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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:「管鮑の交わり」の使われ方は?)

「管鮑の交わり」の使われ方は?

このQ&Aのポイント
  • 資料1によれば、「管鮑の交わり」は他者の交友の褒め言葉として積極的に用いられて差し障りなさそうです。しかし、資料2、3の存在を知っている方には耳障りなのかも知れません。現実には「管鮑の交わり」は如何なるニュアンスで用いられていますか。確信のもてない慣用句は使わなければよいのですから困ってはいません。知識として知っておきたいだけです。ここでの多数決で決まるみたいな雰囲気は困るので、相応の説得力のある見解を希望します。
  • 「管鮑の交わり」が良い意味としてだけ使われている場合の質問です。どちらかというとQ1よりは、こちらに関心があります。「管鮑の交わり」と同様に、一部によくない(よい)評価が有りながら、それが無視されている慣用句が他にもありそうです。何がありますか。よい意味でも悪い意味でも結構です。
  • 私は漢文を読めません。返り点を入れられなかったから省いただけです。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kine-ore
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回答No.2

1.「貧時」の交わり 「君見ずや管鮑貧時の交わりを」と杜甫は謳い、此の道を「近人棄つること土の如し」と嘆いています。両者の貧乏時代における友情を讃えたればこそ、その詩を「貧交行」と題したものです。 このような「紛紛たる軽薄」な今日日の付き合いは、その行為が市人の損得本位に靡く取引になぞらえ「市道の交わり」とも呼ばわれるでしょう。 2.多鮑叔能知人也 史記における「管仲」の、いわゆる「管鮑の交わり」の件では、司馬遷は「天下管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とするなり」の言で締めています。 騎竹の交わりのような利害のない幼年時の両者の対等な友情ではなく、確かに一時は非難されても仕方のない色々問題の残る「問題児」管仲の、その際立った才知の程を認め、驚くべき寛容を以って遇してきたこと。一方、天下を一匡する名宰相と讃えられるようになった管仲にして「我を生む者は父母、我を知る者は鮑子なり」として父母と並ぶ恩人とばかり述懐し謝意を広言したこともまた、この「交わり」の特異性を改めてその「列伝」中で際立たせ、後世に伝承させんと図った由縁でしょう。 3.「管晏列伝」 <奢侈>の夷吾(管仲)と、百年を隔てて現れた<倹素>の晏子(晏嬰)のシンメトリー的言及は、司馬遷のみならず多くの史家の好む所なのでしょう。 「論語」の「憲問篇」や「荀子」の「仲尼編」では、管仲への心服ぶりに触れています。 その後段でも「兵車を以てせざるは管仲の力なり。其の仁に如かんや、其の仁に如かんや」、また「管仲微かりせば、吾れ其れ髪を被りジンを左にせん」と、最大級の謝意で讃えています。 4.さまざまな「交わり」の使い分け スピーチの常套句としても、極めて特殊性の高い「管鮑貧時の交わり」よりは、まだいろいろわかりやすい中から選べばよろしいのではないでしょうか。 ・騎竹の交わり…竹馬の仲。 ・金石の交わり…敗れることのない間柄。 ・御前の交わり…トップの前での部下どうしの関係。 ・爾汝の交わり…貴様、お前の対等親密な付き合い。 ・水魚の交わり…なくてはならない親密な友情関係。 ・青雲の交わり…出世を目指して仕官した同期の縁による繋がり。 ・断金の交わり…金も切断するほど友情強固なともがら。 ・断琴(絶絃)の交わり…真に分かり合える友を偲ぶ厳粛な友情関係。 ・刎頸の交わり…生死を共にして悔いなしの真摯な友情連帯。

