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なぜ、こうなった
- なぜ、基本的な歴史的事実も知らない人間がいるのでしょう。
- 戦争の歴史すら知らない若者が増えているということは深刻です。
- 日本の歴史における重要な出来事や事実を理解することが重要です。
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質問者が選んだベストアンサー
No2です。 補足しますが、私は戦前の日本は、普通に自由主義かつ民主主義の国だと思っていますよ。 大正時代には、発展途上とは言え、欧米に引けを取らない国になっていたと思います。 ちょうど、マッサンの主人公がイギリスにウィスキーの作り方を学びにでかけ、エリーさんを嫁にもらった時代です。 あれはもちろんドラマですが、あれを見れば当時の雰囲気は理解できるかと思います。
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- titelist1
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高校なでの学校教育で明治以降の歴史を教えていないのです。教科書には書いていてもその時代を説明しないで教科が終るのです。受験の試験にも出題されません。この事態の記述に賛否両論があって授業がしずらいからです。大学受験に出題したら逆の答えが正しいと言われかねません。 この時代を反日思想で教育している中国や韓国では間違った知識が叩き込まれているのです。彼らはそもそも明治以降の日本の外交政策がすべて侵略だと教えられているのです。 ペリリュー島をはじめ南方諸島はサンフランシスコ講和条約で放棄しました。それは台湾も朝鮮も同じで、いずれも太平洋戦争以前の領有ですが、敗戦条件として受け入れたのです。太平洋に進出したいアメリカにはめられたのです。 日本の反政府主義者が政府の批判をするのは理解できるのですが、彼らか反日的な思想を持っていることが問題です。その中に在日朝鮮人がいることも原因です。またそれに手を貸す朝日新聞の慰安婦報道などひどいものです。
お礼
回答ありがとうございます。 アメリカ人が今まで戦った国で、どこが一番恐ろしかったかを 聞いたところ「日本」だという意見が圧倒的でした。 それは緒戦の真珠湾攻撃、フィリピン空爆などでゼロ戦の性能に 驚嘆したからです。 しかし、それもミッドウェー海戦で形勢を逆転すると南方の 島々を次々と攻め落としアメリカ有利にもちこみましが。 そこから日本の怖さが出てくるのです。いわゆる特攻です。 命と引き換えに艦船に体当たりするなどアメリカ人に 恐怖と絶叫を与えるものでした。 そうなると「日本は今後一切戦争をしてはいけない国だ」という 思いが強くなるのは当たり前。だから日本から島々を取り上げた のです。
ベリリュー島だけで鬼の首取ったようにトリビア披露しても意味無くね。(´・ω・`)
- cse_ri2
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もう一言。 戦中の日本は私有財産が認められていましたが、それを言うならナチス政権下のドイツも私有財産は認められていました。 まあ、この辺は言葉の定義の問題で、ナチス政権下のドイツを国家社会主義と呼ぶのであれば、同時代の日本もまた大差なかったということです。 こういう瑣末な問題も含めて、今まではまだ、平静な議論が難しかったということです。
お礼
回答ありがとうございます。 なるほど、体制として国家社会主義ですか。 たしかにドイツとは同盟を結んでいましたが、ユダヤ人は日本を通過 してアメリカに渡りましたよ。 つまり、同盟国だが属国ではない。という松岡外相の言葉どおり日本は ドイツにひれ伏した訳ではありませんでした。 杉原千畝氏が独断でビザ発給をしたのも、そういう信念があったから でしょう。松岡外相も心を入れ替えたらしくユダヤ人には手厚い援助 をしたようです。
- hhasegawa
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問いに対する私の意見です。 ペリリュー島 →アメリカ軍は、何の根拠もなく攻め落としました。 戦略的意義は一切ありません。そして「日本が侵略した」島ではなく平和裏に 接収した土地です。
- cse_ri2
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まあ、質問者さんも含めて、20世紀の歴史をきちんと勉強していないのが、問題かと。 戦前はともかく、戦中の日本はとても自由経済とは言えませんでした。 また、議会があれど、複数政党も存在せず、実体は非常に国家社会主義に近いものでした。 まあ歴史というのは、日本に限らず、現代に近づけば近づくほど、政治的な思惑で、論争の種になりやすいのも事実なのですが…… 今の日本では、歴史について平静に見ることができるのは、明治時代まででしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。 そうですか、あまり知らない人が私のようにあまり知らない人を 揶揄するとそうなりますね。 当時の内閣は東条英機が退任してから幾度も代わりましたが、 鈴木貫太郎総理になるまでどうやって戦争を終わらせるかに 議論が集中していました。 日露戦争のロシアを相手にしていた時のように、アメリカ軍をどこかで 押し返せれば講和条約を有利にできると思っていたようです。 しかし、そうはうまくいかなかった。沖縄が戦場になり、特攻も効果 がないとすれば本土決戦しかないと思ったにちがいありません。 しかしやはり日本人はそれほど死に体を臨む民族ではない。ということ です。江戸無血開城を決めた勝海舟に倣ってポツダム宣言を受けたのでしょう。 武士道とはそういうものです。
- kamikami30
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私は、他人の過去に興味がありません。 歴史の勉強については、苦手でした。 理由としては、興味がないから覚えられず、覚える気にもならないと言うものです。 学校の浅く記憶するだけの学習方法も嫌でした。 歴史に興味がなかった背景には、日本の国自体に愛国心もなければ責任も感じないからだと思います。 直接的な危機感は感じません。
お礼
回答ありがとうございます。 大正時代は日露戦争に飼って、それでも賠償金がロシアから支払われなく なって、そんな民衆が望んだのは明治天皇が布いた富国強兵を見直そう という機運が高まってきた時代です。 いわゆる大正デモクラシーです。 政党政治が軌道に乗り、民衆は自由な意見を言えるようになりました。 しかし、また戦争が始まります。 第一次世界大戦です。ヨーロッパが主戦場のこの戦いは、東南アジア にも波及し、日本は連合国としてドイツと戦いました。 そうなると軍部の過激思想家たちは自由より富国強兵の再来を望んだ のです。そして昭和の初めから大陸進出を画策し、自作自演で 理由付けをして果たしました。 この時代はノモンハン事件があって、日露戦争当時とは全く違うソ連の 火力と戦車部隊の強さに圧倒された日本陸軍でした。