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キリスト教と仏教の教典
キリスト教も仏教もそれぞれ宗派がありますが、キリスト教は宗派が違っても聖書とゆう同じ教典がありますが、仏教は宗派ごとに教典があるように思えます。 法事などに参加しても、父方のお経と母方のお経が違うし知人のところのお経もまた違うお経です。 宗教に無知なぼくから見れば、キリストの教えが聖書。では釈迦の教えはどれ?となって考えが飛躍して仏教はバラバラの教典をよりどころにしているから、仏教とゆうひとくくりの表現は間違いではないかと思ってしまいます。 教えてほしいことは、キリスト教の教典は各宗派とも同じ聖書を教典としているのでしょうか。 それと、仏教には何々経、何々経といろいろなお経がありますが、全て釈迦が教えたお経なのでしょうか。 そしてどのお経が釈迦の教えの真髄なのでしょうか。 教えてください
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キリスト教の新約聖書は,キリストの著作ではありません。また,仏教の各種経典も,釈迦の著作ではありません。キリストも釈迦も教えを文字に表しませんでした。ですので、いずれもそれぞれの方が亡くなられてから相当年月が経ったのちに,弟子達によって編纂されたものです。 キリストが教えを説いたのは約3年。対して,釈迦が教えを説いたのは約40年。必然的に釈迦の方が多く話しているわけですから,1冊にはまとめることができず,体系的にまとめて,それぞれに○○経というタイトルが付けられました。 全ての経典が,釈迦が話したことを忠実に記載されている訳ではなく,他の宗教を取り込んだり,当時の社会情勢に応じて変化し,書き加えられたり,新たな経典が作られたりしました。 一般的に法華経は,釈迦が晩年に説いた教えだと言われていますが,その法華経の一部を釈迦は空中で説法したことになっています。 新約聖書でさえも,長い年月の間に,書き換えたり,書き加えられたり,省かれたりしています。 仏教各宗派の宗祖が,たくさんの経典の中から,「これが一番の経典だ!」と選び出した経典が異なっており,「大日経だ」と言った方もいれば,「阿弥陀経だ」と言った方もおり,「法華経だ」と言った方もおられた訳です。 どれが真髄なのかは,凡夫の私にはわかりません。 >仏教の長い歴史で誰が仏に成れたのでしょうか? 狭義の「仏」になったのは,現在のところ,釈迦が最後で,次に仏になるのは弥勒菩薩さんだそうです。
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- Doors9999
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zxc78910さん 当方は大学時代に宗教を哲学の中で研究しました。 日本の大学ではありません。 ですから、日本で「宗教に凝っている」と言う感覚ではありませんのでまずお断りしておきます。 ●キリスト教と仏教その共通点 *口伝であるということ。 弟子が聞いたことをそれぞれ書き残しています。そのためにたくさんの、口伝・経典があります。 新約聖書は、マタイ伝やマルク伝などの口伝と、キリストの弟子たちの各地の教会への指示、そしてヨハネの黙示録など27文書を10世紀頃バチカンのキリスト教会が自分たちの都合の良いようにまとめたものです。このまとめた口伝以外に価値を見出し、いろいろな宗派が発生しました。それらの多くは異端とされ、時の権力と結びつき、滅ばされました。もちろん主流派はプロテスタントとカソリックです。この二つの違いは、プロテスタント:キリスト教のよりどころは新約聖書にある。 カソリック:キリスト教のよりどころはバチカン教国にある(非常に乱暴ですが、誤解を恐れず言い切ります。) といったところでしょうか。 ですからキリスト教は元々新約聖書を唯一の経典にしているわけではないということです。 ●相違点: 旧約聖書はキリスト教とユダヤ教、イスラム教の共通聖書です。キリスト教は新約聖書と旧約聖書の二つの聖書をもって経典としています。ご存知とは思いますが、ユダヤ教は旧約聖書とモーゼの十戒、イスラム教は旧約聖書とコーランとを持っています。 ●世界観: 仏教は宇宙の真理を説いています。 当時は荒唐無稽な数量や、理解不能な事が説かれていますので、一般人には理解しがたく、そのために、念仏を闇雲に唱えれば、極楽にいけるといった大衆にわかりやすい仏教にしました。(大乗仏教) しかし科学が進むにつれ、仏教の宇宙観は宇宙の広さや、星の数など驚くほど最新の研究と近いことがわかってきました。また、宇宙の法則とされる、「輪廻」この世の全ては生命体である。全ての生命は生まれ変わる。ということはあの世のことを言っていることと思われがちですが、そうではありません。動物が死んで土に返り、その栄養が植物を育て、その植物を食べた動物が成長して子供を生む。といった自然のサイクルのことを言っているのです。 生命とは何でしょうか?宇宙の法則、地球が太陽の周りを回る、一定周期で。太陽も宇宙の膨張で動いています。一定の速度で。宇宙には人間がどうしようもない法則があります。これから解き放たれたる事を「解脱」と言います。 詳しくは研究してみてください。非常に奥が深いと思います。 新約聖書の思想は、簡単に言うと唯一絶対の神にゆだねれば救われる。いう哲学的には幼稚な思想といえるかもしれません。ただし、科学者の多くが言われるように、この宇宙は非常にうまく精緻に出来ていて、絶対的な創造主の存在を感じざるを得ません。現代最先端の科学者の多くが敬虔なキリスト教信者なのはそのためかもしれません。
