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「弱い犬ほどよく吼える」について教えて下さい。
こんにちは。 「弱い犬ほどよく吼える」等と、弱いのに吼える人を揶揄したような言葉がありますが、私にはその心理が理解できないので教えて下さい。 私は身体を鍛えてはおりますが、ベンチプレスでも100キロ程度で情け無い声を出す程度の弱い人間です。常に強力な武器を持ち歩いている類の人間でもありません。(力が強ければ、又は、強力な武器を持ち歩いていれば強い人間と言う訳でもないのでしょうが、あくまでも一つの条件として)。 こんな私としては、私が吼えることで強い人が理性を失ってしまったら怖いので、無闇に吼えるようなことはできません。 弱いのに吼える人は、自分が弱いことを、又は、自分は法律等により守られていることを、理解できていないのでしょうか? それとも、相手が手を出せないことを計算に入れて、巧みに吼えているのでしょうか? それとも、「どうなっても良い(死んでも良い)」くらいに思っているのでしょうか? 弱いのに吼える人の心理はどのような状態なのでしょうか? (一概には言えないのかも知れませんが) 教えて下さい。宜しくお願い致します。
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osietekudasareさん こんばんは。 他の方と重複することが多々ありますが。。。 よく吼える方には二通りあると思います。 一つはNo.2さんがおっしゃるように、吼えることで自分の立場を有利にしようとする場合。 こちらは、ワン!と一発大きく吼えた時、相手がビクったらラッキー、もしくは、今までそうやって虚勢だけで生きてこれたような方でしょう。 また、お店で店員さんなどに横柄な態度で接する人のように、絶対的に相手が反撃に出れないことを見越して、確信犯としてやられる人もいますよね。 こういう生き方をしてきた人は、「自分は強い」と錯覚しているように思われる節がありますね。 マンガじゃないですが、吼え返されたら「キャイーン」と逃げるのでしょう、タブン。。。 また、ナニカの後ろ盾がある方にも多いですよね。 吼え返されても仕返しできる、みたいな後ろ盾…かな? もう一つは、No.4さんんがおっしゃるように、自分の能力を高く見せたい人。 これはある意味、防衛本能かもしれませんね。 「本当の自分はこんなじゃないんだぞ」と、相手に認めてもらおうと必死なのでしょう。 能力が無い自分を認めたくないのですよね。 向上心なんてものは遥か彼方に忘れ去ってしまって、目先の帳尻合わせにイッパイイッパイなのでしょう。 あるいは、自分自身にすら「こんなハズじゃないんだ。」と言い聞かせているのかも。。。 そうやって劣等感を誤魔化続けてその人の人生は終わっていく。。。。。。。ある意味かわいそうかも? どちらにしても、崖っ淵ってカンジがします。
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- freeway55
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NO.4&6です。 >「人はそれぞれ違う」と言う考え方により、少しずつですが理解できてきたような気がします。 しかし、どの辺りが違うと、このように大きな違いとして現れるのでしょうか? このご質問に答えるには、専門家の知識が必要だと思います。難しいですね。 一般的な回答になりますが、やはり、「性格」と「過去の経験の違い」からだと思います。 しかし、どういった経験を持つと、そんな吼えるタイプの人間になるのか? となると、判りません。考えられる理由、原因が多すぎるからです。 ただ、過去に成功体験のあった人は、それが他人から見れば小さな成功であったとしても、どこか自信があり、やたらと吼えることはないように思います。 例えば、凄く勉強ができたとか、スポーツが得意だったとか、お金持ちや喧嘩が強いといったことです。 先に書いた劣等感の逆です。 私は子供のことから勉強もスポーツもダメでした。女性にもモテませんし、お金とも縁が無かった。 ただ、高校生までは、数学だけは常にトップでした。テストでも100点しか記憶にありません。それが自信に成り、救われた気はします。 大人になってからは、人それぞれに魅力や能力はあるから、何か1つだけの要素を取り出して他人と比べても意味が無いと考えるようになり、まあ救われました。 まとめると、性格が影響している・・・という以外では、幼少の頃から劣等感があり、自分の中で何か自信の持てるものがなかったため、精神的に救われず、解決策も出せず、大きな声を出すようになったのだと思います。 ただし、それでも、吼えるタイプとおとなしくしているタイプが居ますから、他にも理由があるはずです。 強さを表現するものに、大きいや重いがありますから、例え声であっても、それが何ら裏づけが無くても、吼えている間だけは自分は強くなったと思えるのは事実です。心理学的にも証明されています。
お礼
