• ベストアンサー

結局「松平容保」っていい奴なの?

幕末、特に新選組のお話で登場する「松平容保」さんですが、 本によって悪者になったり正義の味方になったりです。 まあ、歴史なんてどっちサイドから見るかによって評価が 変わるのは当たり前ですが、じっさいは「イイヤツ」 だったのでしょうか? よろしくお教えください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11216/34840)
回答No.1

「友達としていいやつ」的な人だったのかどうかは分かりません。ただ、藩祖の教えを守ったのですから、筋は通したなとは思います。それが領民にとっていいことだったのか悪いことだったのかはまた別の話しですが、会津若松では今でも「ならぬものはならぬのです」と子供たちに教えているわけですから、そういう意味では身より名を取ったということになりますかね。「武士道とは名誉である」とするならば、名誉は守ったと。

Lady_osaka
質問者

お礼

なるほど、武士としての道を守ったわけですか。 なんでもOKな今の日本では「カタイ奴」とか「頑なな奴」って 言われるタイプなのですね。その手のファンはつくでしょうね。 ありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (3)

  • 0fool0
  • ベストアンサー率18% (134/738)
回答No.4

様々な方向から考えて「良い人」だったのは間違いがないでしょう。 ただ、善人がそのまま褒められる時代では無かったとしか言い様が有りません。 会津の主君としては、名君とまでは言えなくとも、良い治世を敷いた事と思います。 しかし時代に決断を迫られた時、会津では選択肢は一つしかなかったので、そもそも容保に「降服」の決定権はありませんでした。(容保の意思は知りませんが、国としては行動は決まっていました) その激動を何とか乗り切り、殲滅戦を免れたのですから、暗君では無いのは確かではないかと私は考えます。

Lady_osaka
質問者

お礼

ありがとうございます。生まれた時代が悪かったのでしょうね。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#205122
noname#205122
回答No.3

私は、歴史の素人です。そのことを前提に回答に試みてみました。 「イイヤツ」でも「ワルイヤツ」でもありません。「ブキヨウデカタクナナヤツ」です。私は「松平容保」を知れば、知るほど、この思いに近づいていきます。ただ、血筋が良かったので「おうよう(坊ちゃん育ち)な性格」も加わったかも知れません。

Lady_osaka
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね、そんな奴だったんでしょうね。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • 1paku
  • ベストアンサー率21% (344/1575)
回答No.2

龍馬たち志士側ひいきですから、憎むべき新撰組の上の方にいる容保さんは、憎むべき敵側のはずなんですが、悪人というイメージはありません。王城の護衛者の立場上やるべきことをやってただけでしょう。 有能で仕事に忠実な中間管理職という感じでしょうか。

Lady_osaka
質問者

お礼

そうなのですよね、悪人側においておけないのです。 不思議な人ですね。ありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A