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教育勅語について

課題で教育勅語について調べていますが、成立における前史、成立過程、成立背景、なぜ教育勅語が制定されるにいたったかどがわかりません。明治維新後、知育が重視され、徳育が軽視された。儒教を復活させることで対応しようとしたが対応できず、新しい勅語を制定することになったということですか? 過程や背景が混乱するので教えてもらえないでしょうか? または簡潔に述べられているサイトなど教えていただけると幸いです。

みんなの回答

noname#21649
noname#21649
回答No.4

>明治維新後、知育が重視され、 は.「血税一揆」の多発です。地租改正の法令文を理解できなくて.「生きたまま血を抜かれる」と解釈した農民が一揆をおこしました。租税徴収機構がまだ未発達で.この鎮圧に軍事的にも財政的にも苦労したのです。この大作として.政府の命令を正しく理解しかつ指示通りに動く人間の育成が急務となりました。そこで.学校教育が必要となったのです。 明治の頃の教科書を見ればわかるとおり.天皇の私兵としての大日本定刻軍に対する命令を方言の違いにより変な内容として受け取られることなく.実行されるようにすることが目的です。

noname#191689
noname#191689
回答No.3

そのサイトは > 勅語には、命の大切さも、人権や平等の大切さものべられていません。“良いところ”など何もないのです。 のように明らかにいい加減な解釈が含まれ、誤解を広めます。 過程等が詳しく載っているわけではありませんが、自分としてはこちらのほうがマシであると思います。 http://www.meijijingu.or.jp/intro/education/ -----------------------------------------------  明治天皇は明治元年国是五箇條を神々にお誓いになり、新生日本の大方針を明らかにされました。  政府はこの方針にそって、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年学制を公布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に努めました。  しかし当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、我が国伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される情勢にありました。  このような実情を深く憂慮された明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため明治23年10月30日、教育勅語を渙発されました。  勅語には、日本人が祖先から受け継いできた豊かな感性と美徳が表され、人が生きていくべき上で心がけるべき徳目が簡潔に述べられていましたが、(以下略) ----------------------------------------------- なお、いい加減であるという理由は、教育勅語中の >博愛衆ニ及ホシ >噐ヲ成就シ >常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ でわかるかと。

  • kei-f
  • ベストアンサー率29% (14/48)
回答No.2

ではこちらはどうですか? http://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E 参考になるかわかりませんが。

参考URL:
http://ja.wikibooks.org/wiki/%E6%95%99%E8%82%B2%E5%8B%85%E8%AA%9E
  • kei-f
  • ベストアンサー率29% (14/48)
回答No.1

こちらが参考になると思います。 http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/2000525_faq.html

参考URL:
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/2000525_faq.html
mickey20
質問者

補足

成立背景、成立過程がよくわかるものがいいのですが。

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