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これは孤独なのか?孤独ではないのか?
日本語の意味がわかりません。 http://www.meigensyu.com/quotations/view/1273.html からですが 「私が孤独であるとき、私は最も孤独ではない。」 とは結局「孤独」なのでしょうか? 最も(一番)孤独でないだけで、多少は孤独ということでしょうか?
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「私は(いわゆる人や世間で言う)→「孤独」(の状態)であるとき、 (実は)私自身は、最も(そういった)「孤独」というものから遠い状態なのです!」 という意味ではないでしょうか。 つまり、 「他人様方は、よく孤独は辛いもの(で、なおかつ避けてしかるべくもの)だとかなんとか 言っていなさるが、 わたしにとってみたら、孤独とは寂しくも辛くともなく、愉しめ味わえるものなのじゃ!」 みたいな意訳ができるのでは。 比較主義ではなく、絶対主義の考え方ですね。 従って、一番~とか、多少は~とかの観念から、 解き放たれているんです。 孤高です。 独りで居る時間がなかったら、とても生きていけない~という考えのある、 わたくしにとっては、同感できるものです。 勉強になりました、感謝。
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- Ishiwara
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私の自己流の解釈です。 我も孤独、彼も孤独だ。しかし私は彼の孤独を知っている。彼は私の孤独を知らない。 してみれば、彼のほうが私よりも孤独だといえる。私は、彼という人物を知っている分だけ「たった一人」ではないのだ。
お礼
なるほど!どうもありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
- ベストアンサー率20% (605/2887)
一時都会の雑踏や、宴席での交流、心の世界の別であったり、ものをいうと唇の寒い人との同席は、一人で居るという意味の孤独以上の孤独を感じさせてくる。という経験と先人のことばを連想させますね。 lonely cloud
お礼
どうもありがとうございました。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
「孤独」とは「ひとりぼっちで、さびしい・こと(さま)。 」などと辞書には書いてあります。 ただ、 「私が孤独であるとき、私は最も孤独ではない。」 という文だけから解釈すると、 「本当にひとりぼっちでさびしいさま」というのは、「相手になる人間がいない」というのみならず、「あらゆる状況からも完全に見放された状態」である、と捉えているような気がします。 そうすると、「孤独」という状況に本当に陥っている時は、「孤独という状況」に最も深く包まれているわけですから、そういった状況にどっぷりと浸っているわけで、これは、「あらゆる状況からも完全に見放された状態」とは言えない。 そういった感覚ではないでしょうかね。 つまり、「孤独と感じたとしてもそれは本当の孤独とは言えない。孤独自身が君に寄り添っているではないか」でなことで、「本当の孤独」というものに対する独自の見解を述べたもののような印象を受けました。
お礼
わかりやすい説明有難うございます。
- Wendy02
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私は、このように考えました。 Cicero "Scipio used to say that he was never less idle than when he had nothing to do and never less lonely than when he was alone. " [De Officiis] かつて、ヨーロッパの修道士と日本の修行僧で宗教の交換留学をすることがあったのですが、海外から来た修行僧が一番驚くのは、日本のお坊さんにはプライベートとしてのひとりになる時間がないと言います。聖書の中でも、必ず、イエス・キリストはひとりになる時間を作っています。もちろん、キケロの時代の古代ローマでは、キリスト教のような神との対話の時間があるわけではないけれども、思索家や哲学者にとって、他者との時間を持たない孤独の時間は、もっとも孤独ではない貴重な時間だということです。これは、哲学者のショーペンハウアーが『孤独と人生』で同様のことを語っています。 古代ローマの社会は、社会全体で市民がその市民を支え合う社会でした。私たちの社会の孤独は、これとは異質なものではないかと思います。マザー・テレサさんが、私たちの社会の孤独を述べていますが、「世界で一番恐ろしい病気は孤独です ....誰にも必要とされず、誰にも気に留めてもらえず、すべての人から見捨てられているという孤独です」と言っています。
お礼
日本のお坊さんに一人の時間がないというのは初めて知りました。 有難うございます。
He is never less at leisure than when at leisure, nor less alone than when he is alone. 出典は De Officiis (『義務について』)(第3巻第1章) 英訳を探してみると,上記が発見できました。ただし,オリジナルはキケロではなく,もっと古代からあることわざ(?)のようです。英文からすなおに直訳すると,「独りでいるときほど,孤独であることはない」。つまり,真の孤独は独りになってみないとわからねえよ,とぼくには読めるのですが。もっと奥があるのか,ぼくの英文解釈にまちがいがあるのか,よくわからないので,もう放り出します 笑。
お礼
わざわざ調べてくださってありがとうございます。大変参考になりました。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
これはキケロの言葉だそうですから、その言葉の専門家の説明がいちばん大切だと思います。 しかしこの日本語訳を取り上げるなら、全般は1人ぽっちという意味の「孤独」、後半はそう言う境遇にあるのは自分1人だと言う意味の「孤独」という両義性に引っ掛けたものとすれば、ひとつの解釈は可能ですね。 私は1人ぽっちだ、しかし周りを見るとみんなそうだから、私のような境遇にいても「孤独」ではない。 だから、お答えはこの日本語自体にあるのではないでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。大変参考になりました。
- Joemary
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合っているかどうかは分かりませんが私なりの解釈です。 「私が一人でいるとき、私は自分の世界を自由に羽ばたく想像と創造の翼を手に入れる。私は一人でいるときは、そこに孤独感はなく、私の内面はひたひたに満たされる、そのような貴重な時間なのだ」
お礼
人によって解釈の仕方があるのですね。 ご回答ありがとうございます。
「私が孤独であるとき、私は最も孤独ではない。」 孤独は孤独であるが、受け止められる孤独であると思います。孤独であると判っているから。 ところが、みなと楽しくやっているようで、実は誰も本心から付き合っている人ではないなら、それは本当の孤独であるのではないですか。知らぬ間に孤独になっているのであるから。
お礼
ご回答ありがとうございます。自覚しているから孤独ではないということですね
お礼
こちらこそ勉強になりました。 孤高は素敵な言葉ですね。