sono-higurashi
質問者

補足

これは問い合わせではありません。お礼文ですが、長いそうなので、こちらを借用します。 ア) 「貧交行」は対訳付きですが一応、読んでおきました。管・鮑両者の活躍時から約1300年後の杜甫の時代には、「管鮑の交わり」は良い意味だけで通用していたらしいことが判ります。2600年後の日本では一層、意味が固定化するのは道理だと思います。資料2、3の存在を承知しているほどの人であれば尚の事、些事に拘り快く思わないなどということはないのだと思います。 イ) 「市道の交わり」は初めて知りました。語彙が一つ増えました。 ウ) 「史記、管晏列伝」は一応、読んでおきました。BC100年台の司馬遷がBC600年台の管・鮑を書けるについては相応の文書なり伝承なりが存在した訳で、中国、恐るべしの感を深くします。科挙の試験の対象にでも、なっていたりしたのでしょうか。その後の評価を決定するについては司馬遷の見解が大きく影響しているなんて事情があるのでしょうか。 エ) 「論語、憲問篇」は一応、読んでおきました。管仲には弟子の子路と子貢が疑問をもっていたのに対して、孔子は断固、評価しているのが判ります。にも係わらず資料2で「器量が小さい」、「倹約家でない」、「礼を知らぬ」と評している理由が分かったかも知れません。功が成った後の暮らし向きを快く思わなかったのかも知れないと思います。<奢侈>の夷吾(管仲)と、<倹素>の晏子(晏嬰)。これが原因かもしれないと思いました。 オ) 「荀子、仲尼編」では桓公が扱き下ろされているのに対して、管仲はよく尽くしたと評価されているのが判りました。ここで質問文の資料3を以下の如く訂正します。済みませんでした。 資料3 「荀子」大略篇にある孔子の管仲評を抜粋します。 http://homepage2.nifty.com/zaco/text/kan/juka/junshi2.txt  ここに、「管仲之為人、力功不力義、力知不力仁、野人也、不可為天子大夫。」とあります。孔子がこう発言したと、荀子が記述しています。 それにしても「野人なり。天子の大夫と為す可からず」とは手厳しいものです。 カ) 交友を表す慣用句が、こんなにあるのを知りました。国語辞典から出典は判っても、その先が追及できていません。ちょっとばかり充実した図書館でないと原文を手に出来ないようです。興味が続けば心掛けておくことで勘弁して下さいませ。 有り難うございました。どなた様からかQ2へのご回答があるかもしれませんので、もうしばらく締め切らずにおきます。またの機会にもよろしくお願いします。

その他の回答 (4)

  • kine-ore
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回答No.5

#2&#&4です。 名言の出典を調べるのに、たとえば諸橋轍次「中国古典名言事典」(講談社学術文庫)などは重宝しています。故事成語辞典なども、歴史的仮名遣い時代の古いものの方が字画が正確であり、出所も細かく列記してあるのでありがたいです。 なお、鮑叔については、史記での「子孫世々齊に録せられ、封邑を有(たも)つ者(こと)十余世、常に名大夫為(た)り」と言う面が、東洋的家族主義の琴線に触れるのでしょうか。百年余といえば晏嬰の時代にも鮑叔の一族は活躍していたものでしょうか。一方の宰相になってからは奢侈で毀誉褒貶の半ばする管仲の子孫はどうなったのでしょうか。 ところで、「走れメロス」タッチの日本人的感覚での普通の若者たちではなく、国家の存亡をかけるほどの国士レベルの英雄といえば、まさに両雄並び立たずがことごとくのこの歴史の中で、その例外中の例外が東洋の管鮑の交わりなら、西洋ではギリシャのエパミノンデスとペロピダスのそれを以って、双極と称されるでしょうか。 http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/990611.html 共に今から2500年ほど昔の洋の東西に出現したそれぞれの男同士の友情が、実に稀な理想的関係として記録に残っているということは「実は交友が如何に浅く且つ長続きしないものであるかの証左だ」なのでしょうね。

