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小説を書きたいと思う気持ちって?
小説を書くことを職業または趣味になさっている方にお聞きしたいのです。 文学は美術、音楽等と同様、芸術だと思います。 美術、音楽は、動機がわかる(気がする)んです。 私も絵を描きますが、例えば美しいものを見た時に自分の受けた印象を紙の上に表現したいとか、現実にないものでも自分の心の中にあるものを形に表したいという気持ちが起こるのは簡単に想像できます。 作曲はできませんが、頭にメロディーが浮かんできてそれを具体的に譜面に表したり、楽器で演奏する快感は素人でもなんとなく想像できます。 文学(特にここでお聞きしたいのは小説)はどうなんでしょうか。 推理小説はきっと、複雑なトリックで読者の頭を悩ませたりするのが楽しいのかな、難しいクイズを人に出して「う~ん、わかんない、降参!」って言わせる楽しさに似てるのかなって想像してます。 美術や音楽をやる人の動機は、半分は自己満足のような気がするのですが、小説は、書いている最中は楽しい(快感を得られる)ものですか? 文学は美術や音楽に較べるとずっと、感覚だけでは創れない感じが私にはあり、時代や場所、人物の設定など、かなり冷静・客観的に読者側にも立ちながら考えなければいけないのだろうと思うのです。 小説を書く楽しさ、動機って何ですか? それと、読者に伝えたいテーマというのがそれぞれの小説の中に必ずあるものなのでしょうか? 教えてください。
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「小説」とひとことで言ってもそのジャンルは様々です。動機や目的、表現方法、「楽しさ」は人によっても違いますし、ジャンルによっても大きく異なると思います。 例えば、自伝やドキュメンタリー系のものであれば「伝える」ことが第一義的な目的になります。 (gomadoufuさんのおっしゃる小説は「芸術」の一環としての小説ですから、これはちょっと違うかもしれませんが) 推理小説は、gomadoufuさんのご推察の通りだと思います。実際私は書いたことがないのでこれ以上は申し上げられません。 > 感覚だけでは創れない感じが私にはあり、時代や場所、人物の設定など、かなり冷静・客観的に読者側にも立ちながら考えなければいけないのだろうと思うのです。 これは、推理小説については言えますが、すべての小説に当てはまるわけではありません。 時代や場所、人物の設定についても、推理小説のストーリー同様綿密に設定する小説もありますが、曖昧な小説も多くあります。 音楽や絵画などでも同じではないでしょうか。 作曲をするにも決まりごとがありますし(例えばワルツの形式とか?)、絵を描くときにも遠近法などを用いたりします。 > 美術や音楽をやる人の動機は、半分は自己満足のような気がするのですが、小説は、書いている最中は楽しい(快感を得られる)ものですか? 私の場合、自己満足です。 書きたいことがあるから書く、書くべきことがあるから書く、といった感じです。 「楽しい」かどうかは、難しいです。 書いているときは、没頭しますが、自分の表現したいことが上手く文章にできない、ちゃんとした表現が浮かばない、といったもどかしさがありますし、書くこと自体が困難なこともあります。 その辺も、他の芸術と似ているのではないでしょうか。 動機も、あってないようなものです。 私の場合、自分にとって一番表現しやすいものが「書く」ことです。 絵は下手だし、不器用だし、音痴だし、楽器も弾けない(笑 表現したいものは、感情であったり、出来事であったり、風景であったり、様々です。 「読者に伝えたいテーマ」については、「必ずある」とは言い切れません。 寓意がこもった作品もあれば、何でもない1シーンを切り取った作品もあります。恋愛感情のみを描いた作品もあります。 結局のところ、様々な面において、小説も他の芸術とあまり変わりがないのではないでしょうか。 動機、テーマ、目的…いずれにしても、他の芸術活動と同じことが言えると思います。 「書く」ということは、言葉を媒介としていますが、言葉は記号ではありません。多様な表現方法がありますし、「感覚」あるいは「感性」に大きく左右される行為です。 だからこそ、歴史に残る名作があり、人々に感銘を与えるのではないでしょうか。 あくまで私個人の考えですが、ご参考になれば幸いです。 長文駄文失礼いたしました。
