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キリスト教における洗礼ヨハネについて

私は、元キリスト教で現在は統一教会の信仰を持っています。統一教会では、イエスを洗礼した洗礼ヨハネは、イエスを洗礼した後、一信徒としてイエスについていくべきであったが、それができず、この関係の不和がユダヤ民族のイエスに対する不信を強め、殺害の大きな要因になったと教えています。私自身は、えっ?と思ったものの、もともと洗礼ヨハネの位置づけについて何かおかしいなと思っていたこともあり、比較的容易に理解できました。父(プロテスタント)などは、必死に否定します。このことは、通常キリスト教の方にとって理解されないものなのでしょうか?

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  • kigurumi
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回答No.6

再々投稿失礼します。 わたしはキリスト教徒ではありません。 だけど特に旧約聖書に興味があって色々調べました。 そうしているうち新約聖書も少し読み ???ってなりました。 身近なキリスト教徒の人に私の考えをその人に伝えてどう思うか聞けないので、ネットで言ってみてもいいでしょうか。 >イエスは最初から十字架の道を行くことを選択していたわけではないということです。 私もそうだと思います。 >イエスが受け入れられていれば、十字架の道を選ぶ余地はありません。 庶民からは受け入れられていましたが、ユダヤ教のその地のもっとも力のある派からは疎まれていたと思います。 彼はある派から疎まれていても、大勢の庶民から支持されていたので、なにも自ら自殺するような行動を取る必要性は無かったのだと思うのです。 何も他人の罪を背負ってって理由をつけなくても、自分の思想を世界に広めることはできたと思います。 そうしていればこれほどまで宗教という建前の元、ものすごい数の人が死ぬことは無かったと思います。 だけど、どうして彼はそういう思考になったのかと考えました。 それには彼には父親が居ないという事が強く関係していたように思いました。 あの当時 父親が誰かわからないという事は存在の否定につながるほど大変なことだったと思います。 カソリックの遠藤周作さんの「イエスの生涯を読みました」 それに彼のどうして死を選んだのかが書かれていましたが、それでも納得しませんでした。 続いて「ユダの謎、イエスの謎」を読みました。 こちらが近いように思いました。 イエスが血のような汗を流して天に訴えた場面がありましたよね。 怖いからどうか自分をそういう目に合わせないでくれって言いましたよね。 それは自分がどうなるのか他の人から聞いてそれを避けるのが難しかったからだと思います。 それをどう正当化するか。 イザヤ書。 周りのそのどうなるか言ってきた人も、このイザヤ書を使って彼に死の道を勧めたのだと思うのです。 その事を知っていたのは信徒のなかでユダだけ。 後の信徒はイエスが死を決意していることもわからず、暢気に誰が一番か言い合っていた。 それを横目で見ながらユダはため息をついた。 ユダは利用されているだけだと忠告した。 本当の事を話したと思います。 しかし洗脳されたイエスは自分が人類の罪を背負っていく運命だからと聞く耳を持たなかった。 きっと王国は作られる そのために自分は死ぬのだ それが父親の獲得になるのだと思ったのだと思います。 イエスはユダに「決められた役割を果たせと迫った」 ユダは首をたれ、彼の望むことをやった。 どういう結果になるのかわかっていた。 だけどユダは疲れきってイエスの欲望に流されていくしかなかった。 「あなた待望の人であり、運命はこうなってます」と死を薦めた人はどういう人か。 彼を一体どうしてそう洗脳する必要があったのか。 ユダの謎 キリストの謎を読むうち謎が解けてきたように思いました。 325年ニケア信条でイエスを神なのか人間だったのかもうこれ以上議論しないと決めましたよね。 そして彼を神としましたよね。 そうしなければキリスト教を柱とする勢力が力を失う。 力を失ったら攻め込まれ、国が成り立たなくなる。 結局ユダヤ教は政治に利用されてきつづけたように思います。 そしてキリスト教も政治に利用されてきたと思います。 こういったことはとても身近なキリスト教徒にはこう思うんだけどって言えません。 ヨハネが彼と出合ってすぐに地位を押し付けたところで、やはりイエス教団は政治や民族紛争に利用されるしかなかったように思います。 偶像をおがんではならない。 みだりに名前を言ってはならない。 他をあがめてはならない。 空しく響きます。 旧約新約聖書より外伝の方がわたしは親近感を持ちました。 そこには私たちと同じような人間性あふれる一人の人間が描かれていて好感と安心感が持てるからです。 偽の書物かもしれない。 だけど荒野(旧約・新約)とは対象にオアシスのような生命の喜びを感じ取れます。

