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「凄く」美しい

この場合の「凄く」は誤用である。「凄く」という副詞は「恐ろしい」といったような、悪い意味の形容詞に対して使用するものである。と、聞いたことがあります。また、「とても」も同様とのことです。だとしたら、「美しい」に対しては、どのような副詞を使って強調するのが正しいのでしょうか。 なお、現代の社会では「凄く美しい・とても美しい」はすでに公認されている、ということは判ります。ただこれらを誤用とする場合、どんな言葉を使うのか、ということが知りたいのです。

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回答No.4

 すごく、とても、たいへん、のような、ものごとが通常以上であることを表す程度の副詞は日本語のなかでも非常に寿命が短いもので、あっという間に新しいものにとってかわられる傾向があります。所謂新語(流行語)にモーレツ、超、めっちゃ、すっごく、バリ、などこの類の言葉が多いのもそうした傾向を如実に反映したものです。  これらの程度の副詞は、バリのように新しく生れてきたものもありますが、その大半はもともと違う用法だったものに新たに程度の副詞としての意味が加わって、それが主になってしまったものが大半です。  すごく、はおっしゃるように元来ものすさまじいという意味の形容詞ですし、大変は非常な変事、非常はいつもどおりではないこと、モーレツは勢いがつよいこと、超はあるものをとびこえていることです。ですからその原義にまで遡ればこれらの語を程度の副詞として用いる以上、ある程度は誤用であるといえます。その誤用が発展して今の日本語があるということです。  誤用は歴史のなかで用例が積みかさねられて、文明のなかである程度の承認を得れば「間違っていない(正しい)用法」として認められます。ひとりひとりの言語観の問題ではありますが、たいへんやすごくのような語はもはや程度の副詞として、元来の意味から離れ、どのような用言にでも修飾語としてかかりうる存在であるという意見に反対する人はあまり多くはないのではないでしょうか。  相当に、素晴しくはおそらく明治以降のものでしょうし、大層もあまり古くないと思います。「すごし」が「恐怖感を抱かせるほど荒涼としたさま」という意味でもっぱら用いられた時代は平安期ですから、そこまで遡れば「いと」や「ことに」などがただしい程度の副詞だといえるでしょうが、もはやこれは死語であるといわざるを得ません。  時代を気にしなければ、すぐれて、格段に、格別に、群を抜いて、きわめて、などといった言いかたもあります。現代の文章では「たいへん」と抽象的な程度で表現するのではなく、「彼の思想は倫理的な面においてことに深い」というふうに「たいへん」がどういうふうに「たいへん」なのか、方向を指ししめして使うことが多いのではないでしょうか。  最近はあまり使いませんが、むかしは「素敵に粋な様子だ」という言いかたもありました。これなどもしゃれていますね。

sawai197
質問者

お礼

うすうす、そうではないかという気がしていました。やはり、「凄く」を誤用とするような場合、現代では「美しい」を強調するに相応しい副詞は存在しないのですね。 「凄く」が誤用であるといった話は、小学校か中学校の国語の教科書に載っていたと思います。その時、正しい使用例については触れていなかったので、一体この著者は、美しいを強調する時どんな言葉を使うのだろう。とずっと疑問に思っていたのです。 今思うと、この著者は「すごく」「大変」といった副詞に安易に頼らず、「花のように美しい」とか「これまで見たこともない美しさ」などと、表現を工夫すべきだ、といったことを言いたかったのかもしれません。 また「誤用は歴史のなかで~」以下「あまり多くはないのではないでしょうか」については全く同感です。質問やお礼の文章を読んでいただければ判ると思いますが、恥ずかしながら私はそこまで日本語通ではありません。(本当は、「全く」の後には否定をしなければならないのですよね)。 大変勉強になりました。ありがとうございます! (↑ ああ。でもやっぱり、安易に副詞を使ってしまう…)

その他の回答 (4)

noname#215107
noname#215107
回答No.5

No.4の方に補足です。 バリは、元々、広島を中心とした中国地方かその近辺の方言だと思います。 広島では「ぶち」、「ぶり」、「ばり」はいずれも「非常に」「大変」と言う意味で使います。 ぶちうまい、ばりうまい、ぶりうまい、はどれも「非常においしい」と言う意味です。 現代でも使われている「大層」が使われ始めたのはは、江戸時代中期から後期だと思われますので、確かにそれほど古くはないと思います。 英和辞書でveryを引いてみても、日本語には、very に相当する表現がそれほど多く無いのですよね。 #4さんがおっしゃるように、この類の副詞は、入れ替わりが早いのかもしれません。

sawai197
質問者

お礼

なるほど、方言ですか。「江戸時代中期から後期」といえば、充分古いような感覚をもってしまいますが、言葉の世界ではそうでもないのですね。ありがとうございました。

  • ito_613
  • ベストアンサー率34% (76/221)
回答No.3

「凄く」という言葉も誤用ではないのではないでしょうか? まったくの素人考えなのですが、美しさにも様々あるので悪い意味の形容詞に使う「凄く」でも「美しい」に使用してもいいような気がします。 小説などで、恐ろしいまでに美しいもの、恐怖を感じさせるような美、と言ったものは出てきますよね。 雪原の上に飛び散った真っ赤な血潮、死体。怖い情景ですが、白い雪の上の血は妖しいまでに美しかった……とか。 変な例ですが、「凄く美しい」という使い方も場合によっては許されるような気がします。

sawai197
質問者

お礼

ありがとうございます。最近では「感動のあまり鳥肌が立った」などという言い方をしますね。「鳥肌が立つ」は恐怖感を表す言葉なので間違いだ、というのが定説ですが、これも、感覚としてはよく判る気がします。

  • guramezo
  • ベストアンサー率48% (370/759)
回答No.2

・普通に使えば「非常に」 ・本来は最上級ではないかもしれませんが「相当に」 ・意味が愛想なのは「素晴らしく」 ・否定的なニュアンスもあるかもしれませんが「甚だしく」 といった使い方はどうでしょうか?

sawai197
質問者

お礼

「非常に」「素晴らしく」はいいかもしれませんね。ありがとうございました。

noname#215107
noname#215107
回答No.1

「大層」なら、より昔から使われているような気がします。 「とても」は本来、否定の場合のみに使われていたようで、「とても~ない」が正しい使い方でしたが、 「とても美しい」=「全然美しい」等と同様の誤用から、定着してしまったようです。

sawai197
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。なるほど「大層」ですか。「大変」でもいいのかもしれませんね。でも「変」が入っているから、やはり悪い意味を強調する場合にしか使えないのかな?「全然大丈夫」などという使い方は、誤用だとは判っていますが、昔ほど違和感をおぼえなくなりました。時の流れというものは恐ろしいですね。