度々のご回答、ありがとうございます。何度もお手間をお掛けしてしまい、申し訳ありません。 >まとめると、性格が影響している・・・という以外では、幼少の頃から劣等感があり、自分の中で何か自信の持てるものがなかったため、精神的に救われず、解決策も出せず、大きな声を出すようになったのだと思います。 >ただし、それでも、吼えるタイプとおとなしくしているタイプが居ますから、他にも理由があるはずです。 性格&劣等感等により自分に自信がもてないこと等が、理由として考えられるのですね。 >強さを表現するものに、大きいや重いがありますから、例え声であっても、それが何ら裏づけが無くても、吼えている間だけは自分は強くなったと思えるのは事実です。心理学的にも証明されています。 大きな声を出している間は、自分が強くなったと思えるのですね。 その快感が癖になってしまうのかもしれませんね。苦労をせずに快感を得られるが、害もある・・・ まるで覚醒剤のようですね。
補足
ご回答を頂いた皆様へ この件につきましては以前から「なんで弱いのに吼えるんだろう?」「なんで何だかんだと言い訳をつけては『俺は強い』と言うことにしようとするのだろう?」等と疑問に思っていました。(何てクダラナイことに疑問を持ってしまったのでしょうw) 彼らの決め台詞である、「喧嘩と格闘技は違う。喧嘩は慣れだ。喧嘩だったら格闘技のチャンピオンにも負けない」等につきましても、(そのセリフの真偽は別にして)「格闘技をやっている人に喧嘩慣れをしている人は居ないとでも思っているのかな?」等と思っていましたし、「俺は喧嘩が強い(いつだってやってやる)」等と思っている節がある人達につきましても、「この人には法律に守られていると言う意識はあるのだろうか? 相手(強い人)が彼方に手を出さないのは、彼方が怖い訳ではなく、法律で裁かれることが怖いからですよね?」等と思っていました。 そのような人たちに接触する度に、「そんなに強くなりたいのであれば、何で強くなる為に努力をしないのか?」等と不思議に思っていた次第です。 しかし、ご回答を頂いた皆様のお蔭で、少しずつですが理解できてきました。ありがとうございました。 また何かありましたら、宜しくお願い致します。
- freeway55
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No.4です >そのような方は、吼える行為等により、相手が理性を失うほど怒り狂ってしまうことや、その先の結末までは考えないのでしょうか? それとも、自分は強い等と思い込んでしまっているのでしょうか? その辺りが理解できません。 質問者さんのお人柄がわかります。 冷静に考えれば、吼えることでメリットは無いのですが、吼えている本人には、それがわかりません。 いえ、どういう事態になるか想像できないから、いい年をした大人でも吼える・・・ということがあるのです。 中には、誤解して強いと思い込んでいる人も居るかもしれませんが、ほとんどは気づいているはずです。 でも、自分自身でもどうすることもできず、吼えてしまうのです。どう勝負しても勝てない・・・となると、虚勢を張ることでしか、自己の存在を支えられないのだと思います。 >又、強くなりたい(能力を高めたい)のであれば、強くなる(能力を高める)努力をしようとは思わないのでしょうか? 嘘の世界に逃げてばかりいては、いつまでたっても劣等感は解消されないように思います。 まったく、おっしゃるとおりです。 ただ、タバコが身体に悪いと知っていても止められない人がいるように、よいことだと判っていても、それが実行できないのが人ではないでしょうか? 朝は早くおき、身体によいよいものだけを食べ、仕事はサボらずに真剣かつ積極的に行う。そして、困っている人がいれば直ぐに手を差し伸べる・・・。 誰もが(少なくとも多くの人は)立派な行動だと賛成してくれるはずですが、そうしている人は少ないです。(笑 人それぞれに体力差があるように、その哲学や思考にも差があるのだと、私は考えています。 そのため、誰もが、積極的に劣等感を克服したりはしないのだと思います。 済みません。私も、そんな一人です。
お礼
度々のご回答、ありがとうございます。 >ただ、タバコが身体に悪いと知っていても止められない人がいるように、よいことだと判っていても、それが実行できないのが人ではないでしょうか? >朝は早くおき、身体によいよいものだけを食べ、仕事はサボらずに真剣かつ積極的に行う。そして、困っている人がいれば直ぐに手を差し伸べる・・・。 >誰もが(少なくとも多くの人は)立派な行動だと賛成してくれるはずですが、そうしている人は少ないです。(笑 >人それぞれに体力差があるように、その哲学や思考にも差があるのだと、私は考えています。 >そのため、誰もが、積極的に劣等感を克服したりはしないのだと思います。 そうですよね。私は自己中心的な考え方に陥っていたようです。 どうも私の感覚では「弱い犬ほどよく吼える」は不可解な行動であった為、物凄い疑問に陥っておりました。 >冷静に考えれば、吼えることでメリットは無いのですが、吼えている本人には、それがわかりません。 >いえ、どういう事態になるか想像できないから、いい年をした大人でも吼える・・・ということがあるのです。 >中には、誤解して強いと思い込んでいる人も居るかもしれませんが、ほとんどは気づいているはずです。 >でも、自分自身でもどうすることもできず、吼えてしまうのです。どう勝負しても勝てない・・・となると、虚勢を張ることでしか、自己の存在を支えられないのだと思います。 「人はそれぞれ違う」と言う考え方により、少しずつですが理解できてきたような気がします。 しかし、どの辺りが違うと、このように大きな違いとして現れるのでしょうか?