age1118
質問者

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どうもありがとうございます。

age1118
質問者

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自殺というのは、自ら自分を殺すことですが、イエスの場合は、そうではなく、周りの人間が彼を殺そうとしていることに対し、そこから逃げずにそれを受け入れるという立場です。イエスのもつ神の代身という立場を考えると「逃げる」という形を取ることは決して許されないという側面があったのだと思います。それは、神が自らを否定することになります。そこにある環境を受け入れなければならないという私たちに分からない「必然性」があるのだと思われます。(もちろん、それは、ユダヤ民族がイエスを受け入れない「場合」の必然性です)

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  • kigurumi
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回答No.5

再度投稿、失礼します。 私の認識が正しくないのかもしれませんが >結局は、「ユダヤ民族がイエスを旧約聖書で言われるところのメシヤとして認識できたかどうか」です。 まずメシアとは<油を注がれた人>という意味であり、司祭とかダビデも油を注がれたようです。 メシアを日本語では<救世主>と翻訳していますが、ユダヤ人はローマ兵を追い払って再度王国を作る人を待ち望んでおり、一部の人はイエスにそれを託したというか望んだようです。 >メシヤと認識したら殺害するはずないからです。 イザヤ書だったと思いますが、待望の人が現れるが、悲惨な目にあうと書かれています。 イスラエルに入場するイエスを大歓迎した人たちの一人でも、そのイザヤ書のその箇所を思い起こした人がいたのかというと、いなかったと思います。 唯一イエスがその箇所を実現するために行動し、自ら進んで死を望んだ。 とわたしは解釈しています。 >イエスをメシヤとは認めなかったのですが、 イエスと敵対する側は認めなかったので、彼を捉えて処刑するように策略しましたよね。 その人たちも、イザヤ書に書かれている人が、イエスに当たるとは思ってなかったので、単に神を愚弄する人間としてイエスを処刑しようとした。 >洗礼ヨハネには、なすべき使命というものがあったということなのです。 時間の流れでは、イエスがヨハネに王になる人かと聞かれて、イエスは「いいえ」と答えた。 ヨハネは彼が王になる人じゃないかと強く思ったが、まだ機は熟しておらず、時が必要だった。 イエスはヨハネ教団を離れ一人修行していた。 もしくは今の教会のように、少人数を連れて取りまとめをする牧師や神父のような立場で行動を始めた。 そうしているうちヨハネは捕らえられ処刑された。 ヨハネは聖書に精通しているようだったので、イザヤ書のメシアの箇所を知っていたと思うが、その意味はよくわかっていなかったと思います。 時が熟するには時間が必要だし、イエスがもし王になる人なら、神が導くだろうし、何か神から指示が出るなりなんなりするだろうと思ったと思えます。 焦らず待っているうち、自分は処刑されてしまった。 彼が嫉妬してイエスに従わなかったのではなく、流れではイエスはメシアではないと自分で言っていたのに、無理やりイエスにあなたがそうだからみんなを導けとは言えなかったと思うのです。 イエスは一人修行したりしてヨハネ集団から離れたりしてましたし。 なんというか、まだヨハネにはなすべきことがわからなかったので、放っておいたのだと思います。 聖書は沢山の人が書いています。 読むといたるところに矛盾というか違う見解が載っています。 外典というのが沢山ありますが、極力つじつまがあうようにして、加筆、修正を繰り返しされて、ある程度つじつまが合うようにした後、ちゃんと聖書としてまとめられたように思います。 それでもつじつまが合わないところは残りましたが。 キリスト教団は彼を神格化するために、加筆・修正して人にわかりやすくしたが、それでも「ヨハネはイエスを王と認めてなどいなかった」という解釈もできてしまう、となれば、宗派がこれほどできた理由がわかるように思うし、宗派の違いから争うようになった事を考えると、お騒がせな書物だと思えます。

age1118
質問者

お礼

どうも、ありがとうございます。 >>聖書は、・・・お騒がせな書物だと思えます。 ほんとにそうだと思います。

age1118
質問者

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>>イザヤ書だったと思いますが、待望の人が現れるが、悲惨な目にあうと書かれています。・・・唯一イエスがその箇所を実現するために行動し、自ら進んで死を望んだ。 イエスの十字架について知っておくべきことは、イエスは最初から十字架の道を行くことを選択していたわけではないということです。イエスが受け入れられていれば、十字架の道を選ぶ余地はありません。しかし、受け入れられなければ、十字架の道を行くことになります。では、イエスは、いつ十字架の道を選択したのかというと、自分がユダヤ民族に受け入れられないことを悟ったときです。それはイエスがそれ以降、初めて十字架の話をするようになることから推測できます。 つまり、イエスが自ら進んで死を望んだ。というのは正しいのですが、その背景の事情は、特殊なものなのです。決して、最初から望む道ではなかったのです。