お礼
双方の共通点、相違点、世界観を易しく教えていただき ありがとうございました 哲学的には仏法が奥深く、キリスト教は幼稚な思想である。 こう言いきられるのは、宗教を深く探求された見識からと思います。 doors9999さんは「宗教に凝っている」感覚ではないとのことですが、宗教を信じる派か信じない派かどちら側におられるのでしょうか。 ぼくは人生に宗教が必要かどうかよく解りません。 西洋も東洋も、死後には何かが有るから生きてるときはきをつけろ!とゆうところが共通点にみえます。 もう一つの共通点は、死後の説明が納得できないことです。哲学は人の死の真相をどのように捉えているのか教えていただければと思います。
- pyon1956
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まずキリスト教について。そもそも2000年前(新約)、またはさらに前の文書(旧約)なので、写本のかずも半端ではありません。これらの写本を勘案してどうもこういうものらしい、というのがさらに翻訳されて読まれているわけで、同じというと語弊があるが違うというとそれもなあ、という状態ではないでしょうか。 また日本語訳に限ってみても、新共同訳、共同訳、口語訳、文語訳、新改訳、フランシスコ会訳(新約のみ)、岩波書店のもの、ほかに個人訳などをいれれば膨大な訳があるわけで、これら一部でも読み比べてみれば結構重要な違いがあるようにも見受けられるのですが。ただ、この訳の違いで宗派がわかれているということはありません。まあどの訳、あるいはどの写本の系統を重視するか、というのは宗派によって一定の傾向はあるようにも思えるのですがね。 一方仏教の場合大事なのは成仏、つまり仏になる、ということで原理的に人間誰でもそれどころかすべての生き物が仏になりうる、と考えているわけです。 そのために役立つのならば経典ていうものは本当はなんでもいいわけです。ただ、ほんとに役に立つのか、というのが問題で、「この経典以外は役に立たない」という宗派もあり、逆に経典よりも行が大切と考える宗派などもあります。 つまるところキリスト教と仏教では経典の重要さそのものが違います。 この辺は正典宗教とそうでないものの違いなんじゃないでしょうか。 仏教は全体としては正典宗教ではありません。(そうでない宗派はありますが) イスラームとキリスト教は正典宗教です。 この違いをもって宗教の価値を考えるのは必ずしも正しくないんじゃないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました 正典宗教とゆうことをじめて知りました。この違いで宗教の価値を考えるのは間違いである。宗教が無知なぼくにはこうしてみなさんにいろいろ教えてもらうことが新しい発見です。自分の理屈と合わないと宗教を疑って遠くに置いてしまいます。 こうゆうのを屁理屈とゆうんでしょうね。 もうひとつ屁理屈ですが、仏教の長い歴史で誰が仏に成れたのでしょうか?
- o-sai
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釈迦(仏陀)は文字で教えを残しませんでしたので、 全ての経や巻物は後世の各種教団の創作です。 それが中国へ渡ってさらに創作の巾が広がり、 日本へ渡来した時点でも 「ジャイナ」「ヒンドゥー」「山岳仏教」等と混ざって独自性を深めてゆきます。 寺院や仏像も、本来の仏陀の教えとは無縁のもので、 大衆にわかりやすくアピールするためにキリスト教からパクったものです。 ですから本来の仏陀の教えと現代の各国、各種の宗派はほとんど無縁のものと考えてください。 蓮華教の翻訳本を読めば驚きますよ。 さながらスターウォーズですから。
お礼
スターウォーズ!? うあすごい! 仏陀と無縁のものが仏教? 世界三大宗教の一つとして仏教が入ってますが、世界二大宗教と訂正する必要がありますね。 回答ありがとうございました
- leoundmax
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キリスト教に関して言えば、初代キリスト教(キリストの弟子といわれる12人からはじまってパウロに引き継がれていく)の教団が成立して依頼、正統と異端の線引きが引かれていく歴史があります。 そのなかで聖書の成立事態がこの初代キリスト教団の成立以降ですし、パウロのことばを中心にしている点で、この聖書の原典に関する正統と異端の歴史もまたあります。 また、キリスト教では、翻訳されたものも聖典とみなされているため、各国語訳(すでにラテン語訳の時点で)さまざまな教義を背景にした訳が出されています。 現代は、共同訳といって各教団が歩み寄る運動がさかんですが、まだ、独自の聖書を使っている教団もたくさんあります。 ですからイチガイに一つの経典とはいえないところもあるとおもいます。