sono-higurashi
質問者

お礼

諸橋轍次「中国古典名言事典」(講談社学術文庫)は「日漢大辞典」(機械工業出版社)と併せて記憶しておきます。 管鮑の交わりといいながら鮑叔の影が薄いと思っていましたが、きちんと、彼にも光が当たっているのが分かりました。史記に「天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。」とあります。地味な鮑叔が評価されているのは当時の民衆の眼が確かだったのでしょうか、それとも司馬遷の作家としての視線なのでしょうか。鮑叔の子孫も代々報われたそうで安心しました。しかし、管仲も自分の今日があるのは鮑叔のお陰であると認めているそうなので、管仲にも確かに偉い面はあったのだと思います。 「エパミノンデスとペロピダス」の件は知りませんでした。当面、「ギリシア史」には手が回らないので、ご紹介頂いた、 http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/1999/990611.html で、お茶を濁しておくことにします。 大変、有り難うございました。今後ともよろしくお願いします。

  • kine-ore
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回答No.4

#2&3です。 交友をめぐるご考察はさてもと納得いたしました。 ところで、「君子のまじわり」といえば何より「荘子 山水」や「礼記 表記」の「淡交」なのでしょうが、実は「史記 楽毅伝」では、よしんば交わりを絶つことがあろうと相手の悪口を言わない─それがこそ古の君子の交わりのありかたなのだという意味の記述があります。そこで意味が輻輳化し兼ねないので外したというか入れ迷ったものです。まさにそこを突いて来て頂いたので、いわば我が意を得たりのお問い掛けでした。 「細事(さいじ)」…「十八史略 西漢 宣帝」に、当時の宰相丙吉(ヘイキツ)は「宰相は細事を親(みずか)らせず」に由来します。都大路で暴力団同士の大出入り「群闘死傷」には目もくれなかった丙吉だが、荷車を引いた牛が喘ぐのには詳しく聞き質したのをみた部下が、大事件を見逃してよくもまあ牛の喘ぎごとき「細事(つまらんこと)」にこだわることだと呆れたのに応え、喧嘩は警視総監の管轄でそんな「細事」には大臣たるもの関わるものではない、一方、春なのに牛が喘ぐのは気象異常の現れであり農業に生きる国民の生活にかかわる大事であり農本国家の大臣として見逃せないのだと。 何が大事で何が細事なのか、今日の宰相に、また社会の木鐸の皆さんにお尋ねしたいものですね。 「細君(さいくん)」…「漢書 東方朔伝」に、本来「小君」同様諸侯の婦人の称なのに、東方朔がふざけて自分の妻を呼んだものから始まったとされています。その後更に、他人の妻をも「細君」と呼ぶ様になってデフレはどんどん進み、ついには「妻君」さえ現れました。 ちなみに「日漢大辞典」(機械工業出版社)で項目を引いてみると「老婆、妻」として、自分や目下の相手の妻を称するニュアンスがあります。本来の意味では日本語においては使われないのだと。 仏教のありがたい言葉が、市井では意味反転してしまうケースは多々あります。 「言語道断の妙法」として、言葉に出して述べがたい奥深い真理を褒め讃える最大級の形容詞が、それこそ「以ての外/お話しにならない」使われ方に堕してしまったのですから。「般若」「法螺」「知識」「大袈裟」などキリがないでしょう。 ところで、意味の揺らぎどころか意味の反転の著名な例として、「亂(乱)」の文字の左部は糸のみだれを示し右部は骨ベラをあらわしみだれを治める意として亂は治に通じ、亂をみだれると読むのは古来の誤用であると白川静が指摘し、本場中国の訓詁学に注目された例でも分かりますが、ことほど左様に言葉の変遷には計り知れないばかりで、まさに「端倪を知らず」なのでしょう。