  • kigurumi
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回答No.4

再度投稿 失礼します。 >イエスを洗礼した後、一信徒としてイエスについていくべきであったが、それができず、 >この関係の不和がユダヤ民族のイエスに対する不信を強め、殺害の大きな要因になったと教えています 。 これは例えあったと仮定しても、イエス殺害の要因になりはしないと思います。 イエス殺害の大きな要因となった理由を私は以下のように解釈しています。 ローマはユダヤ人に自治を認めており、宗教も認めていたが、ユダヤ人にとってはそれでも独立国家ではないとわかっていた。 何度もテロを起こしローマ人を追い出そうとしていた。 そしてだんだん聖書に書かれているメシアの降臨を望む気運が高まった。 過ぎ越しの日(この祭りの意味はご存知だと思います)に近づくにつれて、テロは活発化して、ローマにこの地を任されていたピラトは、ユダヤ市民をなんとかなだめつつ、決して反逆させないようにしないと、自分が失脚するという危ない橋を渡っていた。 という背景があった。 それに目をつけたイエスと敵対する宗派が、イエスをこの機会に亡き者にしようと企てた。 これが殺意の一つですが、この殺意はどうして生まれたのかというと、、、 それまで司祭や宗教関係の職業の人は、独占職業で親子間で継承されたり結婚で継承されたりしてきた。 イエスの出現によって自分達の職業の権威や地位が危険になった。 それでイエスを潰そうと考えた。 潰すだけでは危険因子にまだ怯え続けなければならない。 その苦しみから逃れるには、この世から抹殺するしかない。 と考えたのではないかと思います。 ピラトは判断力があったので、それはイエスと敵対する宗派による茶番だと見抜いた。 イエス・バラバ(恐らく民族復興組織のリーダー的な存在で、テロをやって捕まった人)を開放するよう要求されていたが、言われるままに開放してしまえば、統治者の地位が失墜する。 任務に失敗したら本国にどういう冷遇をされるか。 だから食いしばって権威を誇示しつづけてユダヤ人を抑えなければならない。 そこで彼らの理性に訴えかけた。 恩赦を一人決める。 捕らえられているイエス・バラバを恩赦にしたいのか、イエスを恩赦にしたいのか。 ユダヤ人は現実的に自分達の利益になる民族復興指導者のイエス・バラバを選んだ。 それを目の当たりにしたピラトは「この冤罪の責任は自分にはない。お前達が決めたのだ」という意味の事を言った。 イエスを殺したのは、民族復興を強く願いすぎて過ぎ越しの日が近づき冷静さを欠いたユダヤ市民だと思います。 イエスに対する不信より民族独立願望が強すぎたゆえに殺してしまったのだと思います。 旧約聖書の作家は人間がどういうものか知っており、いつか待望の人は現れるが、人間はきっとその人に無残な仕打ちをするだろうと予想して書いた。 それが実際後に予言が実現したのではなく、当然のなるべき事態に結果なった。 その後、ユダヤ戦争が2度に渡り起こり、これがハルマゲドンの地の崩壊。 ほとんど崩壊し、今は嘆きの壁だけがかつてあった文明の証として残っている。 その嘆きの壁に頭をつけて祈っているのは、イエスがいたころの民族ではない。 おかしなことです。 という風に解釈しています。

age1118
質問者

お礼

イエス殺害に至る個々の感情的な背景の事情はいろいろあるかと思いますが、結局は、「ユダヤ民族がイエスを旧約聖書で言われるところのメシヤとして認識できたかどうか」です。メシヤと認識したら殺害するはずないからです。結果的には、イエスをメシヤとは認めなかったのですが、そういう結論に至らないように、洗礼ヨハネには、なすべき使命というものがあったということなのです。イエス以上にユダヤ民族に信頼され、尊敬されていた彼は、本来、イエスを証した後には、誰よりも先にイエスに仕え、あらゆる批判を自ら受け止め、その後ユダヤ民族、そして、全人類がイエスに仕える道を切り開かなければならなかったのですが、彼はイエス洗礼後もヨハネ派を従え、イエスの元に仕えることをしなかった(できなかった)。彼には、そういう全人類の救いの道を切り開く「使命」があったことを「生まれたものの中で最も偉大なもの」としてイエスにも評されています。全人類の罪の代表のような立場ですから、彼が超えなければならない心の葛藤は、壮絶なものであったのかもしれませんが、その使命を彼は果たせなかった、と解釈しているわけです。

