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鎌倉大仏のこと
1498年ですか?の津波で流されて、そのまま再建されなかったようですが、何ででしょうか。東大寺などと比べて場末だったのでしょうか?それから金メッキははがれてしまったのでしょうか?製造法は大変進んでいたそうですが、もう現在作ろうとしても同じ方法で作るしかないほど完成されていたのでしょうか?
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「場末」というか「勧進する人がいなかった」「庇護する有力者がいなかった」ということでしょう。 東大寺の大仏殿も1567年に焼失、仮堂も1610年に倒壊して80年近く露座のままでした。 金メッキがされていたとしても露座ですから剥がれてしまったと思われますが、鎌倉大仏の建立については不明な点が多いようではっきりしてないそうです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%A4%A7%E4%BB%8F http://www.kamakura-burabura.com/meisyokamakuradaibutu.htm 現在でも作ることは可能かと思いますが、金属がもったいない、というのが現代の感覚ではないでしょうか(^^;) 「進んでいる」というのは「当時としては」かと思われます。
お礼
ありがとうございます。あれほどの金属を象徴に使うというのは、今となっては贅沢なのかもしれないですね。