sono-higurashi
質問者

お礼

#3のお礼文が「細君」と「細事」に関して催促するような結果になってしまい恐縮しています。 1 「荘子 山木篇」によると「君子の交わりは淡くして水の如し」を孔子は子桑*(*は雨冠の下に乎?)から学んだとあります。その後、孔子は学問をやめ、書物を捨て、弟子たちの挨拶も簡略化したとあります。荘子の思想を述べるための脚色があるのでしょうが、多くの弟子をもつようになってからの孔子が素直に他者の説教を聴くのは意外でした。荘子は反儒学だそうで我田引水の匂いもあり、いろんな意味で面白く感じました。 2 「荘子 山木篇」と「礼記 表記」とでは「君子の交わり」の意味が一致していること。「史記 楽毅伝」には交際が絶えた後の君子の態度が記されていること。この二つは駆け足ながら読んでおきました。なるほど#2,3で「君子の交わり」を挙げなかったのは単なる失念でなかったのが分かりました。 3 「史記 楽毅伝」の序でに、「史記 廉頗・藺相如列伝」を読んでおきました。#2の「刎頸の交わり」と#3の「完璧」の出処が分かりました(今はです。何時まで続くやら)。 4 #3で「細事」を挙げられた理由が、よくわかりました。全く同感です。「十八史略 西漢 宣帝」の当該個所だけは読んでおきました。 5 「細君(さいくん)」誕生の経緯がよく分かりました。「東方朔伝」収録の「漢書」が手近なところにあるやなしやの調べはついていません。 6 なるほど仏教から出た用語には本来の意味とは異なるものが相当数ありそうなことに気がつきました。「他力本願」が代表例でしょうか、これには仏教界が苦情を言いた気です。しかし、私も現にこうして安易に質問をして「他力本願」です。 7 「亂(乱)」の偏と旁の意味、文字全体の本来の意味、並びにエピソードは初めて知りました。 8 「端倪を知らず」は出典に忠実な用い方なのが分かりました。 再三のご回答に感謝します。今回も事後処理が済まないままのお礼になってしまいました。時間を見つけて細々ながら確かめておこうと思います。有り難うございました。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.3

#2です。 ご興味いただけたようですので今少し「…交わり」を付け足します。 膠漆の交わり…離れがたいほどに親密な交友。 莫逆の交わり…心に逆らいのない親友関係。 貧賤の交わり…貧しかった頃の友と糟糠の妻は忘するべからず。 布衣の交わり…身分や貧富を離れた交友。 方外の交わり…俗事を離れた心からの付き合い。 忘年の交わり…年齢差を忘れさせる親密な交流。 無二の交わり…二心なく忠義にしてまたとない親友同士。 廬山の交わり…風流この上ない雅な親交。 Q2はその意味に受け取りかねるところがあるのですが、とまれ中国由来の成句が、その本来の故事や来歴と離れて、あるいは相反して巷間に別の慣用句として独り歩きし膾炙されるようになった例として考えると、なによりまず「完璧」でしょうか。 半透明な貴石が「玉」で、そのうち円盤状の玉の中央に太さと同じ径の円孔を穿ったものが「環」で、その環の太さが内孔径の2倍のものが「璧」であるとか、本来は「完」が動詞で「璧を完(まっと)うす」ですが、いつしか「完」を形容詞読みして「完(まった)き璧」と読むやり方だが、これは無瑕疵で申し分ないという意味なら「完全」の方がより完全と思われます。 まだ古い漢文教科が重視されていた旧制高校生徒由来のスラングでは「牛耳を執る」を動詞にした「牛耳る」や「虎の巻」が有名ですが、スポーツ声援用語かのようなものとして「圧巻」や「挽回」そして、この「完璧」さらには「パー璧」(パーフェクト完璧)など、どんどん故事から乖離していった具合です。 使う同士が意味がわかった上で遊んでいる分には結構でしょうが、「子曰く、民は之に由らしむべし、之に知らしむべからず」とはなんと封建的な言い方かなどと憤る向きに至っては已矣乎。 うっかりすると故事と正反対に使われかねない言葉に「助長」があります。同様に、「跋扈」「端倪」「細君」「細事」「言語道断」「白眼・青眼」「白波緑林」「効顰」「物色」「旁若無人」「包丁」「油断」「余桃」「壟断市利」などもその故事来歴が曖昧なものや全く取り違えられているものは多いですが、その最たるものが「杜撰」でしょう。