age1118
質問者

補足

どうもありがとうございます。いろんな意見が聞けてとてもよかったです。 間違えて、お礼欄に補足の内容を書いてしまったので、こちらの方にて、お礼を書きました。

  • kodai78
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回答No.3

#1の者です。あくまで補足として再度意見させていただきます。 回答に対するお礼、のご感想に対してですが。 >イエスの示唆に対し、私はエリヤでないと否定したり、 これは、ヨハネ福音書1章において、洗礼者ヨハネはエリヤかと聞かれた際に「違う」と答えた件についてですか。ちなみにキリストでもないと言っています。この時点では、ヨハネがエリヤである根拠は何処にもありません。ですから否定したまでのことと私は考えています。イエスが彼をエリヤとしたのは、マタイ福音書11章が初めてであり、この後ならヨハネは自分をエリヤと問われても否定しなかったでしょう。さもなくヨハネが自分をエリヤと自称していれば、大言壮語の罪を犯していた可能性があります。 しかも先ほど述べた、ヨハネのエリヤである事の否定の会話の翌日に、自分の方に来るイエスに対し「神の子羊」と賛美する件があります。不和になっている者同士の態度には到底思えません。 >いつまでも別行動をとっていたり、 イエスの弟子や理解者は、十二使徒以外は必ずしも共に行動していたわけではありません。マグダラのマリアなどがその例でしょう。ヨハネは主の道をまっすぐにする、先を行くべき人物だと思います。 >重要な役の割に変な死に方をしていたり、 変な死に方とおっしゃるのが理解しかねます。イエスの先駆けを築き、国主たる人物の不法を命をはってまで批判しての死ですから立派な最期と思うのですが。率直に言って彼はキリスト教徒初の殉教者といって差し支えないとすら思います。 >天の国で一番小さい者と評価されたりと ちなみにこの前にイエスは「女から生まれた者(地上の人物と考えます)の中でヨハネより優れた者はいない」とも言っています。イエスがこの世の人物でここまで高く評価した例は後にも先にも見られないと思いますが。ヨハネが天の国で一番小さい者も彼より大きいと説いたのも、天の国と地上の差の大きさを強調する為に過ぎず、ヨハネをけなす為の表現とは思えません。 私が言えるのはここまでです。後は、age1118さんのご判断に任せます。 なお、#2の方の意見に基本的に異論はないのですが、 >理由はサロメを読めばわかると思います。 間違っていたら大変失礼ですが、これはオスカー・ワイルド原作の戯曲サロメの事でしょうか。この作品は聖書に基いたワイルドの創作であって、芸術・娯楽の対象とするのは結構ですが史実として受け止めるのは適切ではありません。 二度にわたり失礼しました。以上です。

age1118
質問者

お礼

どうもありがとうございます。クリスチャンではないと言われるkodai78様にも納得できない内容なのに、ましてや信仰暦の長い父に納得できるものではないことは当然なのだと感じました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

私が知る限り、ヨハネはヘロデによって処刑されました。 理由はサロメを読めばわかると思います。 ヨハネ教団は今までとは違って一部の知識人のみの ユダヤ教だったものを、一般庶民にも身近なものとして 広めたので、その信者の数は膨大になりました。 ところがヨハネが処刑されたことで、リーダーがいなくなり かわってイエスが選ばれヨハネ教団の信者をひきうけたようです。 だからヨハネとイエスが敵対していたのではないようです。 イエスの殺害は、派閥争いのようなものです。 戒律を重んじて厳しくすることで、社会の秩序を保って きた派にすれば、戒律より癒しを優先させたイエス教団は とても煙たく、また、自分達の地位を脅かすもので 放ってはおけず、潰す機会を狙っていました。 そして過ぎ越しの時に機会はやってきて、民族独立の 機運が高まったのを利用して殺したようです。

age1118
質問者

お礼

どうもありがとうございます。 私が、イエスとヨハネの不和と書いたのが、少々誤解を招いた感がありますので付け加えますと、不和=敵対(積極的なマイナスイメージ)ではなく、(ペテロや他の弟子たちのように)積極的にイエスに従っていこうとはしなかったという意味です。

