
お礼
できれば、「手が抜けると錯覚する」ということが生じたメカニズムの発達を説明していただけるとうれしいですね。
補足
まじめに複数の論点を考えていただきありがとうございます。 1.まさに先にほろんだ「弱さ」を説明いただけると嬉のですが。傷ついて、ストレッサー物質から「健康度を損ねる」ことがデメリットなのでしょうか? 2.いや、これは、私のような素人勉強家が言うべきことではありませんが、集団レベルの生存を進化論的にバックアップするには、必ず、それが個体レベルでも最適行動になっているように説明しなければならない。具体的には、いくつかの均衡概念があると思いますが、ナッシュ均衡が代表的でしょう。つまり、(例えば囚人のジレンマゲームで)協力状態が達成されるのは、あくまでも利己的遺伝子の観点からそうした戦略をとることが望ましいため、そうしているわけで、利他的に協力しているわけではない。 3.この説明が、今回提起してくださった中では、一番有力である気がします。 「セット」の方は、具体的なセットの相手があるとうれしいですね。もし、この相手が指定できないと、なんでもセットで逃げちゃえそうですから。 「定向進化」は、私のアレルギーという発想が、個体遺伝子レベルで書き込まれてしまっているという感じですね。 つまり、アレルギーは、環境に対する過剰反応によって起きるので、言ってみれば、スギ花粉のように異常な環境とセットになることが多いかもしれませんが、行き過ぎた定向進化というのは、環境が悪くなくても、生まれた時点で問題を抱えている。 相当センスの良い感じのする説明の方向性だと思うので、後は、具体的に「どういう良い方向」があったから、その行きすぎで病的になった ということを説明してくださるとうれしいです。 アレルギーの場合は、過剰免疫で、免疫自体には明らかに意味があるということです。 「急激な適応放散」の説明は、これまたものによっては魅力があります。例えば、「食欲」は、従来は正しい欲求なのですが、食物ゲットが簡単な現代生活においては、過剰欲求で、成人病などにより過剰な食欲は淘汰されるべきものです。しかし、しばらく時間がかかるでしょう。ですが、言いたいのは、こうした欲求であればあるほど、まさに「現代」無用の長物だけど、原始時代は良かったわけです。原始時代にもあまり役立たない形質に関しては、十分に淘汰される時間はあったのではないでしょうか? 「人道」というよりは、一夫一妻制の繁殖形態のほうが大きく作用していると思いますが、ともかくこれからの進化は先が読みにくい。でも、これまでの進化については、結構説明がつくと思います。人間性を進化論的に論じたあまたの著作があります(私自身も、他の質問に進化論を利用して具体的な答えを与えている)。これらは軒並み結構説得力があると思います。 いろいろな、進化圧力の一般的な方向性、 つまり関連する変数の指定とでも言えばよいでしょうか をしてくださったことは、大変有益でした。ありがとうございます。 katamotoakira さんご本人でもかまいませんし、他の方でもかまいませんが、 次にこのラインでご回答を下さる方は、 是非、この変数の具体的な値を指定して(ご自身のアイデアでも結構です)説明してくださると、興味深いと思います。 ありがとうございました。