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- nasebanaru
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趣味で小説を書いている者です。 自分の物語を書き始めたのは小3でしたがその頃は「こんなの書いてるよ、見て」って思いの方が強かった。自己主張の手段の一つ。 動機は年をとると色々変化しますので、今の状況をお話しします(現在は高3です)。 ●ご質問にある「時代や場所、人物の設定」も、資料を集めるのも、設定を自分の頭の中でするのも楽しいんですよ。「考えなければならない」のではなく、「考えてしまったから、書いてみよう」という。それを人の視点で読める様に文を組み替えたりするのが、また面白い。 ●日々の恥ずかしい・腹の立った・悲しかったことを書いて憂さ晴らし、というのもあります。勿論嬉しいことも。一人暴露大会を、小説の中で登場人物にさせる、という。(何かこう言うとサイテーですが……!) ●特に目的はなく、ただ書きたい、というのもあります。子供が楽しくて仕方ない時に全速力で走ったりするのと、似てなくもない。 私の周りには創作をする人が一杯いるのでよく解りますが、目的とかじゃないんです。書くこと・描くこと・作ることそれ自体が好きなんですね。だから、自分の気に入るものが出来るまで、無我夢中です。自己満足に近いんですが、他人の満足を前提に努力する自己満足でしょうね。 テーマについてですが、私の場合はありません。ただ、登場人物の性格を決定するには、どこか人間臭いところを入れなくてはならないので、それに付随して人間関係・社会問題なんかが発展し物語になって行くことが多いため、最終的にテーマづけられているものが多いです。その点から見ると、小説の中には何らかのテーマが見受けられますね。
お礼
ありがとうございます。 なるほど~段々読んでいくうちに、何だか楽しいものなんだなあ~と思えてきました。私が最も「難儀そう」に感じる人物設定も、楽しいものなんですね。 今回質問してみてよかったです。全員の皆様本当にありがとうございました。 順位は付けられないので、良回答は初めに答えてくださった方から付けさせていただきます。
- MIYABI1919
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はじめまして^0^ 小説を書いていて良いところは 「自分の筆で人の心を動かせる」というところにあると思います。 以前、私が書いた小説を大勢の方に拝見してもらう機会がありました。 しばらくして、私宛に一通のメールが来てこう書いてありました。 「思わず涙してしまいました、ありがとう」と。 こっちが涙ぐみそうになりました。そしてとても気持ちが良かったのを思い出します。このとき初めて自分にも人の心を動かす力があったんだと感じました。 自分の表現で人を泣かせることも怒らせることも笑わせることも出来る、こんなすばらしいことはありません。 「剣でも貫けない心もペンならいとも簡単に貫いてしまう」私の信条です。 私は人を泣かせる為に作家を目指しています^0^
お礼
「人を泣かせる為に」と明言していらっしゃる、わかりやすいですね。 人に読ませることは考えずに書くという方あり、人の心を動かすために書く方あり、本当に色々なんですね。 ありがとうございました。
- sirayukihime
- ベストアンサー率30% (63/207)
初めまして。 文学は美術・音楽と並んで三大芸術とも評されますね。それぞれに重なる部分もあれば異なるニュアンスもある。また、それぞれの内部においても分野というものがある。感性・センスが前面に打ち出されたものがあればテクニックや理論が駆使されたものもある。 しかし、この三大芸術というもののなかで、殊、文学に限っては美術・音楽とは一線を画するものがある。それは、作品を生み出すに当たって作者は「神なる者に化身する」ということです。そして、おのれが生ぜしめた登場人物たちの生殺与奪を掌中に握る。・・・と言っても作品の終盤ともなれば登場人物のほうが意志を持ち出して作者の言うことなど聞かなくなる・・・とは実際、作家のかたが仰ったことですが。 この点、音楽は、天の数列を作者の身体を通して、この世に鳴り響かせているという、つまり天の声を代読する巫女のようなイメージがありますね。