  • kodai78
  • ベストアンサー率45% (56/122)
回答No.1

まず、洗礼者ヨハネの位置づけですが、彼は旧約聖書のイザヤ書40章3節で預言されていた、メシアの通るべき道を正すべく存在となります。 当時のユダヤ教のどの派にも属せず、荒野で修行をし、身分や立場を問わずに人々に教えを説いていました。真剣に自らの罪を悔い改めた者に儀式的に水の洗礼を授けていた、歴史上ではイエスの師匠と言っても差し支えのない人物です。しかしヨハネは自分を「私の後からこられる方はより力があり(イエスのことです)、私はその方の衣服を脱がす値打ちもない」といっており、イエスが洗礼を受けに現れた時も「私こそあなたから洗礼を受けるべきでは」と言っています。しかし、イエスはそれを拒みヨハネから洗礼を受けることを主張しました。 その意味ではたしかに不可解に思えるかもしれません。 ただし彼の行動は後に布教活動を始めたイエスの見本であり、自ら進んで荒野に赴き弱者の立場に立ち、病苦や罪の意識に苦しんでいる者に対し然るべき導きを説いていましたが、驕る権力者に対しては容赦のない批判をしました。その結果、ユダヤの国主ヘロデの不倫を批判し、投獄され、最後に刑死しました。これはイエスも同じような道をたどることになります。キリスト教の教えではイエスは三日目に復活しますが。 私はクリスチャンではありませんが、キリスト教について勉強した時期があります。そしてほぼ同時期、統一教会の勧誘も受けたこともあるため、いくらかですがその教理も知っています。統一教会では洗礼者ヨハネをメシアであるイエスの直接弟子にならなかった事から、謀反者のように教えていますが、私には全く理解できません。 聖書的に考えれば、彼は主(イエス)の通る道を正すために現れたのであって、後に従い弟子になるための人物ではないと思います。 さらに統一教会がヨハネを否定する原因の大きな所に、マタイ福音書11章にある、ヨハネが牢獄から「来たるべき方はあなたですか。それとも別の方を待つべきですか」とイエスに対する矛盾ともとれる質問を彼の弟子を通して行なった箇所があります。しかし、当時イエスの説く教えは必ずしも誰からも受け入れられるものではなかったようです。いつの時代も正しいことを言っている者が尊重されるとは限らないように、悪態も多かったと考えられます。獄中の直接イエスの布教を見ることのできないヨハネには不安だった、と私は考えます。そこで彼が出した質問も「来たるべき方(つまりメシア)」への忠誠ゆえの再確認であって、それを納得できれば改めてイエスへの信頼もできたはずです。そこでイエスはヨハネの弟子達に「あなた達が聞いたり見たりしたことをヨハネに報告しなさい」と答えており、「自分は絶対メシアだから信じろ」などといった強制はせず、事実を聞いて自らの意思で悟るように述べたのだと思います。 そしてその直後、イエスは群集に向かってヨハネを「預言者より優れたもの」と高く評価しています。不和になった相手をここまで賞賛はしないと思います。 イエスが十字架で刑死したのはヨハネの不信によるものとする統一教会の教えは、彼らの独特の考えを成立させるために聖書の部分的な引用を加えたものにしか思えず、私には納得しかねます。イエスとヨハネの不和というのは統一原理の特有の解釈と私は考えています。 それが正しいか、間違いかの結論は遠慮させていただきます。 最後に言わせていただきますが、統一教会とキリスト教は似ているようで全く異なる、相容れようのない教えの宗教です。こういうと統一教会側は私のような者をサタンと呼ぶかもしれませんが。 どちらか教理の視点のみではなく、age1118さんが自主的、客観的に判断されることをお勧めします。

age1118
質問者

お礼

元々キリスト教であった関係上、それなりにキリスト教の理解もあるつもりなんです。 イエスの示唆に対し、私はエリヤでないと否定したり、いつまでも別行動をとっていたり、重要な役の割に変な死に方をしていたり、天の国で一番小さい者と評価されたりと私自身は納得できないものが、統一原理で氷解したのですが、父親が納得しないのを見て、一般のクリスチャンはどう考えるのか知りたくなったのです。どうもありがとうございます。