私が大学の講義で受けた事を再度ご説明したいと思います。乗数の過程で貯蓄は漏れとされているようですが、貯蓄は貸出され、需要となるので漏れにはならないと思うのですが、というご質問は、再度申し上げますが、正しい考え方です。所謂、古典派経済学者といわれる方々は、おっしゃる通り考えております。貯蓄増によって、金利が引き下がりますから、投資需要が増えて、漏れにはならないのではないかと考えております。しかし、ケインジアン達は、その様に考えておりません。まず、直接的な国内有効需要の追加的増加がなければ、追加的な投資は行われないであろうと言っているのです。仮に、投資が行われ、乗数過程において、すべてが貯蓄に回った場合を考えてみて下さい。追加的な投資が、利子率の低下によって引き起こされるであろうと言うのが、古典派の考え方であり、taka07さんの疑問だと思います。しかし、ケインジアンは、乗数過程において、貯蓄や輸入品の購入に、有効需要の源泉である追加的所得が回ってしまったなら、直接的な追加有効需要は、創造できないのであるから、漏れと判断すべきではないか?と主張しているのです。つまり、追加的需要が存在しない過程において、利子率の低下だけでは投資は促されないだろうと述べているのです。従って、第一次的に、有効需要の創造があり、二次的に、乗数過程において、追加的な有効需要の創造があり、また追加的需要創造から得た所得が、さらなる直接的な追加需要を生み、三次的に利子率と投資収益率の関係から、投資決定の意思決定がなされると述べているのです。言い換えますと、古典派学者達は、二次的過程の議論が抜け落ちた形になっていると言えますし、また十分な需要がない場合に、追加的投資が行われるのだろうか?と言う疑問を投げかけているのです。