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戦時下の障害者

大東亜戦争の頃の障害者は、国家から、どのような感じに受け止められていたのでしょうか。 一人の大切な同胞として、それなりの気遣い配慮がなされていた、と考えていいのでしょうか。

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  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.2

こんにちは。 ぜひ、参考URLより文献を取り寄せて読まれる事を希望します。 率直に言って、「それなりの気づかい、配慮」をしたのは産んだ親だけです。 全てが戦争の為にという大号令の中、戦争に役立たないごくつぶしとして扱われ、特に食糧事情が悪化してくると口減しとして毒を飲まされた所さえあったといいます。 先の方のおっしゃるように、それができずに、隠した家が沢山あったようです。

参考URL:
http://www.asyura2.com/0406/war58/msg/656.html

その他の回答 (2)

  • smzsmz
  • ベストアンサー率22% (13/58)
回答No.3

障害の内容にも依りますが、 皆さんが思うほど迫害されされていませんよ! 理由は、戦病者も多くいたからです。 腕や足を失った人、目が見えなくなった人など、 今より珍しくない光景でした。 目の見えない人は、按摩になったり 手足のない人は軍属になったり(運のいい人) それなりの出来る仕事をしていまいた。 そして隣近所の付き合いが深く、 今よりももっと気遣いがあったろうと思われます。 但し精神障害者の場合は、家族がひた隠しにしました。 その理由は、遺伝すると言われ兄弟等の結婚に差し障るからです。

  • teteten
  • ベストアンサー率33% (6/18)
回答No.1

これは私が大学の講義中に聞いた話です。 先生が若かりし頃(高度経済成長期差し掛かりの頃)福祉について研究している先生について回って実地調査するというような事がありました。 そこで、ある家に障碍者が居るらしい、と言う話があり、何かの聞き込みかアドバイスをする為に、その方のお宅に行って何とか家の方(お母さんか叔母さんらしかったです)を説得して問題の障碍者の方に会うという事になりました。 ここで、先生が驚いたのは障碍者が一人だけでなく複数人出てきたと言うことでした。 当時、障碍者はまだ色々な形で差別を受けると言う事よりも、その存在を隠していた事の方が多かったそうです。ですから、大戦以前は余程の家(華族・士族)の生まれでもない限り、同じく隠された存在だっただろうと思います。 因みに、徴兵の資料を見ますと、兵士のランク「甲・乙・丙・丁」があります。その中の、何種かは忘れましたが、項目の中に徴兵をほぼ免除されるような形になる者として「軽度障碍者」「重度障碍者」の項目がありました。

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