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お釈迦さんと奥さんと子供
仏教を知らないぼくのイメージにあるのは、仏教を修行中の聖職者は、あらゆる欲望を克服するために頑張っているとゆうものがあります。 教えてほしいことは、仏教の創始者のお釈迦さんには奥さんと子供さんがいたときいてますが、昔の日本のお坊さんが妻帯しなかったのはなぜでしょうか。 教えて下さい
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仏教とは修行者の宗教です。修行の第1歩は五欲を断つこと。 五欲とは色、食、財、名、睡ですね。 だから古い仏教の形を残すテーラワーダ(スリランカや タイの仏教)では食事は食べたいものを食べるのではなく、 出されたものだけを食べるとか、お金を持たないとかいう 戒律があります。 このうち色欲とはつまり姦淫を犯さないということですので テーラワーダでは結婚どころか、女性に触れることすら タブーとなっています。 ゴーダマシッタルッダは釈迦族の王子として妃と 未来の皇太子を持っておられましたが、人間の 生と死のカルマからの解脱を目指して出家され、 後にブッダとなられます。ブッダになってからは 女性が仏教団に入ることすら拒絶されていました (後に許されています)。 仏教という宗教が成立するのはブッダが自らの 悟りを5人の弟子に説いてからを指しますので、 仏教の創始者のお釈迦様が妻帯という理解は 誤りです。 お坊さんが妻帯しているのは日本の仏教の話。 奈良時代からそういう例はあったそうですが、最初に 堂々と妻帯されたのは親鸞聖人です。 親鸞は妻帯しただけでなく、肉食もしています。 それは親鸞自身が仏教の教えを考え抜いた末に たどり着いた一つの教義だったのだと思います。 (ちなみにテーラワーダでは肉食は禁止されていません) 書物で親鸞がなぜ妻帯したのか、またブッダが 女性の仏教団参加を拒絶し、後にそれを解かれた 弟子の理論を比べてみるとおもしろいかもしれませんね。
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- mmky
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参考に 釈尊と呼ばれる前の、ゴータマシダールタは、妻帯者でしたね。出家して悟りを開いて釈尊と呼ばれるというのは、現代風に言えば、大学の学長になったということですね。それで学生を集めて教育して、講師や教授連を育成していたということですね。時系列的には貧乏学校のころは、女性弟子も禁止というようでしたが、学校もおおきくなり、教師陣がふえた時点で女性弟子も許可してますね。つまり、学生ということですから、基本的に妻帯は禁止されたということでしょう。在家の弟子もたくさんいましたから、妻帯自体が悪いと言うわけではなかったようですね。妻帯したければ、在家弟子になればよかったんですね。つまり、学則で妻帯禁止ということだったのでしょうね。 これは、どういうことかといえば、釈尊の悟りの1つに苦楽の中道というのがあるからですね。山にこもって厳しい修行をしても悟れない、王宮で贅沢な暮らしのなかでも悟れない、普通の生活の中に悟りがあるというものですね。つまり極端なものの中には悟りはありませんということなんですね。どこの国のお坊さんも、2500年前の釈迦教団をまねていたので妻帯しなかっただけですね。でもそれで身体的や精神的に不都合がでるようなら一般のお坊さんはできないので徐々に妻帯もよしとなったわけですね。誰しも釈尊になれるわけではないので、普通に生活しながら悟りに近づく方法がいいことなんでしょうね。
お礼
現代風に教えてもらえてよく解りました。 回答ありがとうございました
- o24hi
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こんばんは。 >昔の日本のお坊さんが妻帯しなかったのはなぜでしょうか。 少しだけ外れていますねー。 浄土真宗のみ、妻帯OKだったんです。確か「裏の空海、表の親鸞」(つまり、空海が男色を勧め、親鸞はおおっぴらに女犯を是とし、妻帯もOKだった)と言われていますね。 その後、明治時代に、宗派に関係なく妻帯、肉食してもいいっていう太政官布告が出たんじゃなかったかなあ(ここはうろ覚えです)。廃仏毀釈の流れで、仏教を弱体化する目的があったとも言う方もいますね。 あと、お釈迦さまも、家族はおられましたが、出家するに当たり捨てられましたね。その後、修行されて悟りを開かれたんですから、その時点では、妻帯されていなかったことになりますね。
お礼
知らないことを教えてもらって、ほ~そうなんだと思うことが、楽しみです。 回答ありがとうございました
お礼
回答ありがとうございました 五欲が修行の第一歩とゆうことは実に凄まじい修行ですね仏教は。 ほとんどの人が五欲を求めてとゆうか、五欲を活力源にしていると思います。 一般人がこの五欲が無くなれば一国の経済が衰退するのではないかとも思ってしまいます。 仏教は修行者の宗教とは、なるほどと得心しました