ですから音楽「理論」というものが存在するにせよ芸術分野の中では一番、感性の世界に直結している。ところが文学に至っては、おのれが神に成り代わろうとする試みなのですから恐ろしいことです。 私も若い頃、純文学作家を志望していたのですが、やってみたら分かります、たいへんにエネルギーが要求される。娯楽小説とは違う目的があって、まず思想ですとか自分なりの内面的蓄積が要求され(ですから年齢が低いほど驚くべきことなのです、音楽方面と違って。そして年若くして作品を一つものしても、あとが続かなかったりする)それを目に見える形で表現するべく白紙の上にペンでもって、それこそ何人もの人間を産み落としていくわけです。実際、体力要ります。 私は体力もエネルギーも乏しい人間なので産みっぱなしに終わりました。で、つくづく思ったんですが作家たらんとすれば体力、何はなくとも表現したい、せずにおらりょうか、するのだ!!ガルル・・・という猛烈なエネルギーが必要である。蓄積が大したことなくて感性やセンスで埋め合わせするとして、これが格別高度なものでなくても有り余るエネルギーがあれば、取りあえず書けてしまったりする。その根底にあるものが強烈な自己顕示欲に過ぎなかったとしても・・・それを持ち合わせていること自体がエネルギッシュだということです。私は残念なことに自己顕示欲すら十分とは言いかねる。 ジェフリー・アーチャー氏だったと思いますが、いみじくも言っておられました。 『エネルギーさえあればキングは無理でもプリンスにはなれる』 私自身「書かずにおられぬ」という気持が理解できないというか自分の現実が過酷にしてスピーディー過ぎるので表現するよりも現実世界についていくだけで息絶え絶えという体たらくでしたが母を亡くしたとき、それまでどうしても詠むことができなかった短歌が思いがけず、いくつもでき上がったので驚いた経験があります。短いからよかったんでしょうか。これは確かに詠まずにおれないという実感がありました。自己顕示欲とは別の純粋な表現欲求でした。そうして客観的処理をすることによって胸苦しさをやわらげる一助になったと思います。 しかし小説は一般的に長いですからね、目的地にたどり着く道のりが。その間テンションを高く維持できて尚且つ、そこに楽しみさえ見出せる、こうした資質の人でなければならないだろうと思います。登山を楽しめる体力の人と散歩がせいぜいの人くらいの差でしょうか。私は初めて作品に着手したとき、嘔吐感にエヅキまくっていました・・・。 本当は絵を描くほうが、もっとずっと好きです。
お礼
とても面白く読ませて頂き、また納得もしました。 私は小説のすごいと思うのは、それぞれの登場人物を作るところです。普通の人が想像の範囲内で人物を作ったら、どの人物も自分の側面をとった分身みたいに大差なくなってしまいそうに思うのです。でも現実には言動や考え方は人によって全く違うので、「自分だったら考え付きもしないようなことをする」人物も登場させないといけない(気がする)。 絵だと、ひたすら自分の好きな色や形だけ追っていっていい(気がする)。 絵も描かれるそうですが、この点どう思われますか?
私は文も書きますし、曲も作ります。 どっちも小さい頃からやっています。 小説もやはり他の芸術と同じではないでしょうか。 私の場合は物語を作るのが好きだから書いています。 漫画がとても好きなので出来れば漫画を描きたいのですが、 絵が下手なので断念しました。 次なる手段が小説だったわけです。 とにかくお話を考えるのが好きなのです。 何故好きなのかというと、漫画や小説を読んでいて、 物凄く感銘を受けた場面があると、自分もそのような場面を書きたくなるのです。 これが動機でしょうか。 音楽を作る動機は、作れるからです。何故か作れるので作っています。 小説はネタがないと一歩も進めませんが、 音楽はネタがなくても作業できて、試行錯誤でネタを導きだします。 楽器を適当に弾いていて、今のフレーズいいなと思ったら抜き出して前後上下を組んでいきます。 小説は適当に文を書いていてネタが出てくることはないです、私の場合。 良いものを書くためにネタありきで試行錯誤していきます。 しかし音楽は感覚だけで作っているわけではありません。 聴き手にどう聞こえるのか、自分の耳を研ぎ澄まし、 できるだけ先入観のないように聴き、音のバランスが不快ではないだろうか、 もっとかっこよくならないだろうかと、 かなり冷静・客観的に聴き手の側に立ちながら作ります。 「感覚」と「計算」のバランスは私にとっては音楽も小説も同じ度合いです。 