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鎌倉時代の僧、重源の大仏殿復興
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自分はその番組を見ていませんが…。当時の12世紀頃の日本は鎌倉幕府が開かれたばかりで、その直前のいわゆる "源平の合戦" の戦乱がまだまだ尾を引いている状態で。幕府や朝廷は元より、庶民はその日の食う物にさえ困っている惨状でしたので、例え民心に大仏殿復興の信心機運が高まっていたとしても無い袖は振れないので。従って復興のための資金源は普通に幕府や朝廷などの支配階級、及び極楽浄土を願う商人などの富裕層からの出資が主だったと思いますよ。 まあこういった宗教事変は後世に語り継がれる際に、大幅に脚色され神話化されるのが常なので。大仏殿復興の立役者であった重源の功績を殊更に際立たせるため、如何にも偉大な宗教家らしく彼の身を粉にした無心の振る舞いに民衆も心打たれて、多くの寄進が集まった~みたいな感動秘話に仕立て上げたのではないかと…。 当時の記録物などから実態というか、どういった感じで重源の大仏殿復興が進められて行ったのかの大枠は分かっていて。それに基づくと、やはり普通に先ずは当時の最高権力者である後白河法皇と源頼朝に寄付を依頼しており、彼らから多額の資金を引き出す事に成功しています。また他にも京都の公家の九条兼実にも寄付を依頼、彼からも資金援助を受けています。 また元々は重源が後白河法皇の命を受けて東大寺の勧進職に就いたのが始まりなので。その流れで後白河法皇は周防国(山口県)からの税収を再建費用に流用して良い旨のお達しを出して、重源の大仏殿復興計画に一種の "お墨付き" を与えています。こういった背景があったので、当時の幕府の人間や公家の人々も面と向かっては重源からの寄付の願いを無下には出来なかったのだと思われます。あと重源は「寄付をしないと地獄に落ちるぞ!」と相手を恫喝したという記録も残っています(笑)。 その4600億円という金額も、恐らくは番組内で「現在の建築事業に換算した場合の金額」を例にして言っているだけで、実際に当時の金額換算で4600億円相当の資金を集めたという訳では無いと思います。実際、金銭の寄付も重要でしたが、重源の最大の功績は大仏殿復興に必須の資材であった巨木の木材を大量を集めた点に尽きるかと。 当時の周防国は日本有数の木材産出地でしたので。前述の様に上皇様のお墨付きを貰っていた重源は、そこから採れる良質な木材を大仏殿復興のために多少強引にでも徴収できたのだと思います。或いはお得意の口上で人夫らに「この功徳を積めば、貴方方も極楽浄土へ到れますぞ!」とでも口説いていたのかも? まあそんな感じでしたので、「手押し車で全国行脚して4600億円を集めた」という話であればダウト!まあ完全に嘘ですね。
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- oska2
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>添付写真の一輪車で全国を回ったと言ってました 重源をはじめとする6チームが、6台の一輪車(勧進車)で各街道を回った様ですね。 >んな途方もない巨大な資金を、こんな小さな一輪車で集めるなんて 別に、この一輪車に砂金などを積んだ訳ではありません。 一輪車には、次のも物を積んでいました。 1.東大寺から正式に許可を受けた証拠の旗。 1.慮遮那仏と両脇侍そして四天像を描いた画幅。 1.その他、勧進の為の資料。 1.その他、筆記用具など日用。 >どのようにして集めたと思われるでしょうか? 行く先毎の庶民・豪族に対して「布施の依頼」を行うだけです。 庶民は、東大寺まで行く事が出来ませんから少額の金子を渡します。 豪族・有力者は、直接東大寺に金品・建造物資を送ります。 別に、一輪車の箱の中に金子・物資を入れる訳ではありません。
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