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昭和19年のベトナム北部の飢饉
「昭和19年の秋、太平洋戦争中ですね、ベトナムの北部で気候のせいか不作になり 当時、日本軍に米を供出していたベトナム北部の人は食べるものがなく、飢饉となり200万人が死んだ。」 というのは、ほんとうなのでしょうか? この数字、戦後のベトナム政府の発表だそうですが、正しいのでしょうか? (日本の原爆の比をはるかに超えてますが、、、)
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- saburou
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回答No.1
くわしくは覚えていないのですが、数年前に放送した NHKの『ドキュメント太平洋戦争』という番組の中、 ベトナム北部(もしくは全土という表現だったかもしれません)で、 大規模な飢饉が起こったという場面の映像が流れていました。 大戦末期の状況から判断してみても、考えられないことではないので、 おそらく飢饉は起こったのでしょう。ただ、200万という 数字については、あまり鵜呑みにしないほうがよいかと思われます。 その発表がいつの時期かはわかりませんが、共産党政権によって 統一された後に発表されたのなら、日本に対する賠償責任等を 考慮して、数字に誇張を加えた可能性も考えるべきでしょう。 外交的なかけひきとして、自国の事件を使用するのは 諸外国では一般的ですからね。(事実のあるなしは別として) なんだか乱文になってしまいすみませんでした。
お礼
そうなんです、私もそのNHKの番組をみて、このことを知ったんです。 「200万」は、どうかなぁ~?とずーと疑問に思っていたんですが、 「教えてGOO」さんにお世話になることを思いついて、思い切って質問しました。 とすると、ベトナム大使館なんかに問い合わせても、この数字が帰ってくるんですかねぇ? 国連とかは、関係してないでしょうし、、、。 200万ねぇ、、、。 真実は、どうなんでしょう? どうも、ありがとうございました。