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日露戦役記念碑の名目(明治三十七八年戦役)について

日露戦役の地域出兵記念碑を都内ですが3箇所で見つけました(北区飛鳥山、杉並区妙法寺、豊島区雑司が谷)みな、日露戦役とは書いていませんで、明治三十七八年戦役出兵のと書かれていたのです。大体建立は戦中から戦後直後でした。当時は「日露戦争」とは言わなかったのでしょうか?いつから定着した名称なのでしょう。あるいは「日清戦争」も当初は「明治二十七八年戦役」ということだったのでしょうか?

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  • SCNK
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回答No.1

日露戦争は通称なのです。正式名称は「明治三十七乃至八年戦役」です。 これは現在でも変わりません。戦争名称は閣議で決められるものです。日清戦争もおっしゃるとおりです。第一次世界大戦も正式には「大正三、四、五、六乃至七年戦役」といいます。また第二次世界大戦は日本においては「大東亜戦争」です。

noname#32495
質問者

お礼

そうですか。大変意外感じで、目から鱗という状態です。みな通称とはしりませんでした。ありがとうございます。

その他の回答 (1)

回答No.2

日露戦争(Japanese - Russo war)というのは国際法上での名称です。国内では「明治三十七八年戦役」と言います。 日清戦争(Chinese - Japanese war)も同様で、国内では「明治二十七八年戦役」 ちなみに義和団事件(Boxer Rebellion)は北清事変、第一次世界大戦は「大正三、四、五、六乃至七年戦役」、ノモンハン事変は国境事変、太平洋戦争(国際法ではEast Asia warと言い、東亜戦争が正しい、日本のマスコミ、米国のみが太平洋戦争という言葉を使っているが、別の戦争を指す言葉なので本来は使ってはいけない)は大東亜戦争と言います。

noname#32495
質問者

お礼

前に回答いただいた方同様、たいへん目が覚める思います。北清事変だけは正式名が通っている感じがします。国内で国際法規によらない理由というのがよくわかりません。

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