sono-higurashi
質問者

お礼

1 #2と併せて交友に関する慣用句集ができました。今回も出典だけは調べがつきましたが、その先は頑張るとしても長期戦になりそうです。唐詩、北史、後漢書、史記、唐書、陳書と幅広いようで私の生活環境では原文に行き着けるか否か、はて? しかし、折角教わったのですから心掛けておく程度の約束はしないといけないのでしょう。 2 交友に関する慣用句を眺めていて幾つか感想があります。 ・ 慣用句がこんなにあるのは、実は交友が如何に浅く且つ長続きしないものであるかの証左だと思いました。長期の濃密な交友が当たり前であれば慣用句は生まれないのだと思います。 ・ 基本的には男同士の交友を指すもので、男女の交友に適用できるものは限られていて、女同士を想定しているものはないのだと思います。この先は色んな想像が膨らみますが多言は無用のようです。 ・ 男女の交友に使うとすれば、良い意味では使い難いようです。男女間に「膠漆の交わり」というと何とも、どろどろした感じがします。「貧賤の交わり」は夫婦間で使える数少ない慣用句の例かなと、思います。 ・ そうそう、「君子の交わり」が抜けているのは千慮の一失でしょうか。それとも濃密な交友に絞り、淡白な交友は除かれたからでしょうか。 3 :経緯や背景を完全にではないにせよ、この度、初めて知った言葉 牛耳る、完璧、跋扈、端倪、細君、言語道断、白眼・青眼、白波緑林、効顰、物色、包丁、余桃、壟断市利 4 経緯や背景、正誤などを薄々にもせよ、何かあったな程度の承知をしていた言葉 虎の巻、圧巻、挽回、助長、旁若無人、油断、杜撰 5 本日現在、依然として意味、経緯や背景、語源、使い方の正誤などが不明な言葉 細事(細君絡み?) 6 Q2は表現が至らなかったようで失礼しました。もともとの根拠にはaの他にb、cなどがあるにも係わらず、b以下の根拠が無視されaだけの意味が生き残った言葉という積もりでした(ますます伝わらなくなった?)。 「言語道断」のように元々の意味に合致していようといまいと国民に定着してしまえば使い方に困りませんが、「由らしむべし、知らしむべからず」のように理解に「揺れ」が見られる言葉は使い方に迷います。 再度のご回答を有り難うございました。お礼は事後処理をした後にするべきなのでしょうが、それを待っては何時になるか分からないので、ここで済ませてしまいます。ご理解下さいませ。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

「管鮑の交わり」は、高校の漢文で習ったような習わなかったような・・・ > しかし、資料2、3の存在を知っている方には耳障りなのかも知れません。 「管鮑の交わり」は、成句であって、誰某がどう評価したとかいうこととは無関係です。 たとえば、「馬耳東風」という成句をご存知でしょうが、この言葉は北宋時代の詩人である蘇東坡の詩句から採られたものです。 蘇東坡の詩がどう評価されるかということとは無関係に、日常用いられています。 > 「管鮑の交わり」と同様に、一部によくない(よい)評価が有りながら、それが無視されている慣用句 どうも「管鮑の交わり」という言葉の意味を取り違えておられるのではあるまいかという気がいたします。 「管鮑の交わり」というのは、管仲と鮑叔という2人の間の友情のことであって、「評価云々」ということとは無関係です。 「一部によくない(よい)評価が有りながら、それが無視されているという状態を表す慣用句」ですか? 単純に表現すれば、「無視」、「異論に耳を貸さない」、「独断専行」(これは正確には「状態」ではないですけど)。 無視して耳を貸そうとしないということなら、「馬耳東風」。 「痘痕(あばた)もえくぼ」という言葉がありますね。他人の(客観的な)評価は無視されている状態、と言えなくもない。 「衆寡(しゅうか)敵せず」という言葉もありますね。一部の者は反対しても、多勢に無勢というわけで、少数意見は無視されてしまう。 「大目に見る」というのもあります。ちょっとヤバい部分があっても、無視してしまう。これはかなり近い気がします。

