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「人格的な交わり」とは

プロテスタントの方に質問します。 教会で言われる「神(あるいはイエス様)との人格的な交わり」という意味がいまいちよくわかりません。具体的にどういうことなのでしょうか?どのように使われるのかという用例も一緒に教えていただけるとありがたいです。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • bender
  • ベストアンサー率45% (108/236)
回答No.1

私も「人格的な交わり」という言葉を聞いた覚えがあるのですが、残念ながら、語の一般的な定義、というものを確認したことがありませんでした。この質問に関心を寄せていたのですが、回答が寄せられていないようなので、私の個人的な考えではあるのですが、投稿したいと思います。 まず用例についてですが、おそらく質問された方もご存知と思うのですが、Google で検索するといくつか見つけることができます。 これらの用例を見たあとの私の感想としては、正直なところ、わかったような、わからないような、という思いです。とはいえ、これらのサイトにおいてある程度共通したこの用語の意味としては「信者が、信仰の対象である神を人格をもつ存在として認識したうえでの、神との交流」ではないでしょうか。 「具体的に...」というご質問ですが、例えば、「主の祈り」あるいは信者の祈りの中で「天におられるわたしたちの父よ...」(マタイ6章9節)のように神に呼びかけることは、神を人格的にとらえ、そのように交流をもっている一つの具体例ではないかと考えました。 もし、以上の内容で誤りや誤解がある場合は、どなたか、補足、修正していただけると幸いです。また、以上の内容に概ね同意してくださる方の補足にも感謝します。

burgerking
質問者

お礼

上手なまとめ方をしてくださったので、非常にわかりやすいです。 「意味のわからない言葉を、雰囲気に飲まれてなんとなくわかったような気になる」ことはなるべく避けたいと思っているのですが、なかなか教会の人に伺うチャンスがないので、ここで質問してみてよかったです。しかし、もう回答はつかないかと思っていました。カテゴリが違うんでしょうか。 ありがとうございました。

burgerking
質問者

補足

benderさん、どうもありがとうございました。 回答はひとつしかつきませんでしたが、的を得た答えだったと思います。教会内で使われる言葉は、本当にみんな分かって使ってるのかな?とよく思っていたのですが、他の人が分かって使っているかはともかく、自分がまず分かるようにならないと、と思い質問してみました。いずれまた質問するかも知れませんので、そのときもよろしくお願いします。

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