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八重の桜で松平容保が

孝明天皇からのもらった感謝状(官軍の証し)はどーなったのですか。

みんなの回答

  • bgm38489
  • ベストアンサー率29% (633/2168)
回答No.3

以下、松平容保のWikiの、生涯―晩年欄に載ってるが、死ぬまで竹筒に入れて、手放すことはなかったとあるね。孝明天皇の権威は徐々に弱まっていくし、慶応2年には崩御なさるし、と、官軍の大義名分にはならなかったようだ。

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.2

賊軍の汚名を濯ぐために、「これを見よ」ってやりたいところをグッとこらえて 亡くなるまで身に着けていたと言われている 孝明天皇から直々に内密に送られたモノなので、表に出すのを憚っての事らしい 死後?最晩年?になって、御製というモノが存在することが明らかになったぐらいで 当時はそう言った書簡の存在自体、極々一部の人間しか知らなかった

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8859)
回答No.1

八月十八日の政変での働きを孝明天皇から認められその際、宸翰と御製を賜ったが、 それらを小さな竹筒に入れて首にかけ、死ぬまで手放すことはなかったという ・宸翰 堂上以下陳暴論不正之所置増長付痛心難堪 下内命之処速ニ領掌憂患掃攘朕存念貫徹之段   仝其方忠誠深感悦之餘右壱箱遣之者也   文久三年十月九日 ・御製 たやすからさる世に武士(もののふ)の忠誠のこゝろをよろこひてよめる 和(やわ)らくも たけき心も相生(あいおい)の まつの落葉のあらす栄へむ 武士と こゝろあはしていはほをも つらぬきてまし世々のおもひて

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