でも作っている最中の楽しさはどっちも同じかなぁ…。 小説の方が一日中、歩いている時間にもバスに乗っている時間にも考えていられるので、 小説を作っている時期は24時間テンションが高いですかね。 音楽は楽器に向かっているその時だけなので。 自分の作品に触れてどうなのかという面では、 音楽は作ればその場で聴くことができます。 しかし小説は量が多いので一度に一作品全部読もうとすると、 私の場合は100ページくらいはあるので時間的な制約もあれば、 自分が何を書いたのか記憶にあるので楽しめません。 その分では音楽は次の音だけが楽しみではないので、 作ったその場での楽しめ度は音楽の方が高いです。 しかし作り終えて時間が経ち、細部を忘れた状態にあれば、 自分の作ったものに触れてみてどちらも同じくらい楽しいです。 私はアホなので時間が経って忘れた状態にないと自分の作品を高い度合いで客観視できないので、 とても大事な作業になります。 読者に伝えたいテーマがあるかどうかは、書いているジャンルや内容に依りますね。 娯楽用に書いているものもあれば、 まず先に伝えたいものがあり、伝えるための道具として物語りを組み立てるというものもありますから。
お礼
ありがとうございます。 「お話を作るのが好き」だから書く・・・考えてみると当たり前のことですけど「なるほど、そうなのか」と思いました。私なんか、何かを読んで感銘を受けたとしても「自分も書いてみたい」という発想は出てこないです、そこが基本的に違うんですね。 好きな絵を見ると自分も描きたくなるのと、似たようなものなのかもしれない・・・と思いました。
>gimatetuさんに質問ですが、ホラー小説を読みたい心理ってどういうものですか? 遊園地のお化け屋敷に入りたい心理と近いですか? 「怖いもの見たさ」が大きいかと思います。 おっしゃる通り、お化け屋敷に入りたがる心理に近いかと。 もう少し正確に言えば、「自分は絶対に安全なポジションで、ちょっとスリルを味わえる快感」でしょうか。 小説のみならず、ホラー映画やホラーゲームなども同様だと思います。 >なぜ人間には恐怖を味わいたい気持ちが備わっているのでしょう? 「遊びの理論」を説いたのはカイヨワでしたっけ。 その中に「緊張と緩和」というのがあったように思うのですが、ドキドキハラハラして、そこから解放される、そんな快感があるのでしょうか。 前述しましたが、「本当の恐怖」は誰も味わいたくないと思います。あくまでも、自分の安全が保証された上でのハラハラドキドキ。
お礼
う~んなるほど・・・ ではものすごく怖がりで本の内容を夢に見てうなされちゃうようなタイプの人では、あまり楽しめないんでしょうね。あくまでも「これはフィクション」と割り切れる人でないと。 とても勉強になりました、どうもありがとうございました。
#2です。 >読者を楽しませる(怖がらせる)ことに主眼があるととらえていいですか? >お笑いの芸人さんがネタをやってお客さんがウケると「よしっ!」って思う、それの怖いバージョンって感じでしょうか。エンターテインメントですね。 私に関していえば、そう取っていただいてけっこうです。 ただ、自分が面白く感じないものをウケねらいのためだけに書くのは本末転倒なので、そうならないように注意はしています。 しょせん趣味で書いているものですので。 >純文学を書かれる方は、読者を楽しませようという気持ちは全くないのでしょうか? どう思われますか? 純文学の中には、生きる苦悩を描いたものとか悲惨な人生を描いたものもありますから、何を持って「読者を楽しませる」とするか、むずかしいと思います。 ひと昔前の構図では、純文学vs娯楽文学というのがありましたが、現在はその図式も古いものになっていますし。 ただ、いずれの文学にしても、ある程度は読者にわかるように書かれる必要はあるだろうなあ、とは思います。 と言いつつ、これまでいろいろな文学を読み込んできた人と今までまともに文章を読んでこなかった人、どちらにも理解してもらうように書くのは至難のわざと思います。 その意味で、読者を選ぶ文学もあって当然と思います。
お礼
おっしゃること良くわかります。 「全ての人に理解でき、かつウケる」は無理、まずは自分自身が面白くなければ意味ありませんよね。 gimatetuさんに質問ですが、ホラー小説を読みたい心理ってどういうものですか? 遊園地のお化け屋敷に入りたい心理と近いですか? なぜ人間には恐怖を味わいたい気持ちが備わっているのでしょう?
