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松平容保の詩について

松平容保が残した一偏の詩 「何すれぞ大樹連枝をなげうつ 断腸す 三顧身を持するの日 涙をふるう 南カ夢に入るとき 万死報国の志 いまだとげず 半途にして逆行 恨みなんぞ果てん 暗に知る 地運の推移し去るを 目黒橋頭 杜鵑啼く」 の意味って、何ですか? たしか、慶喜に対する恨み辛みだって聞いたんですが、詳しい意味が分かる方、教えてください。

みんなの回答

  • garamond
  • ベストアンサー率53% (1119/2111)
回答No.2

#1です。 追加させてください。 1) 出先だったため、うろ覚えで間違えてはいけないと思い、「……」にしたのですが、確認しました。 杜甫『春望』詩 「時に感じては魚にも涙を濺(そそ)ぎ、別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」 この「恨む」は、「つれない仕打ちを恨む」「恨み骨髄に徹す」といった使い方とは違います。 2) あと一つ、現代日本語でも本来の意味で使われている例を挙げておきます。 「痛恨のオウンゴール」 この「恨」が「残念無念」であって、「うらみつらみ」でないことは、お解りいただけますよね。

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  • garamond
  • ベストアンサー率53% (1119/2111)
回答No.1

原文を見ていないので、正確を欠きますが、解る範囲内でお手伝いします。 「大樹」は征夷大将軍、つまり徳川慶喜ですね。 「連枝」は身内、縁戚で、この場合は、会津藩。 「何すれぞ…」は反語で、「どうして……なのか」ですから、「なぜ将軍は身内の会津藩をないがしろにするのか」となり、無念の想いはあるでしょうが、「恨みつらみ」とは違うと思います。 「南柯(なんか)の夢」は故事がありますが、ここでは「はかない夢」でよいでしょう。 次に、特に注意していただきたいのは、「恨みなんぞ果てん」の「恨」の字です。訓読は「うらみ」ですが、漢文では「怨」と違って、「残念に思う」「不満である」という意味です。「怨恨」とも言うように、日本語の「うらむ」に近い用法が無くはないでしょうが、基本は上に述べた通りです。 ですから、漢文の「遺恨」は「遺憾」の同義語と言ってもよく、「憾むらくは」「十分でない憾みがある」の「うらむ」「うらみ」ですね。 今、正確に記せませんが、「別れを恨んでは……」の「恨む」を参考にしてください。 このことを知らずに、現代日本語の感覚で見ると、「恨みつらみ」と誤解しがちですが、あくまでも「残念至極」「無念遣る方ない」と解すべきでしょう。 「死を賭して国に報いようとした志はまだ実現されていないのに、道半ばにして反逆者の汚名を着せられるに至り、この無念さはどうして消えることが有ろうか」(若干意訳しています) 「どうやら、世界の時勢が変わろうとしているのだろう」「目黒(江戸の地名)の橋にたたずめば、あの血を吐くという杜鵑(ホトトギス)の鳴くのが聞こえる」 拙い訳で、誤りもあるでしょうが、おおよそはお分かりいただけたでしょうか。 くれぐれも「恨」の字にはご注意下さい。

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