お礼
回答ありがとうございます キリスト教も、独自の教典を持つ教団もあるとゆうことですが、#2さんの回答からイメージすると同じ聖書を教典とする宗派が圧倒的に多いように思います。 仏教では#1さんの回答から、(ぼくの解釈が間違ってたらごめんなさい)釈迦の教えは数ある教典から自分で決めるとありました。 仏教は、宗派によって教典もさまざま本尊もそれぞれ有り、自分でこれが正しいと判断するために勉強を始めても、ぼくの頭では膨大な仏教の教典を勉強する途中で一生が終わるのではないかと思います。
- tabide
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取りあえず、キリスト教に関してだけ。 正統的キリスト教会であれば、教派を問わず、私達でも一般の書店で入手できる聖書(旧約39巻・新約27巻)を経典としていると思って頂いて構いません。特にプロテスタント諸派では、この「全66巻」以外に経典はありません。 カトリックや東方正教会など、教派によっては更にプラスアルファ(いわゆる旧約外典など)があったりしますが、これらは「全66巻」の権威に依拠した補完的な存在であり、あくまでも「全66巻」が本質であることに変わりはありません。
お礼
回答ありがとうございます コーランとゆう教典がイスラム教だと思いましたが、やはり仏教だけ教典が一つでないのはよく解りません。
- zexus
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参考までにお聞き下さい。 確かに仏教は色々な宗派があります。経典ということですが、ブッダは王族の生まれで字などは書くことは出来ましたが、経典は残していないと思います。キリスト教の新約聖書は弟子達がキリストの生き方を経典のようにしていますよね? 一応仏教にもブッダの生涯を記した一切教なる本があります。 私は以前ブッダの生涯を手塚治虫氏の「ブッダ」というマンガで知ったのですが、組織などを作るのを嫌う人であったようです。 弟子の中で間接的にですが、ブッダと同じ王族出身(一時的ではありましたが…)のダイバダッタなる人物がいましたが、その人物は大きくなった組織をまとめあげ後継者になろうとしました。しかし、ブッダに対するねたみからブッダの命を狙い結局自滅しました。結局ブッダは死ぬまで自分で組織を作ろうとはしなかったようですし、教えは全て口伝えだったようです。 仏教でお経といってもそれはブッダは直接関与していないと考えます。仏教を広く民衆に広める上でお経を利用したほうがわかりやすく浸透しやすいと開祖たちが広めたものでしょう。 教えを広める人がブッダではないという所がそもそもの原因でしょう。人によって解釈の仕方が違った上に、広まったのも中国や韓国などを通してでしたし、実際本人に聞きたくても死んでしまっている以上聞けません。結果自分なりに解釈し、これこそ正しい教えと信じて教祖たちは、教えの手段としてお経や座禅を広めたものと考えます。 仏教の大元の教えは、全ての生き物は宇宙で繋がっているというのが教えだったのではないかと思います。その生き物が人間であっても動物であっても、皆命は繋がっているという考えから輪廻転生という考えが生まれたのでしょう。 そこがキリスト教との違いでもあります。キリスト教は元々イスラム教と同じくユダヤ教から分派したものです。キリスト教では原則的に人が死ぬと地獄か天国かに行くとされ、転生は無いとされていました。だからこそ死ぬときに天国へ行けるように神を信じなさいとしていた訳です。 新教と旧教の違いこそあれ、基本的に死んだら天国か地獄という考え自体はほとんど変わりはないようです。 しかしかなり前の話になりますが、「死海文書」と呼ばれるキリスト教の原典とされる書物が見つかったことにより、キリスト教にも転生の考えがあったのではないかと言う意見もあるようです。 キリスト教があれだけ熱烈な支持を受けているのは、他の宗教に無い部分、生き返りがあったからです。しかしこの書物が見つかったことによって、この考えも少し揺らいだ部分もあるかと思います。 私は基本的に何教という考えがないのですが、宗教とは何かのよりどころにするためにあると考えます。ただ盲目的にお経なり祈りなどを繰り返しても意味はあるのか、ちょっと疑問です。 例えば科学者はすばらしい人達かもしれません。ですが、マッドサイエンティストなどと呼ばれていた、科学教の信者の末路はいったいどういったものだったでしょうか? もし詳しくキリスト教について調べて見たいのであれば、ネット上でキリスト教なり仏教で探すと色々ヒットします。 その中で自分で納得できる考えを探すのがベストだと思います。 真髄かどうかは自分が決めるのが一番でしょう。 何だかあまり参考にならなかったでしょうか?
お礼
回答ありがとうございました たいへん参考になりました
お礼
回答ありがとうございました 釈迦の教えが長かったからキリスト教のように一冊にまとまらなかった。なるほど納得しました。 宗教に精通してる方でも真髄がわからないとのことに宗教哲学の難解さを知る思いです。