sono-higurashi
質問者

お礼

回答を寄せて下さる皆様へ 質問文の資料3を以下の如く訂正させて下さいませ。済みません。 資料3 「荀子」大略篇にある孔子の管仲評を抜粋します。 http://homepage2.nifty.com/zaco/text/kan/juka/junshi2.txt  ここに、「管仲之為人、力功不力義、力知不力仁、野人也、不可為天子大夫。」とあります。孔子がこう発言したと、荀子が記述しています。

sono-higurashi
質問者

補足

1 >>どうも「管鮑の交わり」という言葉の意味を取り違えておられるのではあるまいかという気がいたします。<< 取り違えているかも知れません。私の主要な理解は資料1の記載そのものと、Q1に記した通りで、つまりア)、イ)、ウ)です。 ア) 資料1から・・・〔管仲(かんちゆう)と鮑叔牙(ほうしゆくが)が少年時代から生涯変わらない友情をもって交わったという「列子(力命)」の故事から〕友人としての親密な交際。終生変わらない友情。 イ) Q1から・・・・・・管鮑の交わり」は他者の交友の褒め言葉として積極的に用いて差し障りなさそう。 ウ) 「竹馬の友」を連想する。「竹馬の友」は交友が幼・少年時に濃密。「管鮑の交わり」は大人になってからの友情が濃密。 こういう理解では、いけませんか。取り違えている点があれば、ご指摘下さると有り難いです。 2 >>「管鮑の交わり」は、成句であって、誰某がどう評価したとかいうこととは無関係です。<< 辞典の編集者は資料2、資料3の存在があるのを承知の上で資料1を記載しているのですから、辞書の上では「誰某がどう評価したとかいうこととは無関係」らしいと判断しています。 私が知りたいのは、こういうことです。私程度の人間が集まった場所で、甲氏と乙氏の交友を讃える意味で「甲氏と乙氏は管鮑の交わりだ」と発言しても誰にも違和感をもたれないでしょう。しかし、「学」のある方々が集まった席で「甲氏と乙氏は管鮑の交わりだ」と発言したとき、「はてな?」と思う人間はいないのか、という疑問です。甲と乙の何れかは管仲に擬せられている訳ですが、その方は良い気持ちがしなくはないのか、という心配です。国語辞典の意味から判断して褒め言葉として使っているのは理解して貰えるとして、「自分なら、此処では『管鮑の交わり』を使わないな」と思う者はいないのか、という疑問です。従って年配者で他人の挨拶を聞きなれているとか、文書の校正に熟達しているとか、実社会での見解が欲しいのであって、字面の上からの判断を知りたいのではありません。bakanskyさんが字面の上だけで判断しているなどと言っているのではりません。 3 、「馬耳東風」の経緯に疎くて正確には判断できません。しかし、「馬耳東風」とは事情が違う気がします。 「管仲の交わり」という言葉には「管仲」という人物が含まれているために、「学」のある人は管仲に対する孔子の低評価も荀子の低評価も同時に思い浮かべてしまうように思います。一方、「馬耳東風」には李白の名も蘇東坡の名も含まれていません。それに、孔子や荀子のような高名な権威者が李白や蘇東坡を低く評価しているという事情もないように思います(?)。したがって、「馬耳東風」は辞典が意味する通りに用いれば誰も違和感をもたないでしょう。が、「管鮑の交わり」は辞典が意味する通りに用いても、違和感をもつ人がいないのか、という疑問です。 4 Q2は客観的には幾つか異なる評価があるにも係わらず、ただ一つの評価が採用され、他は無視されることによって出来た慣用句があれば知りたい、ということです。 「無視」、「異論に耳を貸さない」、「独断専行」、「痘痕(あばた)もえくぼ」、「衆寡(しゅうか)敵せず」。bakanskyさんがこれらを思い浮かべることは判りました。 確認します。1はbakanskyさんへの問い合わせです。 2~4はご回答を拝読した上でのお礼を含んだ感想でもあるし、今後回答を寄せて下さる方々への真意の伝達でもあります。有り難うございました。

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