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日本人の知的レベルが低下しているように感じる

タイトルの通りなんですが、原因は読書離れが大きいと思います。 特に大人に顕著だと思います。 世界的な評価として日本人の中学生・高校生の学力は高いのですが、大人になるとレベルが下がっていきます。 大人は6割が月に1冊も本を読まない。 ホリエモンも言ってますが、本は読めるけども、内容が理解できず、誤解をすることが多いそうです。 僕は三島由紀夫とか川端康成、夏目漱石とかトルストイなど名作は結構読みましたし、古典も好きな方です。しかし文学や古典のことが嫌いな人が何と多いことか。残念な傾向だと思います。 科学や医学、経済や政治などは確かに英語で読んだ方が良いかも知れません。しかし、文学や古典が嫌いな人が多いと活字文化が廃れ、小説とか評論みたいのも読めなくなる、つまり国語が出来なくなると思います。 本が好きな人は「勉強」なんかしなくても国語の成績も良いです。 国語が出来ずに、英語教育ばかり重視していて良いものなのでしょうか? 僕は20代の時は色んな本を読んでいて、それが今の自分の価値観とかに生きていて血肉となっていると思います。 いつも決まって返って来るのが「文学や古典なんてやっても役に立たない」とか「コスパが悪い」といったものです。 最近、何かにつけて「コスパが悪い」とか言って一刀両断する傾向がありますが、残念な風潮だと思います。 皆さんの意見を聞かせて下さい。宜しくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1498/3648)
回答No.2

ご指摘はごもっともですが、(とりわけ紙の本からの)読書離れの傾向は日本に限ったことではありません。またスマートフォンの普及やネット社会の発達も世界的な動きですので、「日本人の知的レベルが低下している」のだとすれば、日本人だけでなく「世界的に知的レベルが低下している」のではないですか。 より厳密に言えば、世界的に知的レベルの二極分化が進みつつあるのではないかと懸念されます。日本の高校生の家庭での学習時間の調査では、昔は平均値近くに一つだけ学習時間のピークがある「富士山型」でしたが、最近では平均値付近は少なく、家庭で全く勉強しないゼロとよく勉強する長時間の2か所に山がある「ふたこぶラクダ型」になっているそうです。「格差の拡大」が経済的な富だけでなく、知的な蓄積にまでおよびつつあるとすれば、事態は深刻です。 ただし歴史的に考えれば、上流階級は別として一般の人々の間に書物が普及してこれから学べるようになったのは、洋の東西を問わずさほど古くからではありません。例えば万葉集に歌が収録されている防人やその妻が読書をしていたとは思えません。しかしこの人々は1300年近く経った今でも人の心を打つ秀歌を詠んでいます。書物が普及していなかった時代の一般の若者の知的能力も決して侮れないことがわかります。 再び読書から縁が遠くなった現代の若者も学校などで最低限の読書はしているでしょうから、必要以上に心配する必要はないのかもしれません。 余談ですが、「正倉院展」で奈良時代の行政文書の原本(紙背文書)を見たことがあります。約1300年も昔に書かれた文書ですがほとんど傷んでおらず、墨の文字と角印の朱色を鮮明に読み取ることができて、「和紙と墨の実力おそるべし」と痛感しました。 一方私が仕事で30年あまり昔に作って8インチのフロッピーディスクに保存しておいた文書を読み出せる8インチのディスクドライブは随分昔に職場から姿を消し、フロッピーも捨てました。現在の最先端技術の記録メディアでも千年以上もつ(物理的な寿命だけでなく、技術的に陳腐化する社会的な寿命も含めて)とはとても思えません。 紙の本(アナログ)から電子書籍(デジタル)への変化を進化だと単純に称賛しているだけでは、貴重な記録を失って痛い目に逢いそうで、この点からは社会全体の知的水準が低下する危惧がなきにしもあらずです。

ammgpattg2
質問者

お礼

なるほど。 珍しく素晴らしい回答が来て、とても嬉しいです。 回答ありがとうございました!

その他の回答 (1)

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1153/9140)
回答No.1

一人一人が大切にしているものが少なくなっているのかなと思います。お金で何でも手に入るということも大きいのでは無いでしょうか。大切なもの中にはお金では買えないものがあるということが忘れられているというか、軽視されているのかなと思います。

ammgpattg2
質問者

お礼

どうも回答ありがとうございます

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