- freeway55
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「弱い犬ほどよく吼える」というのは、文字通り、腕力の無い犬(や人間)は、自分を強く見せるために虚勢を張る(大きな声を出す)という意味ですが、結局、能力不足の人は、それを誤魔化すために嘘をつくという意味で使われていますよね。 反対の言葉に「能ある鷹は爪を隠す」があります。 人は、誰でも劣等感を持っています。 勉強ができない。背が低い。腕力が無い。お金が無い。ハンサム(美人)ではない。 それが事実か否かに関係なく、そう思い込んでしまうと、その話題に触れないか、大風呂敷を広げる(嘘をつく=吼える)のどちらかの行動をとります。 弱さを誤魔化すための行動ですから、自然な行いなのだと思います。 すでに亡くなった空手家で、大山倍達という人がいました。その著書の中で、「喧嘩が世界一強ければ、嘘はつかない」という行がありました。 説得力がありましたね。
お礼
ありがとうございます。 >「弱い犬ほどよく吼える」というのは、文字通り、腕力の無い犬(や人間)は、自分を強く見せるために虚勢を張る(大きな声を出す)という意味ですが、結局、能力不足の人は、それを誤魔化すために嘘をつくという意味で使われていますよね。 >反対の言葉に「能ある鷹は爪を隠す」があります。 強い弱いの話だけではなく、能力全般に広い意味で使用されるようですね。 >人は、誰でも劣等感を持っています。 勉強ができない。背が低い。腕力が無い。お金が無い。ハンサム(美人)ではない。 >それが事実か否かに関係なく、そう思い込んでしまうと、その話題に触れないか、大風呂敷を広げる(嘘をつく=吼える)のどちらかの行動をとります。 >弱さを誤魔化すための行動ですから、自然な行いなのだと思います。 「弱い犬ほどよく吼える」は自然な行動なのですね。 そのような方は、吼える行為等により、相手が理性を失うほど怒り狂ってしまうことや、その先の結末までは考えないのでしょうか? それとも、自分は強い等と思い込んでしまっているのでしょうか? その辺りが理解できません。 又、強くなりたい(能力を高めたい)のであれば、強くなる(能力を高める)努力をしようとは思わないのでしょうか? 嘘の世界に逃げてばかりいては、いつまでたっても劣等感は解消されないように思います。 >すでに亡くなった空手家で、大山倍達という人がいました。その著書の中で、「喧嘩が世界一強ければ、嘘はつかない」という行がありました。 >説得力がありましたね。 重みのある言葉ですね。強ければ嘘をつく理由が一つ無くなるのですね。その辺りも武道の理なのでしょうね。
- katu2
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虚勢を張って強い者を気取ったり、威嚇行為を行うことによって相手がどう反応するか、自分を怖れているのかそうでないのかを確認し、その反応によって自己の言行を決めるとか、ピアノを弾いていて気に食わないから(ピアノに限らず相手の言動・・・)それを止めさせるために威勢という仮面を被ってその恐怖で自分の思いを果たす、とか、そういう心理が「弱い犬ほどよく吠える」にはありますね。自信のない人しかこういうことはしません。何に限らず「自信を持った人」ユッタリと構えているものです。
お礼
ありがとうございます。 >虚勢を張って強い者を気取ったり、威嚇行為を行うことによって相手がどう反応するか、自分を怖れているのかそうでないのかを確認し、その反応によって自己の言行を決めるとか、ピアノを弾いていて気に食わないから(ピアノに限らず相手の言動・・・)それを止めさせるために威勢という仮面を被ってその恐怖で自分の思いを果たす、 そのような吼える行為等により、相手が理性を失うほど怒り狂ってしまう可能性があるとまでは考えないのでしょうか? その辺りが理解できません。
- yoshi170
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気勢をはって強く見せている人には弱い人が多いということです。吼えるということは喧嘩をしかけるということではありません。吼えることで自分に有利な状況を作り出そうとしているに過ぎません。
お礼
ありがとうございます。 >気勢をはって強く見せている人には弱い人が多いということです。吼えるということは喧嘩をしかけるということではありません。 一見、喧嘩を売っているように見えても、実際の意図は違うのですね。 しかし、そのような方は、そのような吼える行為等により、相手が理性を失い怒り狂ってしまうこと等、後先のことは考えないのでしょうか? また、喧嘩を売っているケースと、ただ吼えているだけのケースとでは、見分けがつくのでしょうか? >吼えることで自分に有利な状況を作り出そうとしているに過ぎません。 弱い方が吼えることによって、どのような形の「有利な状況」が作れるのでしょうか?