- la-luna
- ベストアンサー率37% (36/96)
#1です。 >寓意がこもった作品は、書く気持ちがわかるんです、目的意識というか。「何でもない1シーンを切り取った作品」、これが私にとってこの疑問の元なんです。 うまく表現できないのですが、風景画のようなものではないでしょうか。あるいは、スケッチ。写生。 絵を描く目的も、様々ですよね。 gomadoufuさんのおっしゃる「例えば美しいものを見た時に自分の受けた印象を紙の上に表現したいとか、現実にないものでも自分の心の中にあるものを形に表したいという気持ち」と同じです。 たぶんこれは純文学の場合に言えることだと思います。 #2 gimatetuさんのご意見、興味深く読ませていただきました。 同じ「文章を書く」という行為でも、全く違うのですね。 シュールレアリズムと古典印象派の違いよりも大きいのではないでしょうか (といっても私は美術には疎いので全く見当違いかもしれませんが…) ちなみに私は、読者を楽しませることが目的になることはありません。 もちろん、読む人が共感してくれれば嬉しいですが、「楽しませる」のとは違いますし、目的ではありません。 この目的の違いは、ストーリーや展開・設定を重視するか、文章や雰囲気・表現を重視するか、といった違いからくるのではないかと思います。 蛇足ですが、私がOKwebで回答を書かせていただいているのは、文章作成のトレーニングのためです。 デッサンの練習みたいな感じでしょうか。
お礼
ありがとうございます。この件、以前から疑問に思っていたことなので、しばらく付き合っていただきたいのですがよろしいでしょうか? 自分の周りに、小説を書く人が全くいないので・・・ (できればこの場でなくもっと色んなことを質問したいくらいなのですが) 風景画。なるほど・・・ということは、淡々と描写しているように見えても、作者はそのどこかに美とか何かを感じているわけですよね?
現在、自分のサイト上でホラー小説を発表しています。 たまに、全く見も知らぬ掲示板で話題になっていたりして、なかなかうれしいものです。 さて。 よく「作者は読者のなれの果て」などと言われますが、私に関しては、まさにその通り。 いろいろ小説を読んで、自分もこういう面白い(面白いの定義はさまざまでしょうが)話を書きたいなあ、と思ったのがそもそもの動機でした。 で、サイト上の「怖い話」をけっこう楽しみにしてくれている方がそれなりの数いらっしゃるので、書く方としても、「こんな話はどうだろう」とか「この話は受けるかな?」などと考えつつ書いています。 もちろん、何よりもまず自分が面白いことが絶対条件ですが。 書いている時というより、話がうまく進まなくなった時が苦しいです。 それをクリアして、ぴたりと話がまとまり、さらに、それが読者にウケた時は快感です。 そのために書いているような感じですね。 純文学になってきますと、執筆動機はまた違うのでしょうけど。
お礼
ありがとうございます。わかりやすいです。 読者を楽しませる(怖がらせる)ことに主眼があるととらえていいですか? お笑いの芸人さんがネタをやってお客さんがウケると「よしっ!」って思う、それの怖いバージョンって感じでしょうか。エンターテインメントですね。 純文学を書かれる方は、読者を楽しませようという気持ちは全くないのでしょうか? どう思われますか?
お礼
ありがとうございます。 「小説も他の芸術とあまり変わらない」・・・へぇ~書く人の感覚でいうとそうなんだ・・・と思いました。「小説を書く」という選択肢が私の脳にはないので、すごく異質なものに感じていたのです。 寓意がこもった作品は、書く気持ちがわかるんです、目的意識というか。「何でもない1シーンを切り取った作品」、これが私にとってこの疑問の元なんです。 これは、なぜ書きたくなるのだと思われますか? よかったらお聞かせください。