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戦時中のトラウマ
トラウマって命の危機に直面したり過度の恐怖を体験したりしてなってしまう心の傷ですよね。 それで後々さまざまな障害がでてくる・・・ 今ではよくメディアにも取り上げられていたりしますが、日本が戦争をしていた頃は毎日が命の危機にさらされていたと思います。 私たちの先輩はトラウマにならなかったのでしょうか。 それとも「国のため」という強い意志があったので大丈夫なのでしょうか。 それとも「馴れ」があるの? 皆様の意見を伺いたいと思います。
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◆Naka◆ 私もトラウマはあると思います。 ただ、ちょっと例を挙げてみたいのですが、よろしいですか?? ここに2人の子供がいます。AちゃんとBちゃんです。 ◆Aちゃんの体験 「幸せな家庭の中で、愛情いっぱいに育った現代っ子。世間は平和だし、毎日両親にかわいがられて何の不安もなく毎日を送っています。そんなAちゃんの目の前で、ある日両親が惨殺されてしまいました。」 ◆Bちゃんの体験 「毎日毎日、爆音を聞かずに過ごすことなどない日々。来る日も来る日もいつ終わるとも知れない戦争で、周りの人たちは次々に命を落としていく。そんな中で、Bちゃんの両親もとうとう爆撃に会って亡くなってしまいました。」 二人とも目の前で両親を失う、というトラウマになりそうな悲惨な体験をした子供たちです。(もちろんフィクションですが…) でも、強いて言えばどちらの子供の方が、ショックが大きいでしょう?? つまり「誰がいつ命を落としてもおかしくない」状況の中で、実際の死を目の当たりにするのと、「とうてい想像もできないような」状況で、信じられない光景を見るのとでは、「日常」とのギャップの大きさに差があるのではないでしょうか? このギャップの大きさが「トラウマの大きさ」に影響しているのではないかと推察するのですが、どうでしょうか?? もちろん戦時中に苦しんだ方々を軽視するつもりは毛頭ありませんが、「周囲もみな同じ状況だった」こと、そして命を落とすことが「日常茶飯事だった」ことは、わずかでも救いになったかもしれませんね。
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- NowThinking
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トラウマになっている可能性は大いにあると思います。 ただ、日本でのその手の研究自体が、 他の国ほど進んでいない(活発ではない)から、 そういう報告があがってきにくいだけなのだと思います。
お礼
戦時中のトラウマについての研究結果は一般人には伝わらないのでしょうね。 そういった研究が進んでいるアメリカはベトナム戦争で負けていませんが、日本は負けてますから。 お礼が送れてすみません。ありがとうございました。
- Queen-of-cups
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ベトナム戦争から帰還した兵士の話を聞いたことがあります。「ファントム・ペイン」という現象を経験する人がいるそうです。 傷を負い片手や片足が無いにもかかわらず、その手足の先が痛むのだそうです。神経レベルでの問題ですよね。 ちょっとくくりが大きすぎたかもしれませんが、興味深い話でした。 さて、戦争と関連した話なのですが、「原爆」についてコラムニストが語る(書く)と、必ず被爆者から反論のメールや手紙、Faxが届くそうです。(もちろん一部の方) 反論内容は「あんたなんかに何がわかるのか」というものがそのほとんどだそうです。 確かに体験者しか知ることのできない事柄でしょう。どれだけ悲惨だったのかなど、体験者しか語れないものかも知れませんよね。 ですが、ある程度発言力のある人間がそれを語り継がなければならない。確かに被爆者の方から見れば「嘘っぱち」かもしれないけれど、誰かが伝えなければならない。たぶん被爆者の方々もそれは理解しておられるものと思います。 だけれど体験した人間である以上、活字で、もしくは何らかのパフォーマンスで伝達できるような「ヤワ」な体験ではないぞ、というのがその本心ではないかと思います。 「平和について、戦争について伝えなければならないけれど、伝わらないと信じてしまう」というのが、私の考えるところの「戦争体験者のトラウマ」の一つの形態ではないかなと思います。「死」を美化する傾向があるとも聞いたことがあります。 また、戦中戦後に成長期だった方は食事がとても早い傾向がありますね。それでなくても食糧難で、しかもその世代の方は兄弟が多いので…。「食べられるときに食べておかなきゃ」というクセがついてしまっているのでしょう。 これも一種のトラウマかな、と。
お礼
そうですね。私の想像をはるかに超えた体験をしていらっしゃるのでしょうから。 体験もしていないのに「あんたなんかに何がわかるのか」と思う気持ちは理解できます。 祖父は直接戦争に参加していませんでしたが、生前昔の話をする時にとても遠い目をしていたのを思い出しました。 その祖父がいつも「食べられる時に美味いものをたべろ」と言っていました。 それがしっかり身についたうちのエンゲル係数が・・・ 話がそれましたが、遅くなってすみません。 ありがとうございました。
お礼
お礼が遅くなってすみません。 「日常とのギャップの大きさ」なるほどと思いました。 周りが次々と亡くなっていく状況である意味覚悟が出来ていたのかもしれませんね。 そして「命をかけるもの」の有無も関係するのかもしれません。 戦争や平和について少し考えることができました。 ありがとうございました。