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戦時中の敵性言語について
今日付の日経新聞に「戦線文庫」という幻の雑誌の記事が出ていたのでネットで調べたところ創刊号の表紙と目次が載っていました。 そこで疑問に思ったのですが、当時は敵性言語として英語の使用を禁じられていたという話をよく耳にするのですが、その目次にはユーモア、コント、モダン、ニュース、あげくにはカラーセクションという、明らかな英語がたくさん掲載されているのです。 この雑誌は海軍が民間に作らせて外地の兵士に配布していたわりには検閲がさほど厳しくなかったらしいのですが、この「敵性言語の規制」というのがいったいどれほどのものだったのか知りたくなりました。 どの程度の言葉ならOKで、どの程度ならダメだったのか、あるいはどういった状況、場所では厳しかったのかなど、ご存じの方(ご存命の方?)がいらっしゃいましたらお教えください。 ちなみに私は昭和30年生まれの若輩者です。
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お礼
素晴らしいサイトをご紹介いただいてありがとうございました。他にも色々知りたくても叶わなかった当時の細かな日常とかがわかりそうで、あとでじっくり読ませていただきます。 やはり陸軍は英語排除の方向だったようですが、敵国の言葉がわからないと戦いそのものが不利になるとの海軍の見解もあるし、国家を任されている、天皇を除いて最高権力の位置にあるものが、いくら何でもそんな子供じみた愚行を国の指揮下でやるわけはないですよね。 ただ、英語を「理解する」のと「日常で使用する」というアプローチの違いは別問題なのかなとも思いますが。 民間の行き過ぎた自己規制、納得です。 すると、「非国民」「売国奴」などといった個人に対する過剰なバッシングも特高警察や憲兵よりも過激な民間人によるものが多かったんでしょうか? あらためて、恐ろしい時代ですね。 回答、どうもありがとうございました。