- Quattro99
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誰かとやり合うことになったとき、ちっとも手を出さずにやたらと吼えまくる人のことをいうのだと思います。 吼えるのは、本当に手を出すのが怖いからです。弱いんですから。弱い人がけんかをするときに吼えるのはそういうことです。 ですから、本当のご質問は、「弱いのになぜ吼えるのか」ではなく、「弱いのになぜけんかをするのか」ということではないでしょうか。つまり、弱かったらけんかしなきゃいいのにということだと思いますが、けんかっ早いのは性分としかいいようがないのではないかと思います。
お礼
ありがとうございます。 >誰かとやり合うことになったとき、ちっとも手を出さずにやたらと吼えまくる人のことをいうのだと思います。 そのようなケースには、「相手は怖くないが法律が怖いから手を出せない」等と言ったケースもあるかと存じますが、このようなケースと、「弱い犬ほどよく吼える」との間に、一見して峻別できるような差異はあるのでしょうか? >本当のご質問は、「弱いのになぜ吼えるのか」ではなく、「弱いのになぜけんかをするのか」ということではないでしょうか。つまり、弱かったらけんかしなきゃいいのにということだと思いますが、けんかっ早いのは性分としかいいようがないのではないかと思います。 そのような弱い方が、そのような行動を取る背景には、どのような心理が働いているのでしょうか? そのような方は、相手が理性を失うほど怒り狂ってしまうこと等を危惧しないのでしょうか?
お礼
ありがとうございます。 >こちらは、ワン!と一発大きく吼えた時、相手がビクったらラッキー、もしくは、今までそうやって虚勢だけで生きてこれたような方でしょう。 今の御時世、強い人も吼えられたからと言って殴る訳にはいきませんものね。 そう言えば、急に吼えられて対応に困っている相手を見て、「アイツ、俺のことをビビッてやがるよ」等と言った人を見たことがあります。私はその発言にビビりました。 >また、お店で店員さんなどに横柄な態度で接する人のように、絶対的に相手が反撃に出れないことを見越して、確信犯としてやられる人もいますよね。 そう言う意味では、前述したように、今の御時世、吼えられたからと言って殴ること等はできませんから、これは対店員さんの話だけには止まらず、全てにおいて確信犯である可能性もあるのかもしれませんね。 >こういう生き方をしてきた人は、「自分は強い」と錯覚しているように思われる節がありますね。 >マンガじゃないですが、吼え返されたら「キャイーン」と逃げるのでしょう、タブン。。。 やはりそのような方も居るのですか。「キャイーン」のような姿を見られたら、逆に不利な立場に陥るでしょうね。 >また、ナニカの後ろ盾がある方にも多いですよね。 >吼え返されても仕返しできる、みたいな後ろ盾…かな? それもまた格好悪いですね。 >自分の能力を高く見せたい人。 >これはある意味、防衛本能かもしれませんね。 本能とのことですが、「弱い人間は必ず吼える」と言う訳でもないように思います。少なくとも私にはそのような欲求は無いと思います。 弱いから吼える人間と、弱いから吼えない人間との違いは何なのでしょうか? >「本当の自分はこんなじゃないんだぞ」と、相手に認めてもらおうと必死なのでしょう。 >能力が無い自分を認めたくないのですよね。 相手に対する嘘だけではなく、自分に対する嘘でもあるのですね。 >向上心なんてものは遥か彼方に忘れ去ってしまって、目先の帳尻合わせにイッパイイッパイなのでしょう。 なんだか勿体無い気がします。 >あるいは、自分自身にすら「こんなハズじゃないんだ。」と言い聞かせているのかも。。。 >そうやって劣等感を誤魔化続けてその人の人生は終わっていく。。。。。。。ある意味かわいそうかも? なんだか可哀相に思えてきました。